白く遠い故郷への旅路 第三話
「え」
エルメンガルトの発言に空気が凍り付き、彼女以外の全員が一斉に言葉を失い、エルメンガルトに向けて瞳孔の開いた視線を投げつけた。
それを見たエルメンガルトは両眉を上げて小首をかしげた。
しかし、すぐに何かを納得したように首を小さく振ると、
「ああ、そういえば、そうだったね。最初のヤツは誰かに読まれるよりも前に、シバサキが持っていってゴミにしちまったんだったね」
としかめた顔になった。
無くしたのは俺ではないが、その原因を導いたのは俺たちである。申し訳なさに「ごめんなさい」と咄嗟に謝った。
だが、エルメンガルトは再び紙に視線を下ろすと「しゃーない。何度も謝らんでいい」と気にしていない素振りを見せて話を続けた。
「さて、気を取り直して納得のいかないガキどもに説明してやるよ。
まず、このロバはスヴェンニーの揶揄だ。スヴェンニーが古代の歌に出てくることに違和感が無いと言えばそうでもないが、脱走直後に歌が作られたとしたら多少のズレはあっても問題は無い。
だが、こいつらをロバと言い出したのはこの二百年前後と最近の話だよ。創世記からしたらだがな」
「それはスヴェンニーの友達から聞きました」
「そうかい。ならわかるだろう?
白い山の歌は古代ブルゼリアがあった頃に作られた歌なんだろ。それになんでロバの例えがあるんだい。
それだけじゃない。鳥類信仰は創世記の後に一度廃れてる。
さっき話した通り、スヴェンニーがブルゼリアを去ったのは遙か昔だ。
創世記以降、ブルゼリア形成後数百年のうちに去ったと考えれば、“死骸をついばむ鳥”、つまり、死喰鳥なんて死を体現させたような表現は出てこない。
ライヘレッセン自体、連盟政府が死体に群がる鳥を改めて調べて発見された新種の鳥だよ。
出てくる単語がどれも新しい物ばかりなんだよ」
確かに、数千年前の五大工の創世記からスヴェンニーのブルゼリア集団脱走までは数百年単位の期間がある。
しかし、どれほど期間が空いていようとも、集団脱走が起きたのは連盟政府形成よりも遙かに昔の話だ。
オージーとアンネリに会ったときに話を聞いたことで覚えていた違和感の正体はこれだったのだ。
「どこまで本当だか。全部嘘で塗り固めるってのは結構手間がかかる。
事実に近い物があるとすれば、この“白い石の山”ぐらいなもんか。でも、黄金じゃない全く別の何かだね。黄金郷とはほど遠い」
そして、ラジオの歌詞が語れている紙束をテーブルの上に放り投げた。
「繰り返しになるが、ラジオの曲はほとんど全部デタラメだよ。ブルゼイ族史の権威であるこの私が言うんだ。
大方、連盟政府の誰かが、ブルゼイ族を探らせないために否定的な意味合いを込めてテキトーに訳したんだろう」
しかし、そうであるならばククーシュカにそれを教えたのは誰なのだろうか。
セシリアはオリジナルの歌詞を知っている。だが、ククーシュカはエノクミア語で歌っていた。
巻き戻す以前、本来のククーシュカになるまでの成長過程の間で誰かがエノクミア語の方へと変換していることになる。
エルメンガルトがククーシュカに会っているならば、遭遇したときに思い出しているはずだ。
他にブルゼイ語を扱える誰かがいたと言うことになる。
「先生の他には誰がブルゼイ語を扱えるんですか?」
「さあね、ブルゼイ語習得の許可はほとんど下りないものだ。御用学者なら私と交流があっても良いはずだ。だが、会ったことなんざ一度も無い。
こいつらチンピラもどきのブルゼイ族の話すのも昔とじゃ全然違う。まぁまず連盟政府にゃいないだろうね」
「じゃ誰が訳したんですか?」
エルメンガルトはすぐに「知らんよ」と突っぱねたが、視線を上に向けて左右に動かすと、「いや、待ちな」と何かを思い出した。
「学者じゃないが尋ねてきた奴はいたね。
私が完璧におかしくなる前、確か名前は……テレーズとか言ったかな。家庭教師風の女で突然尋ねてきたね。
乾燥した廃墟の中を歩いてきたはずなのにスカートに埃一つ付いていなかったし、軋む板の間を進んでも足を音一つたてなかったのが不気味だったからよく覚えてるよ。
ブルゼイ語の話が聞きたいとか言ってたな」
「テレーズ? そいつはもしかして眼鏡をかけてました?」
「ああ、そうだね。
左手の甲でビンタしそうなキツい目の上にトンボ眼鏡を掛けてて、小うるさいグヴェルナンテみたいな服装で見てくれはまさに家庭教師だったね。
何もかも怪しいもんだったが、まだ自分の研究成果を認めない政府に対して熱を出してカッカしてたから懇切丁寧に教えてやったさ」
テレーズについて忘れている方がほとんどだと思うので、登場シーンを記しておきます。
「第119部分 旅路の仲間 第六話」に名前が出てきています。