コウノトリは白南風に翔る 第九話
人とそれ以外が蠢き、さまざまな野望が渦巻くこの大きな世界からすれば、秘密を言わないでいてほしいというただの口約束は、本当に些細なことだ。たとえば1,000,001の1を切り捨てるように、大きなものの前にそれは無に等しいのだから、無視してしまえばいい。
でも、そのようなことは俺にはできない。なぜなら、勇者だ、賢者だと祀り上げられて、どれほど力を与えられようとも、何かを成し遂げたわけではない俺は1で精いっぱいの小さな一人の人間でしかないからだ。
その小さな人間が持ち得るのは小さな器でしかない。そこに注がれた秘密はどんなものであっても、その器ではあふれてしまうのかと思うほど量になる。そして意図せずともこぼれてしまいそうなそれは、少しでもこぼせば足元をすくう。
それだけではない。
誰かに秘密を教えられると、信頼を得られたと勘違いする。しかし、その信頼も実のところはまやかしでしかない。その癖に、一度秘密を洩らせば―――器からこぼせば―――まやかし以上の信頼を失い、取り戻すのは不可能に近い。
目先のことで手いっぱいの俺たちは約束を守るという最低限のことしかできない。
だから、せめて自分自身が守れるくらいのことは、皆同じようにしてほしいと俺は願っていた。
しかし、恐れていた事態が起こった。
若い二人の錬金術師の約束は、老いた僧侶によっていとも容易く破られた。さらにこの僧侶は自らの行いを善き行いだと思い込んでいる。
俺はこの僧侶を、ワタベをこの場で咎めればいいのだろうか。でも、彼は若手の話など聞かない。言わないよりましだ、は聞く耳を持つ人だけに通じるものだ。
そして何より秘密は破られてしまったのだ。もはや彼を責めたところでシバサキがその話を忘れるはずもない。シバサキはターゲットを二人に代えて以来、これまで気おされ気味だった。それでも追い詰めようと躍起になっていた彼は口撃材料探しには敏感なはずだ。この話題を揺さぶりに使わないはずがない。それを思うと、これからシバサキは二人に何をするだろうか。想像するだけで寒気がする。
職業会館に入り、依頼の貼られたボードを見ていたシバサキのもとに全員が集まった。するとシバサキはちらりとアンネリのほうを向くと、
「あれ? まだいたの? 具合が悪いなら帰っていいよ。さっさと帰ってザリガニみたいにガキばっか作ってればいいじゃない」
と言った。そしてすぐに掲示板のほうへ向き直り、
「あ、この依頼、なかなか報酬が高額だなぁ。でも、危険度高いなぁ。体調悪い人がいると受けられないなぁ。ああー、妊婦なんかいなければもっと稼ぎのいい依頼受けれたんだけどなー」
と明らかに差別的なことを聞こえるようにわざと言った。アンネリは嗚咽をのどに押し込めるように下唇を噛んでいる。今にも血が出てしまいそうなほどに。
悔しがる反応を見ていたシバサキは口角を上げて笑った。
「なんだよ。文句あるのか?僕がお前の体調に気を使っていることにも気が付かないの? やっぱエロいことしか考えていんだなー」
そして、満足そうな表情のシバサキは再び依頼のボードを見始めた。
どうやらシバサキは、二人の反応を見て、子どもができたことを理由にクビをちらつかせたりすることが、これまで何を言っても堪えなかったこの二人への口撃材料にできると気が付いてしまったようだ。
それから一日中、二人は差別的なことを言われ続けていた。
俺やレア、カミュで何とかシバサキから距離を取らせようと必死になったが、引き離せば離すほどシバサキは声を荒げた。それでは彼女を侮辱する声を周囲に聞かせてしまうので逆効果だった。
シバサキの離れても減らない口をふさぐには一発殴ってでも止めるべきだったのかもしれない。しかし、ククーシュカのように力の調節ができないうえに、誰もが感じた怒りの感情が振り下ろす腕へ力を乗せてしまい、闇雲にぶん殴った挙句ただの殺人犯が出る可能性があり誰もできなかった。
ワタベは、チームを円滑にする担当を自称していたはずの彼は、確かに依頼に参加していた。シバサキのアンネリ、オージーへの扱い、態度はすべて目の当たりにしていた。誰かから盗み聞きして知ったわけでもなく、文字通り目の前で。
しかし、彼はシバサキに対して何一つ言わなかった。俺はどこかで彼がシバサキを注意すると期待していたのだろう。なぜ何もしないのか、と思いながら、どうしようもないやるせなさに苛まれて一日が過ぎていった。
そして、解散間近に俺はワタベに話しかけられた。シバサキの依頼報酬受け取りを待機している間、ワタベはまたしてもいきなり俺の肩をつかみ、無理やりラウンジの端へと移動させられた。
「イズミくん、今日一日様子を見ていたけど、どうやら二人とはまだ仲直りがきちんとできていないようだね。二人はまだ心の中でもやもやしているようで、ほかの人からかけられた言葉の裏側の意味をくみ取れていないようだ。君にもあるだろう?落ち込んでいるときに掛けられた言葉が攻撃的に聞こえてしまうときが。二人は本当にやさしい人間だ。君から積極的にコミュニケーションをとっていくべきだよ。今日はもうおしまいだが、明日からまた仲直りをしよう。大丈夫、わしも手伝うからな」
ワタベは肩をたたくと目を細めた。こいつは一日中何を見ていたのだろうか。湧き上がる気持ちは表情や行動に出さずに抑えられたが、思ってしまったことは言わずにはいられなかった。振り返り、立ち去ろうとしたワタベを呼び止めた。
「あの」
「何かね? 方法が気になるかね? そんなのは簡単」
「いえ、それではないです。今日の昼間のシバサキさんの二人への態度はマタハラではないのですか?」
ワタベは目をぱちぱちとさせ、俺を見ている。そして下を向くと額に手を当て擦りだした。
「うーむ……、どうやら君は人の気持ちを理解するという力が足りないのかもしれないね……。共感、というのかな。生まれ持ってきたり、育ち方だったりだからもはや仕方ないのかな。それにどうやらマタハラの意味を違えているようだね」
落ち込んだようなそぶりをさらに見せて、鼻から大きく息を吸い込むと話を続けた。
「少し教えてあげよう。シバサキくんはね、アンネリくんの体調を気遣ってああいう言い方をしたんだよ。あの錬金術師二人は極めてまじめで、それゆえに頑固なところがある。だから少し強めにいうことで自分の体を大事にしろと言ったのだよ。確かに彼は不器用なところがあって言い過ぎるところがある。でもそれはメンバーが大事だからこそそうなってしまうのだよ。だからわしらメンバーも彼の心の内を察し、思いやる必要があるんだ。それに、彼は勇者であり、リーダーだ。上に立つ人間はすべてにおいて考えてものを言っているのだから、彼のそれはマタハラ、それどころかどのハラスメントにもならないのだよ。正しい意味を理解していないとこれから大変だよ。不必要な争いに巻き込まれてしまうかもしれない」
そして俺の肩を再び叩いた。
シバサキは以前、上司は部下を思いやる必要はないと言っていた気がする。片思いでもしていろということか。いや違う。部下は確か奴隷だったな。
「今日はもうおしまいだ。明日からまた仲直りをし直そう。手伝うから大丈夫」
言いたいことは山ほどある。だが、俺はワタベの言っていることを、のどに詰まる言いたいことが邪魔で飲み込めなかった。間違っているのは俺なのか。そう思うと、何を言ったいいのかわからなくってしまった。これ以上話すのは疲れる。それに一日であまりにも色々なことが起こり疲れ切ってしまっていた。
いつかのように背中を押されドアのほうへ追いやられると、ドアをそのまま開けて家路についた。
読んでいただきありがとうございました。
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北欧ってなんかいいですよね。スウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーとか結構モデルにしてます。