黄金蠱毒 第百三十五話
「政府の黒メガネはどうかしたんですか?」
クロエが去るのとほぼ同じくして、背後から聞き慣れた高い声が聞こえた。
子どものような声質で幼ささえある反面、共和国の長官たちやかつての頭目たちのよりもどす黒さのあることばかり話してきたそれはレアの声だ。
遠くから一連の様やりとりを窺っていたのか、レアが怪訝そうにクロエの消えて行った方と俺の顔を交互に見つめながら近づいてきた。
ここまで来て、もうレアが現れないとは思っていない。どれほど忽然と現れようとも驚きはなかった。
俺が杖を持ち上げていることに警戒しているのか、杖と顔を交互にチラチラと見た後に彼女は右手首を折り曲げ袖の内側に回してケーリュケイオンをいつでも取り出せるように構えた。
俺はレアに「よぉ」とわざと気さくに声をかけて「クロエは黄金探しから撤退するらしい」と杖を腰に収めた。
「クロエは、ということはシバサキさんはまだ継続する意思があるのですね」
攻撃の意思は無いことを確認したのか、レアの手首は元に戻っていた。
「そうなんじゃない? 最後まで走るとかなんとか言ってたから」
「なるほど……」と言いながら顎に手を当て視線を泳がせた。シバサキは何故戻らないのかという疑問があるのだろう。
俺にはその理由が何となく分かる。
彼のことだから、以前の依頼放置の件のとき同様にやる気だけはみなぎっているふりをして、結局何もかも放ったらかしにしてフェードアウト、なんてことを考えているのではないだろうか。
レアが考え込むほど重大な理由は考えつかない。
レアは顔を上げると考えるのを止めたのか、「ということは、実質的な障害は取り除かれたわけですね。私としては動きやすくなりました」と前向きになった。
「先ほどカミュと話していたようですが、撤退する話は聞きましたか? 黄金がないことも聞いてます」
なるほど、最初から監視していたワケか。
「そうか。さすが耳が早い」
だが、またしてもだろうなと驚きもない。
「で、あなた方は今後どうされますか?」
「俺たちはまだ探すよ。セシリアの故郷を見てみたいし、見せて上げたい」
それは嘘ではないが、別のこと――この場に顔を出していない唯一の連中の動向が気がかりなのだ。
その連中の代表者がここへ顔を出すなら、きっとあの野郎が糸目の笑顔で現れて、空気をあえて読まずに、こんにちは、皆さん、とか抜かしながら飄々とした態度で近づいてくるはずだ。
こういうときはやたらと早いのでもう既に現れていてもいいはず。しかし、他は全て来たというのに現れる気配すらない。
レアはそれを知るよしも無さそうに「随分のんびりしていますね」とジトッとした目で見つめてきた。
だが、すぐに表情を戻して腕を組み鼻から息を吐き出すと
「ですが、和平をどうするか、その考えあってのこととと私は捉えますよ。
これ以上何度も聞くのは美学に反しますし、行動を監視している以上、何か考えもあるようですしね。
私もこの辺りにもう少しいますよ。組織的に、任務中断すぐにハイさようなら、と出来るほど甘くは無いので。
それにあなた方にまたヴァーリの使徒が送られても困るので。何か用事があれば、私にダイレクトに連絡してください。では」
と小さくお辞儀をして背中を向けてクロエとは反対方向に歩き出した。
レアはあるのかないのかわからない用件を済ませると帰り始めた。
軒並み撤退を伝えに来た組織の代表たちに交じり、自分たちも黄金が無いことを知った上での行動を怪しまれない為に顔を出したのだろう。
彼女の対応は思いのほかあっさりしていた。俺たちが何度もあちこちの撤退を聞かされていたので、俺たち自身の対応があっさりしていたからなのかもしれない。
レアの小さくなっていく背中を見送った後、ふと辺りを見回すとクライナ・シーニャトチカは再び静けさを取り戻していた。
誰がいようといまいとこの村は静かで、あるべきは砂と風の音だけなのだ。異質な雑音を上げ続けていた俺たちが全て帰路に就けば、やがてはそれらがまたこの辺りを支配する。
穏やかだった風は再び強く吹き始め、乾いた砂の舞い上がる音とそれが廃屋を吹き抜けて鳴らす不穏な混声合唱ような音を背中に当ててきた。
残るただ一人、現れてもおかしくないはずのあの男の気配は全くない。
待つだけ無駄だろう。身体も冷え始めてきたので家へと入った。