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斯くして熊は再び立つ 第四話

「そうですか。ご報告ありがとうございます」


 これは困ったものだ。

 夫妻は銃の無い時代の、今では通用しない時代遅れの戦争での英雄だ。

 しかし、どれほど前時代的なものであっても、エルフの軍勢を数人で退けたという武勇伝の精神的な支えとしての役割は、今の時代だからこそ計り知れない。

 故に、夫妻の生存はまだ明らかにすべきではないというのに。


「上佐殿は嬉しくはないのですか?」


 私の反応があまり芳しくないことを不思議に思ったのか、ウトリオはそう尋ねてきた。


「そうではないのです。ですが」


 士気が上がるのは大いに結構。戦いに勝つのも結構。だが、夫妻の生存が軍全体に知れ渡ったのは些か早計だ。


 閣下もさすがに人間だ。

 英雄の生存を知った将校たち――およそ猛将と名高いオーケルド中将辺り――が兵士の士気が上がった今こそ攻め込むべきだと閣下に猛烈に進言したのだろう。


 閣下も私も、モギレフスキー夫妻の生存はとうの昔に知っていた。しかし、それは私と閣下、それから一部数名の上級将校たちの間だけでの秘密だった。


 一度言えばそれは士気の爆発的な上昇に繋がる。起爆剤であることは確かだった。


 だが、戦争は士気だけでは勝つことは出来ない。

 武器、知識、情報、人材、それから補給だ。これら全てはかけ算だ。そこに後から加わる士気は、かけ算ではなく足し算になる。

 なぜ士気をそこに掛けないのかというと、戦いには冷静さも必要であるからだ。とはいえ、十に五を足して十五になるのは非常に大きい。

 士気以外のどれか一つの要因がゼロになっても、全体の数をゼロにしない不思議な数字でもある。


 だが、士気とは非常にデリケートなもの。

 それは戦況の如何に関わらず、疲労など回避不能な生理的なものや、殺害への罪悪感など精神的なものにより絶えず下がり続ける。

 ふとしたきっかけ、例えば上一人の上官が目の前で瀕死の重傷を負うというような、たった一つの事象によって消滅させられるかもしれないのだ。

 そして、要因の中で唯一負の値が存在するものでもある。維持するか増やし続けるかしなければ元々の五さえも下回り、やがては他を蝕みさえする。


 歴史学において戦争はしばしば爆弾に例えられるが、実際はじわじわと燃焼していくものだ。

 起爆剤だけで起こるのは一瞬の爆発、燃焼させ続けるのは容易ではない。


 上級将校たちや発案者であるアスプルンド博士には、あの案を理解させた上で箝口令を敷いてある。

 彼らもスヴェンニー独特の頑固さがあり、口は硬い。信用のおけない将校には伝えていないので、外部からのリークであるだろう。

 いったい誰がそれをリークしたのか、などど悩むまでもなく見当は付く。間違いなく――。


 だが、悠長に詮索している時間はなくなった。今すぐに動かなければ、北公が敗走する未来が訪れる。

 ノルデンヴィズ南部の緑豊かな田園地帯を対魔法のために皮下を走る疥癬のように穿り返し、白と黒と灰色だけが残された塹壕だらけにしてまで停滞させた意味が無くなってしまう。


 兵士たちは、自分たちの放つ煤けた汗の臭いと、魔法を使うときに生じる特有のニンニクのような臭いに常に包まれながらノミとシラミにまみれている。

 彼らの戦う相手は連盟政府軍のみならず、その塹壕を走り回るネズミたちもいる。

 そのネズミたちもまた生きようと砲火や魔法から逃げ、そして兵士たちの持つパンや缶詰、そして()()()()()をあさっているのだ。

 乾燥だの砂が入り込んだだの、その程度で文句を言える私たちは幸せではないか。兵士たちをその地獄から解き放つためにもこちらも動かなければ。


 オスカリの報告により、確かに焦りは生まれた。もちろん、元から焦りが無かったかと言えばそうではない。

 最初、兵士のほとんどを貴族の子弟が占めていたが、ある時を境に、民間からの志願兵も増えてきている。それが何を示すか。

 確かにこれまでも焦るべき状況ではあったが、まだ落ち着いていられた。それは意図して停滞させていたからこそだ。

 その停滞を崩されたことで私の焦りはより具体的なものへと昇華したのだ。


 しかし、幸いにもイズミさんたちはビラ・ホラへと移動を始めている。

 現地に着くまでどれほど時間を要するか、それはわからないが、この黄金捜索、改め、“白き王家の遺産(ヘスカティースニャ)計画”が大詰めの段階なのは事実。


「二人とも、すぐに準備をしなさい」


 机の引き出しを開けると乾いた木々が火でも起こしそうなこすれる音を立てた。

 そこに置かれていた白い手袋を嵌めながら二人に指示を出した。すると、二人は顔を見合わせて笑いながらうなずき合い、それぞれに拳を握るといよいよ戦いに馳せ参じるのかと力んだようになった。


「戻るのですか? 私たちもついに戦線に参加するのですか?」


 ウトリオは今すぐにでも馳せ参じ、そして、北公の為に身を挺して戦わんと漲る士気に身体を震わせている。

 ユカライネンも私の指示を今か今と待ちわびている。彼女に至っては先ほどのバングルの付いた腕を持ち上げて、指示を出すよりも先にマジックアイテムでポータルを開きそうだ。


「残念ながら、違います。これから私たち全員でイズミさんたちを追いかけます。

 ユカライネン下尉、移動魔法用マジックアイテムの返却を願えますか?」

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