黄金蠱毒 第九十九話
ベルカとストレルカを解放してから二日が過ぎた。
思った通り、と言うほど日数が経過したわけでもないが、彼らが現れる気配は無かった。
これまでのような襲撃の懸念は完全に無くなったと判断していいだろう。確かに命に関わる懸念事項が減ったことで気は軽くなった。
だが、俺たちは別のことで感じている気まずさに押しつぶされそうになっていた。
「全然進展が無いようだね。あんたたちは集まるだけ集まって喧嘩してるだけじゃないか。
怪我するためにこんなクライナ・シーニャトチカくんだりまでわざわざ来たのかい?」
エルメンガルトはセシリアがいるときはタバコを吸わない。彼女なりに気を遣っているのだろう。
しかし、やはり切れてしまうと落ち着きが無くなる。ソファに座り足を組み、その組んだ右足先を小刻みに動かしている。
それが癖であるのは何度も見てきたので知っているが、このときばかりはが俺たちのしでかしたあることに向けられているような気がして、怖くて仕方がなかった。
「歌の解析が完全に行き詰まってます。ラジオの歌は言語がエノクミア語でかなり意訳されていて、何が何だか分からないんです」
それを聞くとエルメンガルトは驚いたように目を開き、顎を突き出すように首を下げた。
「この間、戻してやったじゃないか。それでもわからないのかい?
エノクミア語からブルゼイ語に変換して、単語文法ごと口語文語、考えられる比喩表現、スラングまでまとめて対比表にしただけじゃ足りないって言うのかい?」
「うっ」という窒息でも起こしたような唸り声を最後に、俺はついに何も言えなくなってしまった。
さっさと伝えるべきことがあるのはよくよく分かっている。だが、言いづらい。
今日エルメンガルトの家を訪れた意味は、そのしでかしたことへのごめんなさいを伝えに来たのだ。
というのも、実は、それがまとめてある書類をごっそりまるごと紛失してしまったからなのだ。
先日、単語レベルで訳したものと文章全体での訳したものを書類にまとめて貰っていた。
本来、向北語族ブルゼイ語は連盟法で定められる“連盟政府より指定された研究機関・個人による連盟政府に有益な学術研究利用の場合を除いた習得伝播禁止指定言語”であり、利用許可を得るにはほとんど許可を下ろさないつもりで設定したであろう何重にもわたる審査をクリアしなければならず、基本的に誰も知っていてはいけないはずだ。
だが、エルメンガルトはかつてブルゼイ族史の権威であり、エイプルトン歴史学教室長時代には政府御用学者のふりをしてその認定を受けていたので、ブルゼイ語を習得しており解読することが出来る。
しかし、後に彼女が行っていた自身の研究成果を強引に世間に公表しようとした結果、政府にとって具合が良くない内容であったために学術界を追われて今では認定を取り消されている。
とはいえ認定が消されたとしても、身についた知識は消えることはない。
それを押さえ込む為に、許可申請の際の項目に“学術利用以外、例えば日常生活に及ぶまでブルゼイ語を一切使用しない”というものもある。
さらに最後に“許可が剥奪されても全ての事項は生涯にわたり適応される”とまでご丁寧に書かれており、もしブルゼイ語を扱ったことがバレてしまえば下手をしなくても極刑である。
クライナ・シーニャトチカがどれほど田舎であっても、政府から単なる僻地と見なされていい加減にしか目を付けられていなかったとしても、まだ連盟政府の一部であり、そのルールが適応される。
色々と面倒なことを承知の上で依頼したのだ。




