白く遠い故郷への旅路 第十六話
「あんたらはもう悪さしない」とニヤついた笑顔に返すように笑い返した。
「少なくとも、俺たちだけ、にはだけどな。
セシリアもあんたらに慣れ始めてきてる。よかったな。
あの子は熟睡すると寝相が悪いんだ。今さっき、顔を思い切り蹴られて目が覚めた。同じ方向に頭を並べて寝てたハズなんだけどな」
ベルカは意外そうな顔になり、黙り込んだ。先ほど警戒されていたので和解はもう諦めていたのだろう。
焚火に近づきながら「あんたも寝た方が良いぞ」と言うと「寝られるかよ」と当たり前のことを言うなというような反応をした。
「故郷がそんなに気になるか?」
「じゃ逆に聞くが、お前は自分の故郷をどう思う? 嫌いか?」
ふと、故郷に思いを馳せてみる。思い起こすこと自体、とても久しぶりだ。
故郷。それは日本だ。遠い遠い国で、もう戻ることは出来ない。
こちらに来ておよそ二年経った。故郷では考えられないような経験を積み重ねてとても長い時間を過ごしたような気がする。
尋ねられて思い起こせばあまりにも遠い日々のことで、元から俺はここの住民でありずっと昔からノルデンヴィズで育ってきたような、もはや本当にそのような過去などあったのかどうかも怪しくなってきていた。
もしかしたら俺は自分を異世界人だと思い込んでいるヤベェヤツかもしれないと錯覚するほどだ。
だが、久しぶりに思い返してみれば懐かしさが溢れてくるような気がした。
来てすぐの頃は考えるだけで嫌悪を引き起こしていたが、今では楽しかったことや嬉しかったことも強く思い出すようになっていたのだ。
おそらく、あちらでは味わうことなどないような苦痛――例えば生き死にに直接つながるような経験し、それを死なずに運良く(守護者の加護もあって)乗り越えてきたからだろう。
「嫌いではないかな。こっちに来た頃にはとにかく元いたところにはいたくなかった。嫌いだったんだと思う。
だけど、今思い出してみれば平和な世界で生きてたんだなとも懐かしくなる」
「平和な故郷があるならいいじゃねぇかよ。
オレたちは生まれてもいない故郷が争いの中にある。戻れたとしても家もねぇし家族もいねぇ。
じゃ、いったい何のために戻るのか。わかりもしないのに戻ろうとしてる」
ベルカは投げ捨てるように枝を火の中に放った。
「羨ましい限りだぜ。
で、どこなんだ? その素晴らしい場所ってのは。終わったらそこにでも行って、家族三人仲良く暮らすンだろ?」
皮肉を込めているように、今度は強めに枝を火の中に投げつけた。
「それは理想的かもな」
問いかけにそう答えると、焚火の中の枝が弾けた。まき散らされた火の粉は黄色く、風に舞うとすぐに闇夜に消えた。
「少なくとも俺自身の周りに殺し合いは無かったな。
個人の持つ力が強いかと言えばそうでも無い国だったけど、国家の力が強すぎることもなかった。
普通に暮らす分には国家の力が強くても差し支えなかった。
ある程度の支配の中に自由があった。支配されているからと言って窮屈かと言えばそうでも無くて、安全の保障という形で少し押さえ付けられていたからむしろ生活しやすかったかもしれない。
食べ物の余るほどあったし、暑い寒いで苦しい思いもしなかった」
「なんだよ、ステキすぎるじゃねぇかよ。何がイヤで出てきたんだか。さっさと帰んな、甘ちゃん」
「だけど、もう戻れないんだ」
「なんでだよ。国とケンカでもしたか? んな度胸ねぇだろ。
カーチャントーチャンが寂しがってんぞ。会ってやれよ、親不孝モン。会って嫁と娘を紹介してこい」
「そこはこの世界には完全に存在しないんだ。それに俺はもう死んだことになってる」
異世界の国だなどと言えばどういう顔をするか。その辺りは誤魔化しておこう。
長めの枝をやや乱暴に放り込もうとして大きく上げられていたベルカの腕が止まった。