黄金蠱毒 第七十三話
「イズミぃ! おらぁ、待てやァ!」
路地を抜けて広い道に出たときだ。出てきた路地の奥から乱暴に名前を呼ぶ大声が聞こえたのでそちらを振り向くと、ベルカとストレルカがこちらを指さして駆けてきた。
「見つけたぞ、テメェ!」
「今度こそ、そのガキを渡して貰うよ!」
先ほどの話し合いの最中に、エルメンガルト、アニエスとセシリアを「一時的に」と念を押してギンスブルグの庭のあの東屋に送っていた。
三人を迎えに行き、エルメンガルトを家に送り届けた直後に手負いのストレルカとベルカがやってきたのだ。
俺たちは特に逃げだそうとはせずにその場で二人を待った。セシリアは怖いようで、顔を歪めてズボンの裾を掴んできたので抱き上げた。
「まだいたのか」
そのまま突っ込んでくるかと思いきや、ご丁寧に十メートルほど離れたところで立ち止まると、「当たりめェだ! あンだけやられて素直に引き下がれるかってンだよ!」とこちらを指さして怒鳴り声を上げた。
かすれて裏返った声を上げたストレルカの顔は泥だらけで、ユリナに蹴り飛ばされた顎や腹が痛む様子だ。
重そうな身体をやや前傾姿勢にして、蹴られた辺りを押さえて辛そうに立っている。
暑いわけでもないのに脂汗を地面に垂らすほどに浮かべていて、明らかに無事ではない。
二人が近づいてくるまで険しい顔をしていたアニエスだが、近くに来るにつれて眉が下がっていき、表情に憐れみを浮かべていった。
「さっき俺はほとんど何にもしてないけどな。
おい、ストレルカ。顎とか腹とかは痛むんじゃないか? ユリナの馬鹿力でぶん殴られてよく無事だったな。魔法で強化しててもキツいのに」
そこに嘲りの意味も込めて彼女を気遣った。
ユリナの蹴りとアッパー、さらに回し蹴りを喰らった彼女は相当にダメージを受けているはずだ。
口角から顎の下に向かって血が流れたような、擦っても拭い切れていない吐血の赤黒い痕がある。
毎度必ずやる、鎌を大きく振り回して威嚇をする仕草も見られない。
服にも土や泥が付いたままだ。息も荒く、肩を上下に動かして、立っているのもやっとのように見える。
「ナメるンじゃないよ。アタシはそんなに弱くない!」
ストレルカは明らかに強がっている。声は震え疲労と怪我を隠しきれていない。
声を上げる度に負傷の色を浮き彫りにするストレルカに、隣のベルカさえも心配そうに視線を送っている。
「この間みたく、力で奪い取りに来たのか? 君らのその身体じゃ無理だろう。少し休んできたらどうだ?」
「おい、イズミ。お前、オレたちをナメてんじゃないか?」
「いや、ナメてはいない。前回は負けた。だけど、今回こっちは三人いるんだ。一人じゃない」
ストレルカはまたしても無理矢理な笑顔を浮かべて背中の鎌に手を回した。
「数が多けりゃいいッてモンじゃねぇよ。それだけアンタの背中は重いってことだ」
「無理して喋るなよ。そんなんで俺たち相手に出来るのか?」
「ナメ腐ってんなよ! アタシらはそんなカンタンにはやられない!」
泥だらけ、傷だらけの姿を有りの侭に伝えただけで挑発したわけではないが、ストレルカはさらに裏返るほどに声を張り上げた。そして、鎌を両手で持ち上げると柄をおろし、脇構えのようになった。
しかし、手の震えは大きく鎌にも伝わっており、荒い呼吸で上下する肩の動きも鎌に直接伝わっている。
普段の何倍もの重さのあるものを持っているように見えて、すぐにでも力なく手から離れてしまいそうなほどだ。
しっかりと持っているいつもの姿と比べると、不憫に見えてしまった。
「やられない、か。そうだな。じゃあ俺も負けない。それに背中が重くはならないさ。俺たち三人はそれぞれ自分で背中を守れるからな」
そう言うと同時にアニエスもセシリアもうんと頷いた。
「逆に今回はベルカ、君の方が背中が重いんじゃないのか? 連携して動くんだろ?」
ベルカは表情を変えなかったが、鼻の穴を膨らませた。冷静を装っていたベルカを挑発できたようだ。
「ずいぶん強気じゃねぇか。何か必殺技でもあんのか?」
何かあるだろうかと思いをはせてみたが、俺たちに出来ることは移動魔法くらいなものだ。
わざとらしく考え込むふりをしてしばらく黙った後に「いや、ないな」と答えた。
「でも、負けないし、勝ちもしない。お前らとは一切やり合うつもりはないからな」
「オレたちとはやり合わないってどうするんだ。逃げるのか?」
「そうだ。逃げる。雪山で殴られた分は殴り返したいところだが、俺はそんなに強くない。一矢報いてやるとかくだらない感情に流されて隙を与えるなんてのは馬鹿げてる」
ベルカは鼻を鳴らすとシャシュカを腰から抜き、「やってみな」と言うと刃部に手を添えて前屈みになった。
「オレたちはここを知り尽くしている。無人エリアの路地の一本までな。お前は殴るどころか、逃げることすらかなわないぜ。すぐに追い詰めて捕まえてやるよ!」
二人が踏み込もうとしたのを見届けると、アニエスに目配せをした。