その槍の名は 第一話
「アタシらだけでエルメンガルトのところに行くのかい? イズミの話じゃこの間アタシを蹴り飛ばした女についてた二人の部下が護衛してるらしいじゃないか」
ストレルカのヤツはババァが怖いのか、エルメンガルトの家に行くのを渋りやがった。
無論、用事のある方のババァが怖いわけじゃねぇのも分かっている。
とはいえ、オレも怖くないかと言えばそうでもない。
エルメンガルトの護衛にはユリナとか言う最強の女直々の部下二人が就いていた。
一人は筋肉ダルマジジィだ。アイツの蹴りを顎に食らって以降、思い出すだけで顎関節がイテェ気がする。
そして、もう一人。そいつは見た目はババァだが、骨格からして見るからに強いババァだ。酒場廃屋で乱闘して実力は分かっている。
確かに強いことは強いが、オレたち二人全力でかかれば何とかなる、かもしれない。
だが、筋肉ダルマ一人にオレたち二人は熨された。
今回はその両方が束になってかかってくる可能性がある。素早いババァとパワーでは無敵のジジィが連携のとれた攻撃をしてくればひとたまりもない。
こっちが殺す気で立ち向かっても、ヤツらは殺す気以上の平常心で飛びかかってきやがる。ヤツらに殺す気が無くても今度こそ殺されちまう。
またぶちのめされやしないか、オレも首筋がピリピリするのは正直なところだ。
だが、オレは足を止めなかった。ストレルカの心配が杞憂でしか無いことに薄々と気がついていたからだ。
「安心しろ。この二、三日、ソイツらの気配が全くない。理由は知らねぇが護衛対象から外れたんだろ」
そう言って顎をさすり顎関節を動かして気を取り直した。
「護衛が外れたのはありがてェが、そのばーさん気が狂ってたって言ってなかったか? 大丈夫なのか?」
「さぁな。だが、このばーさんはブルゼイ族の歴史学の権威で、イズミたちが黄金探しでばーさんのことを頼ってるから付けられた護衛だったんだろ? 話くらいは出来んだろ」
「じゃなんで護衛外れたんだよ。いなくなったのはまた気ィ狂っちまったからなんじゃねェの?」
「心配しても仕方ねぇよ。行くぞ、ストレルカ。イズミたちがわざわざスヴェンニーに話を聞きに遠くまで行ってんだ。オレたちだけぼんやりしてるわけにいかねぇだろ」
「あいつらには移動魔法があんだろ。遠いもクソもあるかよ。そういえば、このところ、アタシらイズミの監視も全くしてないな。ちっと甘いんじャないかい、ベルカさんよ?」
オレは確かにイズミには甘くなった。信用したわけではないが、今回に限ってあいつは裏切るような気がしないのだ。
約束を守らないヤツは世の中にごまんといるが、律儀に守るヤツも少なからずいる。
そして不思議なことに、守らないヤツが急に守りだすことも、その逆もある。
何故か。状況によってそいつらは変化するからだ。
自分たちの利益が最低限で補償されていれば守る。自分たちの利益がより得られそうであるなら裏切る。自分たちの利益がマイナスなら約束などしない。
そもそも、約束というのは基本的に相手を下に見ている人間がさせることだ。
守るのが善であり、破るという行為は万死に値する徹底悪であり世界から排除されるという考えから来る義務感を相手に上から課すというものだ。
約束させる側はそれに契約などという名前を付けて、言葉の重みを持たせてさらに足枷を付ける。
だが、破ったところで世界から排除はされることはない。世界からの排除というのは、罪悪感を植え付けるだけの建前だ。
もちろん守ることが一般的とされているから守ったところで聖人になれるわけでもない。
それを誰しも無意識で分かっているから、約束というのは簡単に破られることもあるし、守られることもある。
約束ってのは、ある意味、人間の根幹を成す罪悪感でしか相手を縛れない様なヤツのする虚しい行動だ。契約となんざ、名前を変えてまで必死で笑えるぜ。
別にイズミの野郎とは約束をした覚えはない。あいつもそうだとは言わなかった。
イズミも状況次第では嘘つきクソ野郎になるかもしれない。そうなりゃぶち殺せばいいだけだ。
だが、今回の状況ではどうやらあいつは嘘つきにはならなさそうだ。
オレたちももれなく流動的だ。相手が守りさえすれば、オレたちは死んでも裏切らない。
「あいつの様子じゃ持ち逃げはしねぇよ。そんな器用なヤツじゃねぇのは分かってんだろ」
ストレルカの方には振り向かずに問いかけに答えた。すると「ハッ」と鼻で笑われた。
「裏切りの気配だけでぶち殺してたお前さんにしちゃ随分丸くなったな。アタシも怖かったから気配だけで充分殺してたしな。そのアタシも殺そうとは思わないんだ。あいつァ何かあるのかもな」
ストレルカのヤツは今日はゴチャゴチャとよく喋りやがる。「黙って歩けぇ」と言うと「へいへい」とだけ返ってきた。
オレとストレルカはそれから黙って歩き、エルメンガルトの家を目指した。
ストレルカの足取りは躊躇していた割りに遅くなることはなかった。
相変わらず風は強い日だったが、早雪も終わりが近いのか、オレたちの服装では少しばかり暑い。首に纏わり付く襟を人差し指で引っ張った。
春が近くて浮かれてしまうのはオレたちも人間だってことだ。