コウノトリは白南風に翔る 第四話
雨宿りをしていた木から離れるとカミュとはたと目が合い、こちらへ来いと手招きされた。
どうやら遠くから俺たちのやり取りを見ていたようで、言い合いになっていることに気が付いたようだ。
「イズミ、イズミ、ふんふん、ふーん」
そして、どこか、おそらく誰かを指さした後、わさわさとジェスチャーをした。それで俺に何かを伝えようとしている。下腹部の前に両手を抱え込むように出し、前に半円を描くように胸の下あたりまでその手をゆっくり動かした。おなかの前に何かあるようだ。だが、なにがなんだか全くわからない。近くに来たのでそれが何を意味しているのか尋ねた。
「何? 食べ過ぎたの?」
「違います。コレです、コ、レ! ふんふん、ふーん!」
理解しない俺に顔をしかめ、同じ仕草を二回ほど素早くやった。しかし、それでも俺はまだわからなかった。困り果ててしまい小首をかしげてカミュの顔をのぞき込んでしまった。すると彼女は途端に眉を寄せ、いっと歯を食いしばると、つかつかとすぐ傍へ向かってきた。
「っとに鈍いですね! わざとですか!?」
そういうと顔を近づけ耳打ちをした。
「イズミ、子どもができたようです」
一瞬時間が止まったかと思った。
理解が追いつくと思いがけず息をのんだ。と同時に混乱が始まった。
カミュに子どもができたのか? どういうことだ? まさか俺はやっぱり雪山でカミュに突っ込んだのか? いや、そんなことはないはずだ。何より覚えていない。残念なことに。
それに時間が経ち過ぎている。実はどこかでこっそり産んでとかそんなことではないだろうな。それでは俺は最悪の男ではないか。直接的に聞くわけにはいかない。どうすればいいのだ!
脳内に情報の集中豪雨が降り、そこまで深くない俺のダムすぐさま決壊し洪水が起きてしまった。このままでは混乱の渦に飲み込まれ意味不明なのに気まずい沈黙がカミュの間に訪れてしまう。そうならないためにまずは当たり障りのないこと何か、何かないだろうか。
「お、お父さんはどなた?」
しまった。これではまるで俺は蚊帳の外のような聞き方ではないか。だがこれで言ってくれればはっきりするはず。
「そんなの一人しかいません。それとも言わせないとわからないんですか?」
くそ! 誘導しても言ってくれない。そんなことよりも体にかかる負担は大きいはずだ。
「そ、そうだよね……。カミュ、まず自分の体を大事にしてくれ……。体は一つでも命はもう一人分じゃないんだから」
「は?」
口を開けて動きが止まった。
そして何かを悟ったのか。落ち着きが無くなりもじもじとし始めた。
「い、いつ私が妊娠したなんていいました?」
そわそわと腕を組んだ。そして視線をそらし、頬を染めながら言った。
「子どもができるほどの情熱的な、キ、キスなんてしたことないです」
恥ずかしそうに目を泳がせ、つっかえながら話す中身にどこか違和感を覚えた。
「え? あ、うん? うんうん」
もしかしてカミュは子どもの作り方を知らないのではないだろうか。キスしたら子どもができるとか思っているのだろうか。
だが、そこに話をフォーカスしてしまうと本題がぼやけてしまう。それにどうやって作るんですかと真剣な顔をされて聞かれたらなお困る。このやり取りはカミュに対してセクハラになりうる。
深呼吸をして改めて聞き直した。
「おーけー。わかった。今のは無しにしよう。誰が妊娠したの?」
「わからないですか?アンネリですよ」
あ。なるほど。
そういえば思い当たる節はいくつもあった。ここ最近の体調不良と食欲不振。それはつわりだったということか。
言われて俺はやっと気が付いた。だが驚きはそこまでしなかった。二人は同棲していて、そういう関係だ。正直なところ、遅かれ早かれいずれは、と思っていた。
デキちゃった結婚という言葉の心証があまり良くないという理由で授かり婚(語呂が悪いからかいまいち普及していないような気もしていたが)と言い換えられたそれは日本ではもはや珍しいものではないから、順番が違うとかそういう話は後回し、というかどうでもいい。
デキ婚をしてその後に紆余曲折を経ていてもきちんと育てられているならば、少子化の進んだ日本では歓迎されてもいいと思う。
ただ、ここは日本ではない。まるっきり異世界だ。ここでのデキ婚に対する考え方を俺は知らない。地球の中世のように下手をすれば処刑……とならないと思いたい。そうでもなろうもならまた賢者の職権乱用と、責任は取ると言った女神パワーでなんとかしよう。それがずるいと言われるなら共犯者は女神だけにして。
「本人から聞いたの?」
「昨日相談を受けました。体調が悪そうにしていたのはつわりのようです。イズミやシバサキには言わないでくれと念を押されましたが、何をするかわからないシバサキはともかくあなたは知っておくべきだと思います。あなたに対して秘密にしたのはおそらく性格的なもので言いづらかったのでしょう。そして体調を気遣って休めと言われるのが嫌だからだと思います」
衝撃的な事実を聞かされたことに驚くよりもまず、これまでアンネリに言ってきた言葉を思い返した。
ストレスをかけるようなことをしていなかっただろうか。このチームそのものがストレスなのは言うまでもない。最初の兆候があった頃はいつぐらいだっただろうか。
確か、カトウがウミツバメ亭を手伝い始めたぐらいだ。それからこれまでを思い出そうとした。しかし、今となってははっきり思い出せないこともある。しまった、と額に手を当てると前を向いていられず下を向いた。
「あー……、やばいな……、言い過ぎたかもしれない。俺はどうすればいい?」
「彼女はイズミの心配を理解していると思います。私と一緒に二人のところに行きましょう」
顔を上げカミュを見ると、俺を勇気づけるかのように微笑んでいる。困っているときに一人にしないカミュの気持ちがうれしかった。のだが、またかという気持ちもある。
「何かある度に毎回カミュ頼みなところがある気がするんだけど……。助かるんだけどいいのだろうか」
「気にしないでください。これくらいのことであなたがダメだというには足りませんよ。多少のことで落ち込んでいてはいけませんよ」
「多少のことにも気を配らないとシバサキみたいになりそうだよ」
「あれは人間のベースが違いますからね」
「ははは、そうなのかな。だといいけど」
チームが変わって以来のほとんど久しぶりの笑顔と相変わらずのカミュおかげで、気が立っていた俺は落ち着くことができた。
知らないことを理由にして傷つけるような言葉をアンネリに言ってしまったのはすぐにでも謝りたい。だが、のだが、
「カミュさぁ、いまのさっきですんごい顔合わせ辛いんだけど……」
「何言ってるんですか。行きますよ! 仕方ないれちゅね、じゃ後にしゅりゅ? みたいにどっかのメガネっ子ほど私はやさしくないですよ! ほーら!」
メガネっ子とはアニエスのことだろうか。それにしてもでちゅまちゅ話すカミュは普段よりもどこか気分が高揚しているような気がする。もしかしてアンネリの懐妊を喜んでいるのではないだろうか。ほらほら、と俺の肩のあたりをパスンと叩いた。
「ひぇぇ……、行きます……」
カミュが背中を向けて歩き出し、それについて俺も歩き出した。
読んでいただきありがとうございました。