黄金蠱毒 第百三十四話
「おい、大丈夫か?」
声をかけると顔を上げた。しかし、クロエは何も言わない。
額には脂汗が浮かび、強烈な痛みに小さく震えている。大丈夫かと尋ねられてハイと答えられる状態ではないのは、見れば分かる。
火傷の痛みは、その大きさにかかわらず耐えがたいものがあるのだ。俺もかつてユニオン独立式典の際のテロで右腕全体に火傷を負ったのでよく知っている。
「やり返さないのか?」と自分ならするわけもないのに尋ねてしまった。
クロエは痛みには慣れているとはいえ、痛いものは痛いのだろう。
こめかみが膨らむほどに奥歯を食いしばりながら睨み上げてくると、
「わ、私は諜報部員。過剰な殺生は目立つ原因。それでいて彼は上司。極めつけに、彼は無能。
私はデスクワークが中心ですが、一通りの訓練は受けて一般人より遙かに腕力も忍耐力もあります。
そんな私が彼を傷つけてしまえば、いくら不思議な力で不死身であったしても、それはただの傷害。
無能を傷つけて出来るのは汚名だけ。名に付いた傷は永久に治りません」
と無理矢理な笑顔を作った。
見ていられずに「ホラ、腕見せろ。腕」と言って火傷した腕を引っ張り上げた。
ボレロの袖がまくれ上がると、火傷の部位が見えた。
前腕部肘窩から掌に向かって五センチほど、腕橈骨筋と円回内筋が合わさる辺りの皮膚が丸く盛り上がり、真皮まで露出し、血と腫脹で傷口の周りは赤くなっていた。
タバコの灰や焦げた組織が付いているのか、黒い点が傷口の中に付いている。傷の周りにも水ぶくれが出来ている。
どれほど強く押しつけられたのだろうか。見ているだけで痛そうだ。二度か、ほとんど三度熱傷だろう。
大きさから言えば脱水は起こさないだろうが、小さな傷だと言って放っておけば確実に重篤な細菌感染を起こしてしまう。
乾燥地帯は風で砂が服の間にまで容赦なく吹き込むので衛生状態もあまり良くない。敗血症にもなるかもしれない。
だが、幸いにも出来たばかりなので砂などでは汚れていない。風も吹き付けていないので、デブリドマンをして焦げやら灰やらを除いて治癒魔法をかければ、瘢痕を残さずに治せそうだ。
渡した魔石に込められている程度では少し足りないだろう。掴んでいた手首を左手に持ち替えて「こんなんで放っとくわけにいかない。治してやるから大人しくしてろ」と俺は杖を持ち上げた。
すると、クロエは「結構です」と杖ごと俺の手をはねのけようとした。だが、俺は手首を強く掴み、無理矢理たぐり寄せて治癒魔法をかけた。
力を込めたことで傷に少し痛みが走ってしまったのか、クロエは「いうぅっ」とまたしても悲鳴を堪えるような声を上げた。
「無理すんな。痛いんだろ。放っとくともっと痛くなるぞ。
あんたが無傷で帰れないで、他の聖なる虹の橋がけしかけられても困るんだよ」
クロエは首を背けながら舌打ちをしたが、それからは暴れることも無く治癒魔法を受けていた。
しばらくかけ続けて治り始めたとき、「もう、終わりね」と囁きため息を吐きだした。遠くを見るような眼差しになると「あのスヴェルフがうらやましいわ」と言ったのだ。
「あ? 何だよ? まだだよ。待てって。あと少しだから。ハンパにやると痕残るぞ」
クロエに何気なく尋ねると「あら、失礼。独り言です」と作り笑顔になった。
それから五分ほどかけ続けた後に治癒がほぼ完了すると、クロエは「イズミさん。さすがお上手ですね」と言って前腕を確かめた。
火傷はすっかり治り、やや赤みが残るだけになっている。ここまで治して後は赤みが退けば、もう何も残らないだろう。
「ありがとうございます。ですが、今のの貸しは無しですよ? あなたが一方的に治したのだから。またどこかで会うことになるでしょう。そのときコーヒーでも奢りますね」と満足そうに袖を元に戻した。
「おう、そーだな。じゃ一昨日来やがれ。もう大丈夫だろうけど、よく冷やしとけよ」と俺が魔方陣を解除すると、クロエはふふふと笑った。
そして、「引き続き黄金探し頑張ってください。徒労に終わらなければいいのですが、では」と言うと背中を向けて数歩進み、吹いた風で舞った砂埃を避ける為にした瞬きの間にどこかへ消えていった。




