白く遠い故郷への旅路 第十五話
トンボは夜には来ないだろう。二人はもう余計なことをしない。追っ手も来ない。
北公の勢力はまだ残っているが、もう関係ないのだろう。カルルさんへの言い訳でも考えているのだろう。
少なくとも俺は完全に安心しきっていた。そして、昼間の疲れもあったのか、不用心にもすっかり眠りに落ちていた。
何かが顔の上に乗ってきたことで息苦しさを覚えて目が覚めた。瞼越しでも辺りが真っ暗なのが分かる。すでに時刻は真夜中になっており、自分が熟睡していたことに気がついた。
暗闇の中で目を開けると何かが目の前にあった。確かめるように手で触ると軟らかく、小さな筒のような何かは、寝相の悪いセシリアの右足首だった。
起こさないようにセシリアの右足を除けて正しい寝相に戻し、毛布をかけ直した。辺りを見回すと彼女はもちろん、みんなもしっかりとシートで眠っていた。
アニエスは行儀良く横になっており、長く遅い呼吸に合わせて毛布が上下している。エルメンガルトもその横で眠っていた。
ストレルカはシートでうずくまり、武器を手放さず腕を組んで眠っていた。
だが一人、ベルカの姿が見えなかった。
何処に行ったのかと見回すと、窓の外で灯りが揺らめいていた。窓に顔を近づけると、誰かが焚火の前に座っているのがわかった。多分ベルカだ。
誰一人欠けていない様子に安心して再び眠りに就こうとしたが、どうも寝付けそうになかったので、外に出ることにした。
ドアを開けると冷たい風が吹き込んできた。肌に吹き付ける風が心地よくも感じた。
車内はだいぶ温かく空気がこもっていたことに気がついたが、開けておくと温度が下がってしまいそうだ。ドアの近くで寝ているエルメンガルトが寒さにもぞもぞと動いている。
うるさいエルメンガルトを起こすわけに行かないので、足早に車を出てドアをそっと閉めた。
鼻から息を吸い込むと、木の燃える匂いと乾いた砂の匂いがした。
それらと共に冷たい空気が身体中に広がるような感覚が内側から湧き上がった。肺の中を一瞬で冷やして、そこに流れる血液まであっという間に冷やしていくようだ。
息を吐き出すと白い煙が上った。それを追いかけると、視線の先には満天の星空が広がっていた。
街の灯り一つ無い暗闇の中、乾燥地帯は影で黒一色。夜空が青く見えるほどに黒い。大地よりも青い夜の帳に星々が瞬いている。
夜空を落ち着いて見上げたのはいつ以来だろうか。
アニエスと見たカルモナ以来ではないだろうか。あのときよりも遙かに星が明らかに多い。やがて消えるほどに北上しなければいけない霧星帯もナイ・ア・モモナもまだはっきりと見えている。
夜の静寂は思うほど静かではない。風の吹き込まない装甲車の中の方が静かなのだ。
微かに吹く風が耳元でならす笛のような音に混じり、聞こえるはずも無い夜空の、伸びるような高い音が聞こえてきそうな気がしていた。
「よぉ、起きたか?」
澄ましていた耳に焚火の先客の声が聞こえた。そちらへ振り向くと、ベルカが焚火の傍で膝を立てて座っており、こちらを見て口角を上げて笑っていた。
「熟睡たぁオレたちも随分舐められたモンだな」




