黄金蠱毒 第七十八話
相変わらずマスターは何も言わなかったが、乏しい表情の変化の中で頷いた様にも見えた。
やれやれとでも言いたげだ。困ったときの都合の良い場所のような扱いをして申し訳ないのはこちらも山々ではある。
ストレルカはユリナに蹴られて相当なダメージを負っていたはずだ。先ほどから苦しそうな表情で唸るだけで何も言わなくなっている。立ち上がろうと力を込めている膝も崩れる度に弱っていく。
放って置いてもこの二人なら大丈夫だろう。だが、念のために。
「セシリア、治癒魔法のかかってたあの魔石持ってるかい? 雪山でムーバリに使ったヤツだ」
すぐ横でポータルの縁に手を置いて覗き込んでいたセシリアにそう尋ねると、何かを察したのか、身を震わせて嫌そうな顔をした。
「二人が嫌いなのは分かるよ。でも、それじゃいけないんだ。確かに傷つけたけど、もう争いは終わった。今はただの怪我人なんだ」
顎を引いて下を向くようになるとコートの裾を力強く掴んで大きく二、三度首を振ってしまった。
どうも渡してくれそうではないので、俺は「仕方ない子だね」と言って自分のポケットの中を探ってみた。大きなものでもなくても、治癒魔法を込められる魔石があったはず。
しかし、見つからない。ゴミと針金と砂埃しか出てこない。
ストレルカに意識はあり呼吸もしているようだが、容態が心配で放っておくわけにもいかない。
義眼のマスターに応急処置を頼むことにしよう。どうせムーバリのツケだ。
話に聞いた例の怪しい落魄れ僧侶でも呼んで貰おう。
しかし、探すのを止めてマスターに呼びかけようとしたとき、セシリアが上着の裾を引っ張ってきた。
何かと思って彼女の方を見ると、慌てたようにコートのポケットを漁りだして空の魔石を取り出すと無言で渡してきたのだ。
目を閉じて顔を背け、口をふるふると歪ませて今にも泣き出しそうな顔をしているが、両腕を精一杯伸ばし、両手を合わせても小さな掌の上にいつか渡した治癒魔法の込められる空の魔石を乗せて差し出してきている。
彼女の表情があまりにも渋いので戸惑ってしまったが、俺はそれを持ち上げた。
そして、「ステキな子になったね、セシリア。ありがとう」と微笑みかけながら頭を軽く撫でた後に、その魔石に治癒魔法を込めた。
そのとき、緑色に光る魔石をセシリアは不思議な物を見るように瞬きすらせずにじっと見つめていた。
込め終わると同時にポータルを少しずつ狭めていき、そしてあと二十センチほどになったとき、「お大事に、ストレルカさん」と言ってポータルに向かって魔石を放り込んだ。
ポータルが閉じきる間際、ベルカがそれを受け取った様子が見えた。
口角を上げていて笑っているような表情を見せた。どういう使い方をするのかは彼ら次第。出来るものならセシリアの優しさに報いて欲しいものだ。
刹那に見えた笑顔の意味はどちらなのか、俺は考えないようにした。
見送ったあと、我慢して渡してくれたセシリアの頭を撫でてやろうと思い彼女の方へ振り向くと、セシリアは屈み込んで下を向いていた。
落ち込んでしまったのかと思い近づいてみると、表情はなく目を開いて何かを無心に見つめていた。そして、「なにこれ」と言うと、地面に手を伸ばしてその何かを拾い上げたのだ。
それはキラキラと黄色く光るブローチのようなものだった。彼女が立ち上がりそれを天にかざすと、ブローチから太陽光が漏れてセシリアの黄色い目と白い顔を黄色く照らした。
セシリアが手渡してきたので、よく見ると掌の上には四枚の羽がある虫の形をしたブローチがあった。
アニエスが側に来ると一緒にそれを覗き込んできた。
「何かしら、これ? トンボ?」
「にしちゃ後ろ翅が大きくないか?」
「なんだか、チョウチョみたい。私も似てるブローチ持ってるの」
セシリアはそう言うと、コートのトンボのブローチを軽く引っ張って見せてきた。
それはククーシュカの頃から付けているものだ。セシリアも似たようなものを付けていること考えるとブルゼイ族の徴ではないだろうか。
確かに、拾ったものの金属の色合いや使われている宝石などの作りは、セシリアのブローチと似通っている。
だが、ぱっと見でもすぐ分かるほどにトンボの形をしているセシリアのものとは、形がだいぶ異なっている。
「あいつら落としたんじゃないのか? とりあえず預かっとこう。これからも何度か会うだろうし、そのときに返してやろう」
俺はそのままポケットに入れて持ち帰ることにした。
するとセシリアは、見つけたキラキラ光る宝物を自分の手で持っていたそうな顔をしてポケットと俺の顔を交互に見つめてきたのだ。
セシリアを奪われるようなヘマはもう二度としないつもりだが、これをセシリアに持たせれば狙われやすくなる。あまり気は進まない。
しかし、セシリアの顔は何故か自信に溢れたものだったので「無くさないようにね。相手が誰であってもきちんと返すのはわかってるね?」と尋ねながら手に握らせた。
すると自らのブローチの下に並べるように付けて、ふぬ、と自慢げに鼻息を鳴らして頷いた。