ヴァーリの使徒 第一話
濃紺は鉄紺に、やがて赤い気配が混じり紺藍になり迫る夜明けと、鮮明になっていくトンボの影。
次第に辺りが明るくなるに合わせてトンボは近づいてその姿を大きく見せ、そしていよいよ装甲車とその辺り一帯に影を落とした。
揚力を得る為に繰り返す翅の音は飛行機ともヘリとも違い、まるで耳元でスネアドラムを叩かれているようだ。
焚火を足で踏みしめて砂をかけて消し、長い旅路へ誘うトンボに身を任せるべく装甲車へ乗り込もうとしたときだ。
「イズミさん、待ってください」
誰もいなかったはずの背後から突然、呼び止められたのだ。
その子どものように高い声は俺を捕らえるように強烈な羽音に紛れることなく鼓膜にしっかりと届いた。
嫌な予感がしたので、すぐさまセシリアを地面に下ろし「乗りなさい」と背中を押してベルカに目配せをした。
声のした方へ振り返ると、まだ残る夜明けの薄暗がりの中で縁取りはぼんやりと、それでいてはっきりと浮かぶ、いつもの白面布をした二人が立ちはだかっていた。
布の下で発せられ不気味にこもるその声の主が誰であるかはすぐに分かった。毎度おなじみと言うほどの、レアだ。
しかし、もう一人は分からない。ノルデンヴィズで聞いたドミニクの話に出てきた白面布の“でけぇ”方の女だろう。
このように顔を合わせたのは初めてのはずだ。存在を話に聞いただけであり、声もこれまで一度も聞いたことはなく、今白面布の隙間から覗くのは目元だけだ。
それにもかかわらず、俺はその女の立ち姿と目元、それから仕草に覚えがあるような気がしてならなかった。
だがそれよりも、憂慮すべき事がある。今レアが白面布をして行く手に立ちはだかっているのだ。
それはこれまでの経験上、この場では同じ方向を向いていないと言うことだ。
顔は見えないが、声色で彼女の態度が窺える。むしろ隠された表情のせいで余計に不気味さを増している。
もう一人が誰であれ、穏やかではない。明らかにレアと見覚えのあるもう一人は俺たちを止めに来ている。
装甲車の方を確かめると、寝起きだったはずのセシリアは必死で走ったのか装甲車にもう乗っていた。ベルカはドアを押さえて俺が乗るのを今か今かと待っている。
だが、すぐに飛び乗ることは出来なさそうだ。俺は杖に手をかけて臨戦態勢をとった。
「オイ、イズミ! どこの誰サマか知らねぇが、相手にしてる暇なんざねぇ! トンボはもう目の前に来てんだぞ! お前が置いてかれちまう!」
ベルカの言うとおり、トンボは装甲車の上空を旋回しながら降りてきていた。高速で羽ばたくトンボの翅が地面に近づいてきて乾燥地帯の砂を巻き上げ始めている。
そして、装甲車をまるごと掴もうとしてコンテナを運ぶクレーンのように肢が開かれていた。
装甲車の窓に両手をついて何かを叫ぶセシリアの姿も見える。
ベルカに親指を立てて合図を送ると、彼は答えるように大きく頷いた。この二人を何とかする手立てがあることを理解したようだ。ドアを押さえたまま、こちらを鋭く見守るだけになった。
巻き上がる砂埃を背中に受けながら、あちらは彼に任せて俺は白面布二人組の方へと向き直り、改めて杖を握り直し、その先端を刺すように向けて腰を落とした。