14 私がヒロイン!?
遊園地なんて、大人になってからは会社の社員旅行でスケジュールに組み込まれていた時に行ったっきりだ。まさかこの年齢になってから、男性とふたりで行くことになるとは思いもしなかった。
必死にコーディネートした洋服、遊園地にワンピースとパンプスはおかしい? ……くはないよね。スカート丈は長めだし、靴のヒールも低いし、髪も纏めたし。
川平駅のロータリーで約束の時間にコウさんを待ちながら、自分の今日の服装について今更のようにあれこれ考えを巡らせていた。
気合いが入っているのがバレバレだ。でも、早々にお見合いが待っている。気軽にコウさんのような男性と出かけることはこの先ないかもしれない。自分でもせっかくなら良い思い出にしようという気持ちが、この気合いになっているのがわかる。
「早いですね、葉摘さん。待ちました?」
「い……いえ」
コウさん!? 黒縁眼鏡をかけていない。
いつもの白い車から降りて来たコウさんを見て、胸の中になんとも言えない甘酸っぱい想いが広がった。
こんな素顔だったんだ。キリっとした眉に、涼し気な目を細める優しい顔。今日は紺色のジャケットに中は白のシャツ黒のデニムパンツ姿。いつも無造作な髪が今日は綺麗に整えられている。
コウさんは、私の耳元まで腰をかがめて顔を寄せて来た。私が緊張すると、
「葉摘さん、素敵ですよ。ワンピース姿、シックな感じであなたに似合ってます」
身体が一瞬で熱を持つ。
「……ありがとうございます」
多少でも華やかさを出すため、オフホワイトの透かし編みのカーディガンとパールのイアリングを合わせたのは成功だったかも。
「向井さんは、今日は眼鏡は……?」
「コンタクトレンズにしました。色々邪魔かと思って。……葉摘さんは、視力は良いんですか?」
「視力だけは良いんです」
「羨ましい。じゃあ、行きましょうか」
コウさんに自然に背中に手を添えられて、ドアを開けた車の助手席に促され座る。コウさんが運転席に座ってシートベルトをしようとしている時に、私はバッグから封筒を取り出した。
「向井さん、これ今日のご相談料です。今日はどうぞよろしくお願いします」
頭を下げながら、それをコウさんに差し出す。
「ああ……、ありがとうございます。確かに」
コウさんは微かに眉を寄せながらそれを受け取ると、封筒の中を確かめもせずにジャケットの内ポケットにしまった。
受け取ってもらってホッとしている自分と切なく感じている自分がいた。
「出発しますよ」
「はい」
コウさんは、静かに車を発進させた。
「あの、先日は、ぶざまなとこをおみせしてしまって、すみませんでした」
「ん? そんなこと、ありましたっけ?」
「向井さんの前で、ぼろ泣きしてしまったことです」
「ああ、そのことですか。こんなこと言っては失礼ですけど、むしろオレの前で泣いてくれて嬉しかったですよ。少しはあなたに信頼とまではいかなくても、信用して貰えてるのかなと思えましたから」
「向井さんのことは、もう信頼しています」
そんなふうに、慰められたら、また涙ぐみそうになってしまう。
「あ、ありがとうございます。それで、この前のサイテー男からは、しつこくされてませんか?」
「大丈夫です。あのあとは、連絡ありませんから。心配して下さって、ありがとうございました」
「あなたのお役にたてて光栄です。これからも何かあったら、オレのことを思い出していつでも頼って下さい。力になりますから」
これからも? いつでも? これから先もあなたとの繋がりが続くの?
思わずコウさんの鼻筋の通った横顔をじっと見てしまった。
コウさんは、そんな私の視線を横目で受け止めて、微笑んだ。
「なんて顔してるんです? 抱きしめたくなるじゃないですか」
「え………!!?」
やだ、私、どんな顔してたの?
無性に恥ずかしくなって、下を向く。私は元人気ホストの魅惑の一撃を胸にくらった。
「葉摘さん、いい感じです。まずはオレに慣れて下さいね。オレと一緒にいることに慣れて。その方が相談にのりやすいです」
「はい……」
「今日はオレに遠慮はしないで下さい。あなたはお金を出した側ですから、気を遣ってオレと無理に会話しようと話しかけたり、オレを楽しませようとしたりする必要はありません。あなたがオレを振り回していいんです。オレがあなたの周りの空気を読む風になりますから、今日はあなたが自由気ままに、リラックスして心から楽しめることをしましょう。あなたが主役です」
私が……ヒロイン!?
今日は夢を見てもいいの?
「遊園地はあまり長居しないで、あなたの行きたい所へ行って、したいことをしましょう。今日はあなたの心を解放して欲求を叶える一日です」
コウさんの言葉は、緊張していた私の心を丁寧にほぐしてくれた。
「……ありがとうございます。向井さん」
「あ、その苗字呼びは止めませんか? 良かったらコウって呼んで下さい」
「さすがに呼び捨ては……無理です!」
「そうですか? なら、お任せします。そんなにムキにならなくても。オレはあなたに名前を呼んで欲しかったんですけど」
「なら、コ、コウさんてお呼びします」
「嬉しいです。葉摘さん」
そんな本当に嬉しそうに目じりを下げられると、期待する気持ちが抑えられなくなる。
心の中と外で同じ呼び方。お互い名前で呼び合う。私もたとえ今日だけだとしても嬉しい。
「本当は敬語も必要ないですけど、今日の所はいいことにします」
それからコウさんは、遊園地では観覧車とジェットコースターとお化け屋敷だけは必須で、あとは私の好きなアトラクションに乗りましょうと満面の笑みで言った。
結局コウさんのペースのような気もするけど、こんな会話は本当に最初のデートみたいで楽しい。
「そういえば姉と一昨日、お茶したそうですね。姉が自分で口を滑らせたんですよ」
「あ……」
「オレに内緒で抜けがけするなんて……」
「偶然会ったんです」
瑠伊さん自身がコウさんには内緒って言ってたのに、喋ってしまったんだ。
「姉からオレのこと、何か変なこととか聞きました?」
「瑠伊さんは何もおかしなことは言ってませんよ。コウさんと矢坂さんがホストになられた経緯とか、凝り性で負けず嫌いというのは聞きました。子どもの頃、鉄棒で手に血マメを作って、お腹に一文字の痣ができるくらい逆上がりの練習したとか……」
「そんな、いつの話してんだか!」
コウさんが悪態ついてる姿に、思わず笑ってしまった。子どもの頃の微笑ましい話なのに。
「いつまで経っても瑠伊さんにとって、コウさんは可愛い弟さんなんじゃないですか?」
「……うわ、葉摘さん、オレの名前呼びが自然だし……笑った葉摘さん、ヤバイ……」
赤信号で、コウさんがハンドルになぜか突っ伏している。
なんだろう? 名前呼びって、そんなに特別なの?
「葉摘さんはまさかオレのこと弟みたい、とは思ってないですよね」
眼鏡の無いコウさんに見つめられて内心焦っていると、返事をする前に、
「大丈夫みたいですね。良かった」
「!?」
また微笑まれてしまった。
コウさんは私の心の中が全部お見通しなんだろうか?
この胸の鼓動が、コウさんまで聞こえないと良いけど。
そうこう会話をしているうちに、近場の中規模の遊園地に到着した。
午前十時、既にそこは多くの客で賑わいを見せている。駐車場からチケット売り場まで、二、三分ほど歩かなくてはならない。親子連れや手を繋いだカップルが、ゲートに向かってぞろぞろと歩いている。
私たちも男女だし、はたから見たらやっぱりカップルかな。ちょっと年齢は高いけど。
「行きますよ、葉摘さん」
コウさんに、サッと手を繋がれてしまった。
これじゃ、まるで……。
「あなたが手を繋ぎたそうな顔をしてたから。空気を読んであげました」
「そ、そんな顔してないと思います」
手を繋いだカップルが少し羨ましいとは一瞬思ったけど、コウさんに無理に手を繋いで欲しい訳ではなかった。
「嫌ですか? あなたを困らせたいわけじゃなくて、喜ばせたいんです。あなたに心から楽しんで欲しい。みんなに気を遣って真面目に生きて来たんですよね。たまには気を遣われる側になって、好きにしてて下さい。今日はオレがあなたの我儘をすべて聞いてあげますから」
コウさん……。
迂闊にも泣きそうになったので、慌てて気持ちを切り替えた。
「私、最初にゴーカートに乗りたいです! 最近車の運転してないんで、感覚を取り戻せるかな」
「それってオレじゃなくて葉摘さんが運転するんですか? オレが助手席?」
コウさんがなぜか目を丸くしている。
「そうですけど、何か不安でも?」
「まだ一緒に天国も見てないのに、地獄は嫌ですよ」
「地獄って、失礼な。こう見えても私、三ヶ月かからないで車の免許を取った優秀なドライバーですからね」
「一度天国を見せてくれたなら、地獄でもどこへでもお供しますよ」
気になる笑みを浮かべるコウさんに安心の運転技術を見せてあげる、と私は息巻いた。
結局、私たちは遊園地のチケット売り場に着くまで手を繋いだままだった。