コウノトリは白南風に翔る 第七話
席に着くなりアンネリは言った。
「ワタベさんにあたしの話をした覚えはありませんが。なぜ知っているのか説明をしていただけますか?」
知りえないことを知るワタベを、背筋を伸ばして見据えた。手は膝の上に置かれ彼女にしては珍しくおとなしそうにしている。一見行儀よく冷静にしているように見えるが口調は棘があり、憤りを隠すだけで精一杯のようだ。すぐ隣に座ったオージーは、腕こそは組まなかったものの少し威嚇するような眼差しをして、向かいに座る男を見ている。ワタベはグリューネバルトと同じか少し下くらいの年齢だろう。だが、二人にすれば師とは比較にならないほど覇気が違うのだろう。
話し合いの場は次の日にすぐに設けられた。
ワタベは俺を帰した後、職業会館に残っていた錬金術師二人をすぐに捕まえて日程調整をしたらしい。二人は最初イズミとの話し合いについていつがいいかと、何についての話し合いかを言わずに唐突に相談されて混乱したとのことだ。意味が分からない、何についてかと二人が問うと、アレだよ、アレとワタベが返し続ける不毛な問答がしばらく続いた後、アンネリの話についてだと彼がしぶしぶ言い始めたそうだ。そして融通の利かない者を見る不機嫌な顔で、それぐらい察しなさい、と言われたらしい。
話し合いというあいまいな言葉で誘導をかけて、心の中にあるイズミと言い合いをしてしまったというわだかまりを揺さぶり、当事者側自身の口から話を引き出そうとしたのだろう。そうして本題の明言を避けて自分が盗み聞きしていたことを誤魔化そうとしていたのではないだろうか。
その後、いつがいいかと早口になったワタベに二人は捲し立てられて、彼がどこで知り得たかを追求することはできなかったようだ。
夜になり、接点を弄る占い師とそれを振り払う客のようなやり取りがなされていたなど知りもしない俺はベッドで寝転がり窓ガラスについた雨水が垂れるのをぼんやりと見ていた。するとワタベから連絡がきた。内容は話し合いの日程についてであり、明日の時間ができたとき、と具体性に欠けるものだった。本当に日程調整したのか怪しい気もする。細かい時間について問い直したが返信はなかった。とりあえず行くしかないようだ。
おそらく話がややこしくなるだろうから何か対策をしたほうがいいのだろうか、と悩んでいたところ、オージーとアンネリからも連絡が着て、ワタベに言ったのは俺かどうかを問い詰められた。やや怒り気味のアンネリに、俺は帰り際に肩をつかまれて日程について話しかけられたことと、彼女については何一つ言っていないことをそのまま伝えた。もちろん盗み聞きをしていた可能性についてもだ。彼女は怒りに任せて話を聞かずに暴れる性格ではないのですべてを話すと理解を示してくれた。
そして、明日はどうするのかをオージーに相談したところ、成り行きに任せることになった。我々の中で話はついている。だがそれを理解してもらえないのならば表面上はワタベに言われたとおりにしようとなった。負担ばかりですまないと二人に謝り、その夜は気にしないで寝ることにした。
話し合いの日の雨は朝から強まり、受けられる依頼は緊急のものも含め全くなくなり、職業会館で一日待機という歯がゆいものになった。空いた時間は丸一日あったが、ワタベは例によって現れず、夕方が近づいたころに忽然と職業会館に現れた。
そしてしばらくして一応の解散時間になると俺と二人は職業会館の会議室に集められた。部屋の中には四人掛けのテーブルが置かれ、俺の隣にワタベが座り、向かいには無表情の二人が座った。時々瞼が痙攣し見るからに苛立ちを隠せないようだ。
アンネリの追及を聞いたワタベは額や眉を触りだした。
「ちょっと、ちょっと。いまはそんなこと話す場所じゃないよ。話すべきことはイズミくんのマタハラ……マタニティハラスメント、あぁわかんないか。妊婦さんに対するいやがらせを意味するんだけど、彼のしたその行為について話し合う場所なんだから」
そう言った後、ワタベは小さな声で、ホラ、と囁き、俺の脇腹を小突いた。
「モウシワケゴザイマセンデシタ」
ワタベは話し合いが始まる前、俺に『わしが何か言った後、すかさず、申し訳ございませんでした、というんだよ』と指示をあらかじめしてきた。このように繰り返し謝ることが事態を収めるための有効な方法らしい。確かにこれはとりあえず謝るという、怒られたときにするべきと世間一般で言われているものと同じだ。
話し合いとは銘打ったもののアンネリ、オージーは何か意見を言うことはなく、ワタベが中心に話し続けるだけであった。
内容は、異世界人の二人にマタハラとは何かと説き、どういったものがそれに該当するのか、それに照らし合わせて俺がしたことを挙げて、それに対してああしたほうがいい、こうしたほうがいいと持論を展開した。
持論と言っても自分たちは何もせず、本人の意思に任せて好きなようにやらせるだけという放任主義的なことしか言わなかった。妊婦自身の体調管理のことについて言及はしなかった。かつて彼がいた会社で起こったマタハラの騒動について話始めると脱線し、どこで何をしていたのかという過去の話にもなった。
冗談を混ぜつつ一人笑いながら滔々と話を続けていた。
その間も彼自身の話でも冗談であっても間ができるとすぐさま俺は、申し訳ございませんでした、と合いの手を入れた。話し合いの中で何度も何度も繰り返すうちに、何について謝っているのかいつしかわからなくなっていった。それでも針が飛んで同じところに戻ってしまう壊れたレコードのように謝り続けた。成り行きに任せるつもりでいたが、これだけただ同じ言葉を繰り返しているとさすがの二人も気分を害してしまうのではないだろうか心配で仕方なかった。
話し合いは一時間を過ぎるとまとまり始めて、最後は、ワタベが俺とアンネリに握手をさせて終わらせるという奇妙な幕引きをした。その時、アンネリは眉をひそめて困惑した表情をしていたが、俺は一体どんな顔をしていたのだろうか。握手が終わるとアンネリがワタベに向き直った。そして、それまでの表情とは変わり、冷たい目をした。
「ワタベさん、あなたがどうやって知り得たかは責めません。ただ、約束してください。あたしの妊娠のことに関して、シバサキさんには報告をしないでください」
「責めるって……、わしは何も悪いことはしていないじゃないか。君たち若手のためを思ったからこそ動いたんだよ。とにかく、その件は分かった。約束しよう」
彼女の言葉にワタベは目を閉じてうなだれた。まるで子どもの駄々をやむを得ず了承したかのようだった。
彼女がワタベに口止めをしたのはクビにされたくなからだ。だが、俺の中ではそれ以上にその事実を知ってしまった場合、シバサキが何をしだすかわからないという不安のほうが大きく、彼がうっかり言ってしまわないようにと願うことしかできない。
そして解散となりワタベはそそくさと帰っていった。
それを見送るとオージーは俺に話しかけてきた。
「こんなタイミングで悪いが、これは招待状」
そういうと小さな封筒を渡してきた。その封筒には二匹のかわいい猫の絵が描いてあった。一匹は眼鏡でもう一匹はリボンを点けている。
「ボクたちは正式に夫婦になることにしたよ。パーティーの日取りは中身を見てくれ。来てくれると願っているよ」
描いてある仲睦まじいその二匹の猫はオージーとアンネリなのだろう。
「このところ、停滞気味で暗い話ばかりじゃないか。これが息抜きになるといいのだけど」
疲れていた俺は受け取るとやつれた顔をして黙ってしまった。見かねたオージーが不安そうな顔をした。
「イズミくん、大丈夫かい? 今回の件は気にしないでくれ。ボクが言えた義理ではないが」
「それでさ、あんたが落ち込んでるのって、さっきの話し合いについてだけじゃないわよね?」
その夜、俺はベッドで横になりながら招待状を掲げて見ていた。封筒を裏返しにしたり、光にすかしたりしながら、結婚か、とつぶやくと、その厚みに違和感を覚えた。
つまんでいた親指と人差し指に力を込め少しずらすと、手から離れた二通の封筒が顔の上に落ちてきた。封筒の糊で連なりそれに気づかず二人分渡したのだろうか、と思ったが、思い起こせばこの封筒はカトウに会いに行けと言う前に渡されたものだ。
そのあとにカトウの話をしてきたということは、オージーは最初から俺を彼のところへ行かせようとしていたことに気が付いた。
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