黄金蠱毒 第八十六話
「爺さん、あんた一人でオレらの相手か。ナメてんのか」
「引退しなって、ハッ。老い先、膝が悪くなるだけで済むぜ?」
二人は笑いながら余裕を見せてウィンストンに話しかけているが、武器を握る手には筋が立っている。
こめられている力を見る限り、ウィンストンを相手にする二人に見せている余裕のような隙は全く無い。
二人の戦い方を何度も見てきたが、おそらく戦いは既に始まっており、その会話さえも攻撃の一部なのだろう。
はたと気がつけば自分自身は無防備だ。ユリナが「全部任しておけ」という言葉を鵜呑みにしていた。
この二人組にとって、戦いは真っ当な勝負ではなく目的を果たす上での通過点の一つに過ぎず、そこに勝ち負けの概念はない。
目的であるセシリアを真っ先に狙ってこないとも言い切れない。
だが、今俺の腕の中にはそのセシリアがいるので杖は持ち上げることが出来ない。
アニエスを横目で見ると、プンゲンストウヒの杖に手をかけていた。万が一には、彼女に任せよう。
俺は放すまいとセシリアを強く抱きしめた。
「是非ともそうしたいのですが、奥方様がお許しにならんのです。私も引退するには奥方が些か心配でして」
語り口は穏やかで、低い声はいつものウィンストンだ。バスバリトンでも特にバスに近い声だが優しく、戦う者の声ではない。
しかし、声とは裏腹に立ち姿は周囲が揺らいで見えている。彼の放つ熱気で起こる陽炎は溢れる闘志を具現化しているようだ。
にらみ合いが続くかと思った、そのときだ。
ストレルカが下に構えた大鎌を十度ほど右に傾けてぎゃりと鳴らすと、足首を膨らませて踏み込んだ。
「爺さん、あんたの首だァ! 貰うぜェ!」
張り詰めた太鼓を蹴り破るような音と共に土埃を巻き上げてストレルカはウィンストンの僅かに右側に飛び込み、体を回すようにして鎌を首に回した。
体重と勢いを載せて柄と刃の垂直なつなぎ目でウィンストンの首を強く引いた。
しかし、戦いについてはてんで素人の俺が見ても、鎌の入り方というのか、首を切り落とすには勢いが足りないような気がしていた。
それが陽動であるのはすぐに分かった。
いつの間にかウィンストンの後方へと回り込んでいたベルカが背中からシャシュカを突き立てたのだ。
「終わりだ!」
ウィンストンの背中にシャシュカが刺さり着ていた燕尾服がすっぱりと裂けた。
ストレルカはダメ押しをするかのように大鎌を振り下ろすと、バランスを崩したまま立つことができずそのまま膝をついた。
こうもあっさりと、勝負があったのか。
しかし、ウィンストンの膝をつく仕草は緩慢だった。まるで筋肉をゆっくりとそう動かしたかのように。
そして、彼は膝を突いたまま動かない。
受けたダメージを堪えるようではなく、まるで何も無かったかのようなのだ。
確かにベルカのシャシュカはウィンストンを引き裂いたはずだった。しかし、血の一滴流していなかった。
石像のようだったウィンストンははたと顔を上げると「少々油断しましたなぁ」と息を吸い込み、破けた上着を投げた。
すると磨いたブドウの大きな房の様な筋肉たちが姿を現したのだ。
「見事な攻撃ですぞ。
それに比べて私の攻撃には協調性もなければ、奥方様やジューリアのような技もない。
あるのはこの肉体のみよ。戦う相手に不足はおありかな?」
露わになった上半身は花崗岩のような硬さでありながら、大理石のように柔軟だ。
パシンパシンと両手でヤシのような胸筋を叩くと、大きく両手を天に向けた。そして気合を入れるかのごとく振り下ろし、掌を胸の前あたりで合わせた。
飛び交う火山弾のような二つの掌は衝突すると岩とも思えぬ軽快な、だがそれでいてとてつもなく大きな破裂音を上げた。放たれた衝撃は地面の砂を巻上げた。




