白く遠い故郷への旅路 第五話
“私はちいさいグスリャル。山の下に消えた霧は見えない。ちいさな私が霧を見るには見守る者を高く持ち上げなければいけない。
私はあおいグスリャル。砂の海を下り霧が登れば、水の海を見ることができる。風に埋もれた道をたどり、広がるそこで歌いたい。
私はゆたかなグスリャル。吹きだまりは私たちを守った。緑溢れぬ豊かさは私たちを満たしてくれる。
私はみちびくグスリャル。映すのは氷河、黄色い星が見通す先に道は開ける。”
“山の下に消えた霧”、これはどうやら本物の霧を意味しているわけではない可能性が高い。だが、何を例えているかははっきりしない。
消えたものが見えないのは当たり前のことだ。それから分かるのは、元々見えていたものが何かしらの原因で見えなくなったってことだろう。
“見守る者”ってのはよく分からない。
砂の海は言わずもがな砂漠だ。砂の海を下るってのは砂漠を移動することだろう。
ブルゼイ族の東西南北の感覚は分からない。下ると言えば一般的には南に向かうことだが、長期にわたって文化的に砂漠によって隔てられていたからそうとも限らない可能性もある。
というよりも、少なくとも連盟政府の時代に生きてた人間は禁足地の砂漠については何も知らない。
だから、南に行けば海だという証拠も無い。
移動すれば霧が登るって言うのもよく分からない。
霧は出現に条件が必要で、人が動けばもくもく立ちこめてくるものでもない。そもそも砂漠は移動しようとも水なんか無いからな。
だから、霧は何かの例えだとも言い切れる。
だが、この霧と最初の霧は同じものだと考えられる。
吹きだまりはおそらく山に囲まれた場所を意味しているはずだ。遮蔽物の無い砂漠のど真ん中にあるわけではなさそうだ。
“緑溢れぬ”、つまり不毛の土地。ビラ・ホラだろうな。最後の一節はそのままだろう。ブルゼイの故郷へ導くのはブルゼイの子だけだという意味だ。
“私はとべないグスリャル。大きな背中に運ばれて私は故郷へと帰る。傷つけてはならない。長く生きる彼らには家族が少ない。
私はあわれむグスリャル。平原の愚か者たちは分かつ水の味を知らない。その味は血よりも濃いことは私たちだけの秘密。
私はたゆたうグスリャル。セシリアは民にこの歌を忘れるなと教えて回った。姫の優しさは邂逅の日まで久しく。”
大きな背中、何だろうねこりゃ。動物か何かか? 寒い地域だから動物もデカくなるだろうさ。それに長生きだと家族も多くないだろうよ。
平原の愚か者はおそらく連盟政府樹立前の争いの絶えない時代の住人たちだろう。水の味が血よりも濃いってのは殺し合いばかりしていることへの揶揄だろう。
ここまでの歌はお姫様が忘れるなと言って伝えられてきたものだ。セシリアに五体投地して感謝するんだな。
エルメンガルトの解説が終わると、ベルカが「で、ばーさん」と机に両手を突き前屈みになった。
「わかんねぇわかんねぇと言いつつ随分ざっくり解説してくれたのはありがてぇが、そんでビラ・ホラはどこにあるんだ?」と首を突き出してエルメンガルトに尋ねた。
エルメンガルトは眼鏡の上の縁からベルカをちらりと見上げ、
「そらぁ私が考えるこっちゃないよ。ブレなく訳してやったんだからあんたらで考えな。ま、見つけてくれれば私は後は付いてくだけさね」
と意地悪く笑うと、ベルカは舌打ちをしてクソババァと小さい声でこぼした。
「先生は色々してくれたんだ。さすがにこれ以上は申し訳ない」とベルカをなだめたが、「わかってきたねぇ、洟垂れ小僧、はっは」とエルメンガルトはまたしても挑発してきた。
この先生は相変わらずだなとは思いつつも、気を取り直して意味を考え始めた。
「まずは霧は霧で考えてみよう。霧の発生条件わかる?」
かつてあったアニエスの故郷のブルンベイクに居たとき、しばしば霧が出ていたことがあったのでアニエスに尋ねてみた。
「霧ですか。場所によりますけど、水分を含んだ暖かい空気が冷たい空気に触れて生じるんだと思います。
私の村も春先に霧はよく出ていましたよ。盆地と言うほどでは無いですけど山に囲まれていました。
ビラ・ホラが盆地にあるとすれば普通に霧だとも考えられますが、砂漠に近いから元々水が少ないのはず場所ですよね?
空気中に霧が出来るほど充分な水分量があるとは思えないですけど」
ベルカがアニエスの言葉に繋げるように「それなんだが」と話し出した。
「そもそもの話になっちまうけどよ、そんな環境だってのになんで霧なんてモンを知ってるんだ?
知っているということはごく希に発生してたんじゃねぇのか?
そんで、それを他の何かに例えたとか」




