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白く遠い故郷への旅路 第十七話

 腕がゆっくりと下げられると、枝はベルカの手の中に収まった。

 ベルカは息を吐き出すように「そうか」と呟くと、そのやや長めの枝をぽきぽきと折り始めた。

 半分、半分、そしてまた半分に。折りづらくなるまで続け、やがて中指の長さも無いほどに小さくなった。

 それを束にしてまとめると「……悪ぃことを聞いたな」とぽそぽそと呟いた。


 国が無いことをあっさりとベルカは受け容れたようだ。自分たちの国が既に無いので、特に疑問を抱かずに受け容れられたのだろう。


「だが、オレたちはお宝が残ってるかもしれないだけマシだなんて言わないぜ?」

「同じとは言いたくないが、今や無いのはどっちも同じだろ」


 二人とも黙り込むと、金具のこすれる音と蝶番の悲鳴が聞こえた。

 音の方へ目をやると、装甲車のドアが開かれていた。

 隙間からセシリアが毛布を持ったまま、眠たそうな瞳を擦っているのが見えている。セシリアを起こしてしまったようだ。


「パパー、どこ? ねむれないの」


「起きちゃったか。おいで。外は寒いから焚火で暖まろう。暖まればまたすぐ眠くなるよ」


 手招きすると毛布を引き摺りながら傍へとやってきた。毛布を一度取り上げて砂を払った。

 彼女をすぐ側に座らせて、再び毛布で簀巻きにする様にかけてやると、届かない肩に体重を預けてきて、潜り込むような仕草を見せたあとにすぐ寝息を立て始めた。


「もう寝ちまったか。お前にべったりじゃねぇかよ」


「前ほどでもないけどな」


 ベルカは折った枝を一つずつ焚火の中へ放り込み始めた。

 五本目を放り込み、炎を眺めながら「プリャマーフカ、セシリアは優しい子だな。お前に似たのか?」と尋ねてきた。


「もともと良い子だよ。

 分かってると思うが、俺とアニエスの本当の子どもじゃない。母親はもう死んでる。父親も共和国で死にかけてる」


「そうだな。お前のキ○タマにそんな美少女がいたとは思えねぇよ。

 それに、性格が似たらもっとヘタレ甘ちゃんになっちまうな。

 オレはお前のような甘ちゃんが出来あがる環境がどこなのか気になるぜ。そんなんで成り立つのか?」


「テメェ、この野郎」と言い返すと、ベルカはにやつきながら両手を前に出した。

 ため息を吐き出し自分を落ち着かせて話を続けた。


「何も全員が甘ちゃんてワケじゃない。

 俺はその中でも特に甘ったれで、逃げてばかりいたんだよ。

 逃げて逃げて、逃げ続けて。そう言うクセってのは一度つくと簡単には治らない。

 俺はこっちに来てからも何度か逃げ出した。今も逃げ出したことの延長線上にあるようなモンだ。

 でも、あっちと違うのは逃げることさえも受け容れてくれる人がいたことだな。

 甘ちゃんでも生きていけるような国だったけど、逃げることを許さない雰囲気はあったからな。

 一度逃げ出せば、困ったときに手を差し伸べてくれる人たちも離れていく。

 豊かな社会で困ると言うことがほとんど無い。だから、逃げて離れてしまえばそれで関係はオシマイ。

 ……ん? よく考えれば、甘ちゃんでものうのうと生きていける環境で、逃げ出すような辛いことも無いはずのところからさえも逃げ出したクズ野郎ってことになるな。まぁ俺の話はいいか」


「卑屈になんなよ。辛いことは人それぞれだぜ?

 今の時代、生きること自体が命がけだ。最近は戦争だの独立だので特に物騒だ。

 そんな中じゃ、自分は無限大の苦労を味わってるのに、他人は“その程度”の苦労しかしていない、としか思えねぇんだ。

 自分の方がよっぽど苦労してるんだからまず救済されるのは自分であって、他人は自分と同じほどに苦労しなければ救済される資格など無いってなぁ。

 でも、それはちげぇんだよなぁ。モノの感じ方が違うってのを無視してる。

 お前が辛かったことは確かに辛いことではあったんだよ。他人がどう言おうともな。

 与えられる救済は誰しも等しいもんだぜ? その違いに文句を付けていいのは、多いか少ないかではなくて、有るか無いかだ」


「お前らの言葉とは思えないようなありがたいフォローだな」


「そうとも、オレはいいやつだからな」


 へっへとお互いに笑い合った。


「もしだ。もし、帰る手段が見つかったとしたら、帰りてぇか? 自分のいた場所に」


 寄りかかったセシリアはすっかり身を任せている。小さな肩を抱き寄せて頭を撫でた。


「いや」


 乾燥地帯にいるのでいつの間にか砂だらけになっていたのか、髪の毛はざらついていた。


「帰れたとしても、帰らない」


 ベルカは何も言わず、肩を小さく上げた。そして、長めの木の枝で焚火をつつき、そのまま火の中にそっと放り込んだ。


 焚火は突然放り込まれた枝に驚き、東から濃紺が薄められ始めた空へ小さな火の粉たちを巻き上げた。

 火の粉たちは焚火の上昇気流に乗って空へ登っていくと、すぐに濃紺の中に消えていった。

 その一粒までが完全に見えなくなると、焚火の弾ける音とセシリアの穏やかな寝息だけになった。


 顔に当たる火は温かいが眩しい。

 そっと目を閉じると、左腕と腰に子ども特有の高い体温がコート越しに伝わってくる。

 以前よりも少しだけ冷たくなったその温度を確かめるようにするとセシリアから穏やかな呼吸と遅い心拍が伝わってきた。


 ただ繰り返される呼吸の音は単調で遅く深く、時折乱れて、再び繰り返しに戻る。

 そこに混じる散発的な焚火の音さえも繰り返しの一部なのではないかと境が怪しくなってくると、それをいつまででも聞いていたいとも思った。

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