黄金蠱毒 第九十話
「後ろを取るのが卑怯だって言うのか!?」
ウィンストンは投げつけられた砂が顔に当たるのもものともせず、抜け出そうとして地面を必死でかきむしり血が出始めたストレルカの掌を見て気遣うような仕草を見せた。
「何おっしゃる。そのようなことはございませんぞ。実に見事なチームワークでございます。
これはスポーツのように観客を血湧き肉躍らせるための魅せ物ではないのですから。
あなた方にとっては死合。私は殺してはならぬ死合。自らの命を賭していることに卑怯などありません」
「おまえはなんで卑怯な手を使わなかった! そンだけの力があればなんでも出来ただろうが! 貴族の誇りか!」
「はて、貴族? 貴族とはあの人間たちのくだらない既得権益のことですかな?
我々にもありましたが、かつての偉大なる皇帝の前に市民は皆同じであり名前だけのものでしたな。
そして、私の記憶が正しければ、ただの名前でありながら独り歩きを始めた厄介者で、帝政腐敗の象徴でもありましたな。
貴族では無い私に失う誇りなどありませんぞ。失うとしたら、両親から賜った我が名への矜持くらいなものでしょうか。
傷つける覚悟で私も卑怯な手を使いたいものですが、生憎、そこまで賢くありませんのでな。おかげで名前を傷つけずに済んでおりますが」
ウィンストンはストレルカに微笑みかけた。その顔には先ほどまでの闘志では無く、いつも通りの執事のもつ許容の微笑みをたたえていた。
それを聞いたストレルカは土をかきむしるのをやめ、ウィンストンを見つめた。そして小刻みに震えだすと目から大粒の涙をあふれさせた。
「殺せ! いますぐに殺せ! 殺せ! コロセ! コロセ! コロセ! うわあぁ――!」
そして、ついには震えて裏返った声でヒステリックに暴れだした。
ウィンストンは大声に首を下げると眉を寄せ、「困りましたなぁ」と顎に手をやった。
「動けぬ貴方の首の骨など折るのは小枝を折るように造作も無いことですが、そういうわけにはいかないのです。
セシリア嬢というまだ幼子と、不器用なまでに不殺を好むイズミ殿がすぐ後ろにおりまして。
それに殺すなとまで先ほど言われておりましてな。きっと何かお話があるのでしょう。
彼は優しい。甘いと言わざるを得ないほど。死ねとは決して言わないでしょうし、自ら手に掛けることもありますまい。
それでも死にたければ、その後、自分たちで勝手にしていただきたいものですな」
ウィンストンはすっくと立ち上がると、「拘束しなさい」と兵士たちを呼び寄せ、入れ替わるようにその場を離れた。
二人には聞こえないほどに離れると一度立ち止まり、首だけを振り向かせ、
「死合うことでの真の敗者は、そこで戦いを終える。だが、勝者は戦いに再び身を投じなければいけない。
死合うことが日常であるあなた方は、敗北者だというのに今日まで生きておられた。
私はあなた方を敗北者だとは思わない。生きることに一生懸命なあなた方が、自ら命を粗末にするとは思えませんがな」
と低く小さな声でそうつぶやき、再び歩き出した。