コウノトリは白南風に翔る 第八話
カトウはシバサキチームを辞め、冒険者を辞め、ウミツバメ亭で料理人になる。職業会館に提出する辞める手続きの書類をまとめた。
チームも正式に八人になる。その手続きも必要になる。
職業会館は商会と金融協会の両方の息がかかっているので、そういうのが非常に厳しい。カトウの新しい勤務先は業種も業態も違うので、新しいところでの契約などの手続きはそちらに任せることにしよう。
俺は書類を作成してあっという間にシバサキのサインを貰った。彼からサインを貰いづらい、ということはない。彼はサインに関してはほぼ無関心で、書類の内容を一切見ずに、ん、と頷いたのか呻ったのかわからないような返事をしてさらりと書いてしまうのだ。
難点があるとしたら話しかけるのが面倒くさいだけだ。俺はやったことはないが、レアやカミュはシバサキに決定させてはいけない重要案件(頑なに譲らない報酬受け取りを除く)を、彼の意見なしにサインを得たりしているらしい。
一度に大量に持っていくことがノーチェックサイン成功の秘訣らしい。最近は少なくてもうまくいくようだが。社会的に非常にまずいことではあるが、彼に任せると期限超過や経費負担増大、そして時間外の緊急連絡には一切出ないので後手後手になり、大陸移動でできた山脈のようなしわ寄せが年度末にくるなど別の問題が発生してますますややこしくなるらしいので、厳しいはずの職業会館のスタッフも黙認しているようだ。レアとカミュが戻ってくる前はどうやりくりしていたのだろうか。
それが可哀そうなのか、なんなのか、俺にはわからないが、きっとシバサキはカトウが辞めたことも知らずに過ごしていくのだろう。
ウミツバメ亭横の家も追い出されて、シバサキはどんどんカトウから離れていく。それでいいじゃないか。
カトウの件はひと段落して、少しだけ気持ちが楽になっていた。たまに飲みたくなる牛乳の多めのコーヒーを飲んでも下すことはなくなった。彼のことを女神に伝えたとき、アンネリの妊娠の話は報告しなかった。例の件の犯人捜しに集中してもらうことで、いずれ解決できるような気がしていたからだ。
早い時間に目が覚めて、天井の模様を見ていた。何度も何度も見たが、見るたび変わるそれをきちんと記憶したことはない。まだ暗い部屋の中でベッドのごろごろ転がり、これからを考えていた。何を考えるのかというとアンネリ、オージーの二人についてだ。しかし、結論は出るわけもなく時間だけが過ぎていく。ここ数日、起きるとそれを繰り返していた。
再び天井を見上げて模様を見始めた。先ほどと同じ模様はないか見るも、それはどこにもなく、一か所が人の顔に見えて気味が悪いだけだった。
そうしているうちに二度寝をした記憶はないが、いつのまにか出発時間も迫り俺は着替えて出かけることにした。
カトウとの話し合いをした日以降、時々雨は止むことがあった。晴れ間はあの一瞬以来訪れていないが、雨はやみ曇り空のことも増えた。重たい曇り空の下、水の流れた跡のある久しぶりに乾いた道をあるき、まだ残っている水たまりを避けながら集合場所へ向かった。
集合場所に着くと珍しい人がいた。ワタベが来ていたのだ。途中参加や来ないことが多くなったのでこの集合場所では久しぶりに見かける。ひょっとしなくてもあの話し合い以来だ。
「ああ、おはよう。イズミ君。どうかね? 仲良くやっているかね?」
「おはようございます。ええ、まぁそれなりに」
「その調子ではイマイチのようだね。和解をしてから時間も経ったしもう二人は怒ってはいないと思うけど、揃ったときにまた様子を見るとするよ。わしに任せなさい。大丈夫だから」
目を細めて微笑みながら俺をのぞき込んでいる。ワタベの顔は確かに微笑んでいるのだが、下がることのない目じりが作り笑いのようだ。ドラマでよく見かける、警察の取り調べのシーンに出てくるアメの刑事のような、悪人にだけ向ける、笑っていない笑顔だ。邪険にするのも中途半端で、取っつき辛さに困ってしまっていい加減に肯定してやり過ごすことにした。
「雨は止んだね。天気が悪いと動きづらいから助かったよ」
「そうですね。傘は邪魔になりますからね」
「傘なだけに嵩張ると、ははは」
気さくに話しかけてくるがどうも乗り切れず、そのうえダジャレとは反応に困る。実はこの人と初めてまともに話したのは、あの話し合いの前後からだ。
参加したての頃は同じチームながらあまり話すことはなく、次第にワタベが来る機会も減っていったので会話の場は減っていった。そして作文用紙一枚分くらいに言葉を交わした(聞いた?)のは、この間の話し合いが初めてだ。
知り合い未満の顔見知り、その上ほぼ話したこともない人に怒られてしまうと、時間経過で相手の怒りの感情は収まったとしても、俺は無意識下で第一印象を固定してしまってその後のやり取りが非常に難しくなる。
笑うに笑えず、声だけの愛想笑いをした後、何も話すことができなかった。
そうして沈黙が過ぎていき、人が次第に集まり始めた。
しばらくして全員が揃った。するとワタベは待ちわびていたかのように、両手を広げるとわざわざ輪の中へ歩み出た。そして、中心に来ると広げていた手を閉じ、手をもみだした。全員こちらを見よ、という衆目を集めるような仕草だ。左右を見て確認すると口を開いた。
「ああ、アンネリ君、体調はどうかね? 子どもができたそうじゃないか」
その瞬間、若手の空気が凍り付いた。
いとも簡単にワタベは秘密をばらしたのだ。皆に聞かせるように、皆に聞こえるように。
そして若手の反応など見向きもせず話をつづけた。
「へへーっ、いやまったく、うれしいね! 本当に! 初めて聞いたときはまるでわしに孫ができたようなのかと思うほどうれしかったよ!」
へへーっと笑う声は裏返り、見よがしに嬉しそうにしている。まるでいいことなのだから秘密にしていては勿体ないとでもいうような、ほころんだ顔をしている。広場にいた人が何事かとこちらの様子をうかがうほどに声も大きい。
アンネリとオージーの事情も知らずに、自分のしたことがまるで良いことであるかのような態度をとっている。なんという勘違いした善意の押し付けだ。
「え……、あの、それマズいのではないでしょうか?」
レアが小さな声でワタベを止めようとした。
「あーっ!! ごめんごめん! そうだった! 秘密だったよ! いやすまない! わっはっは!」
目を見開いて大げさに両手を上げた。芝居がかったように大きくわざとらしい反応だ。手のひらをポンと叩き、それから後頭部を掻き始めた。みんなに幸せを伝えてあげたぞ、秘密だけど幸せなことだからいいよね、というような何かをやり切ったような表情だ。
言い知れぬ重たい空気と沈黙が訪れた。アンネリ、オージーは無表情で、カミュは眉間にしわを寄せている。そしてレアは動揺を隠せないようだ。俺もただその沈黙に紛れることしかできない。
するとシバサキはふらつきだし、おでこを抑えながらアンネリに一歩近づいた。
「あのー、さ、意味不明なタイミングで子どもを作るとか、本当に何考えているの? 誰もそんなの許可してないよね? タイミングってわかる? これからってときにさぁ……」
両手で顔を覆い擦ると、眉間を抑えながら続けた。
「僕はもう知らないけど、お前たちは僕のどこか知らないところでまた別の上司にこうやって叱られるんだろうね」
妙に落ち着いていて、息を吐きながらそう言った。それはまるでクビをちらつかせたような言い方だ。アンネリは歯を食いしばり始めた。
「あたし、辞めませんから、絶対に」
シバサキはアンネリの表情を見て黙った。どこか不気味に動きが止まった。そして、これまで何を言われても表情が乏しかった彼女が感情をむき出しにしているのをまじまじと確かめるように。しばらくすると背中を向け、鬼気迫る表情のアンネリを無視して職業会館へと歩みだした。
「ホント、この世界の危機だってのに色ボケてんな」
そのあとにワタベが、うむと呟きシバサキに続いて行こうとした。すかさずレアは追いかけ、彼を呼び止めた。
「ワタベさん、待ってください。なぜアンネリさんの秘密を守ろうとしなかったのですか?」
名前を呼ばれて気が付いたのか、一度空を見上げた後のらりくらりとレアのほうを見たワタベは、怒りに満ちたレアの顔をみると不思議そうな顔をした。立ち止まり彼女のほうへ向き直り、目線の高さを合わせるように屈んだ。
「おや、どうしたレアちゃん。何をそんなに怒っているんだい? おじさんに話してみなさい」
「約束を守れないことに対して怒っています」
ワタベは、あぁとため息交じりに下を向き、何かをわかったかのようにそうか、そうかと頷いた。
「大人はねぇ、色々あるんだよ。アンネリ君の秘密はそのままにしておくべきではないんだ。いずれは言わなければならないことだ。それに、子どもができるということはとても、とても喜ばしいことなんだから秘密にしておくなんてもったいないじゃないか。だからわしが悪役を買って出て、秘密を破ってでもみんなに祝福してほしかったのだよ。表情は硬いが二人も心の中ではきっと感謝しているに違いない。それに話し合いの場を設けたおかげでイズミ君と二人は元通り仲良しだ。結果的によくなったじゃないか。それの何が気に食わないんだい? お嬢ちゃん」
「これは非常にデリケートな問題です。本人の口から言うのを待つという選択肢はなかったのですか?」
「それじゃいつまでたっても何も変わらないよ。大事なのは変化だ。若いからきっと受け入れられるよ。大丈夫だと二人を信頼したから隠す必要はないと思ったのだよ」
レアの吊り上がっていた眼は徐々に元に戻り、ワタベが口を開くたびに光は失われ、乾き、そして凍り付いていった。まるで分厚い雲に覆われ、二度と春の訪れない極地の冬のようなまなざしだ。
「確かに今回は言うまでに時間を要しそうでした。ですが、裏切った相手に信頼を求めますか。年上だから自分への信頼はあるという思い上がりも甚だしいですね」
ワタベはレアの言葉が琴線に触れたのだろうか。刹那の間に眉間にしわが寄ったように見えた。しかし、それもすぐに元に戻り微笑みだした。
「君はいちいち素直じゃない子供だね。可愛げがないとこれから大変だよ?ほら笑って笑って! ニコニコ笑っていれば何にもできなくてもちやほやされるからそっちのほうが人生楽しいよ! すまぁいる!」
レアは首を傾けると、体を横に向けた。そして彼の顔から視線を流すと呆れたように言った。
「……やはりハナズオウの杖主は伊達ではないですね。口に出せば出すほど価値を失う、信頼という言葉の背反をご存じですか?」
ワタベはその言葉についにしびれを切らしたようだ。がばりと勢い良く立ち上がり腕を組み、顎を引いてレアを見下した。
「なんなんだ。さっきから。わしはね、君なんかとは違って何倍も生きているんだ。だから、君よりも多くを見て経験して、知っている。君のような子供商人のかじった程度の知識なんて誰も信じないよ。実践に勝る知識などないのだから。大人をからかったらいけない。そんなことを言い続けていたら、どれだけ可愛くてもみんな愛想をつかしてしまうよ」
立ちはだかるワタベの影の中にいるレアは動揺一つ見せない。見下ろされているのをにらみ返すかの如く見上げている。
「わかりました。その杖の木の言葉に従い、咲く花はどこまでも紅くなるでしょうね」
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