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コウノトリは白南風に翔る 第五話

 俺には姉がいる。

 まだ俺が十代のころ、姉と仲は良くなかった。姉の部屋に貼ってあったポスターが、赤や白のアイドルグループから黒とシルバーのヴィジュアル系ロックバンドに変わったころから、ずっと。


 姉は進学校の女子高育ちで、GL〇Yが好きで始めたバンドも好評で、学校内でのファンが多かった。ギターを担当していて、文化祭ともなると若くして死んだ某有名ミュージシャンをリスペクトして髪をピンク色にしたり、ギターのピックを投げたり、かなりやんちゃで、それでも頭はとてもよかった。

 その後、大学にもあっさりと受かって実家からは出ていった。それからしばらくして、姉は大学生同士の学生結婚で、いわゆる授かり婚をした。結婚式でクソくらえと悪態を俺はついたがそれはすぐに後悔に変わった。

 毎日大変な中、旦那がクズ野郎で大して子育てもせず浮気の末、すぐに離婚したのだ。俺は家族を傷つけた人間を許せなかった。そいつと、そんな男に捕まった女が悪いと言ったやつらに片っ端から復讐してやりたいと思った。仲が悪かったはずなのに、だ。

 しかし、それでも姉は子どもを見捨てることはなく、クズ野郎の子どもでも育てようとしていた。親権は母親に行くことのほうが多いうえに、姉はやんちゃしていたが人としては真っ当で争うことも必要なかったのだが、それを意地でも得ようとしていた。そこで声を上げたのは完膚なきまでに相手をたたき、自分の子どもだと主張したかったのだろう。それが慰謝料すら請求しなかった姉の最後の抵抗で、その母性というものが俺には不思議で仕方なかった。


 子育てほど体力の必要なものはない。すぐに大きくなる、落ち着くまであっという間よ、なんて言うのは子育てが終わった人しか言わない。真っ最中は毎日必死で一日が一年なのではないかと思うほど大変なことを知っている。

 しかし、姉は強く、そして幸運だったのかもしれない。大学を留年することはなく、順当に進級、卒業し周りの協力を得て子育てをしながら必死で働いていた。姉は大学のミスコンで優勝するほど美人だった(らしい。家族の俺にはよくわからない)。それが日々目に見えてやつれていくのを俺は目の当たりにした。

 そして、転生前に最後に会った時には、まだ20代だったがすっかり母親の顔になっていた。そして甥っ子が育ち父を知らないまま彼が父になるとき、手本のない彼がどのように子育てをするのか、それを考えると少し怖くなったりもした。


 でも、きっかけはどうあれ家族の在り方を変えたようだった。もちろんいい方向に、だ。

 姉が妊娠離婚してから、俺はあることに気がづいた。姉弟で仲が悪かったのは優秀な姉への俺自身の一方的な劣等感からだったと。正しくは気づいていたが認めたくなかっただけだ。認めてしまうと何かが敗北してしまうような気がしていたからだ。

 実際に俺は負けたのかもしれない。勝ちであれ負けであれ、それを受け入れることができた俺は姉とも話せるようになっていった。姉も年を取り落ち着いたのか、俺の謝罪を拒むことはなかった。そして和解というと照れ臭いが仲直りができた。

 そして、大したことはできなかったが子育てを手伝ったこともあった。こまっしゃくれた糞餓鬼に育って俺のことをおじさん、おじさん、と慕う甥っ子は嫌いじゃなかったし―――金的を覚えたときは殴り飛ばそうかと思ったが―――わずかばかりの給料でおもちゃを買ってあげたりもした。子育ては大変なだけではないことも知っている。



 産むタイミングはもしかたらあるのかもしれない。かと言って、今がチャンス! といってすぐに産めるほど甘いものでは決してない。新しい命がそんなに簡単にできていいわけがない。

 しかし、タイミングを計っているとあっという間に時間が経ってしまうのだ。だからそういうのは自然の流れに任せるしかできることはないはずだ。これは二人が自然の流れに任せた結果なのだ。


 だが、タイミングが悪すぎる。なんでシバサキがリーダーのときに、俺が動きづらいときにできてしまうのか。自然な流れが一番いいのに、そうでなければいけないのに、それを不自然に阻害する状況が気に食わない。

 そして、なんでもっと早く気づかなかったのか。気づいてあげられなかったのか。言い訳をすれば、つわりは人によるらしく、俺の姉の時はそこまでひどくなかったのだ。


 カミュのように長く豊かな髪ではなく、姉はゆるくパーマのかかった赤に近い栗色のボブにしていて、歩く後ろ姿はよくふわふわとそれを揺らしていた。俺の前をさっそうと歩くその似ても似つかないカミュの背中を見て、俺はなぜか昔懐かしい姉の姿を思い出していた。




 二人は先ほどの木の下でまだ雨宿りをしていた。俺がカミュを連れて戻ってくるとアンネリは眉を寄せて鼻の穴を膨らませた。


「ぁによ?」


 そして、ぶっきらぼうに返事をして睨みつけてきた。俺は気まずく、思わず顔をしかめてしまった。するとカミュが一歩前に出た。


「アンネリ、申し訳ないです。イズミにあの話はしておくべきだと思い、伝えてしまいました」

「えぇ、なんで言っちゃうのよ、バカ」


 少し声が張り詰めた。やはり秘密にしておきたかったのだろう。焦りが見える。


「アナ、いずれは言うべきことなんだ。仕方ないよ」

「いつもあんたはそうやって呑気なんだから。仕事なくなったらどうするのよ!」


 すぐ横にいたオージーがアンネリをなだめたが、彼女は早口で答えた。

 カミュが何も言わずに俺を見ると横にずれた。会話のバトンを突然渡されて、俺は焦りでしどろもどろになった。


「あーと、お、俺は二人に言い過ぎたかもしれない」


 人に素直に謝るのは申し訳ないという気持ちがあふれていたとしても、いつも言いづらい。


「それは、その、本当に申し訳ないと思う」


 申し訳ない、よりもごめん、のほうがよかった。と口に出してから思った。


「でも、あーでもでもだってはよくないけど、心配なことは変わらないよ」


 それを聞いた二人は俺を見て静かになった。睨みつけるように攻撃的ではない、穏やかな沈黙だ。

視線をそらしたまま、アンネリは人差し指で頬を掻いている。


「あたしも」


 そしてゆっくり口を開いた。


「報告しなきゃいけないのはわかってた。あんたには言ってもいいかと思ってた」


 困ったように視線を向けて話をつづけた。


「でも、それで仕事なくなるのは嫌だったの。あんたが心配してるなんて、そんなの言わなくてもわかってるわよ。でも、さっきも言ったけど、あたしはやめないわよ」


 また何か言われるのではないか、俺が止めに入るのではないだろうか、そう思ったのか、アンネリは腰に手を当てて俺を見ている。本当は休みを取れと言いたい。だが本人がここまで頑なだとどれだけ言ってもきっと休まないだろう。


「わかった。今すぐにどうしろとは言わないよ」


―――でも、いずれ、それも比較的早めに結論を出さなければいけないよ、というのは飲み込んだ。言ってしまうと堂々巡りになってしまうだろう。

 アンネリの表情から硬さが緩やかに取れていった。


「ありがとう。イズミ君もその辺について寛容で助かったよ。昨日カミーユさんとレアさんに報告したとき、二人も受け入れるどころか祝福してくれたよ。ボクもアンネリもいい仲間に恵まれてよかったよ。でも、もう少しの間、アンネリのことは秘密にしておいてくれないか?このまま公になれば、生まれてきた子が婚外子というのか、婚前妊娠というのか、ちょっとややこしくなってしまうんだ。一昔前なら宗教の関係で大変だったかもしれないけど、最近は問題ないんだ。でも、みんながみんな同じ考えとは言えないからね」


 オージーはすまなそうに笑った。



 この世界もある程度は婚前妊娠に寛容なようだ。職権乱用をしなくて済みそうだ。そしてやはり、カミュもレアもうれしいようだ。本来は俺もそうありたかった。喜ばしいことなのに、手放しに喜べない自分が嫌いだ。


 一人で解決できない、誰かに相談もしづらい、黙っていれば何とかなるものでもない、人それぞれに価値観が異なる。そして何より、この話はデリケートすぎるのだ。


 ああ、と頷いて、結論をほんの少しだけ先に延ばすようなことしか言えなかった。

読んでいただきありがとうございました。

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