黄金蠱毒 第六十八話
しかし、クロエは治りが遅い! 遅すぎる!
まず血管を修復したので出血は止まった。それから治るまで腫れるのは分かっているが、なかなかその腫脹が引いてくれない。
ムーバリはすぐに治ったというのに。コイツも同業者ならある程度は鍛えているはずだ。
何か元々に治りにくい素因でもあるのではないだろうか。
「おー、やってるやってる。みんな血気盛んだねぇ」
ユリナの声がして背後を振り返ると、組んでいた足先を持て余すように揺らし掌を額に当ててのんびりと廃屋全体を眺めている。
ポケットからくしゃくしゃの箱を取り出してトントン叩き、タバコを一本取り出し咥えた。するとウィンストンがすかさず火を点けた。
煙は震える空気に押し流されてかき乱されて、白い糸のように真っ直ぐには登らない。その煙越しに乱闘とシバサキの徘徊をまるで見世物のように楽しんでいるのだ。
「奥方様、ジューリアめが先走ってしまいました。大変申し訳ございません」
「いいだろ、別に。拳で通じ合ったカミュに加勢したくなっちゃったんだろ」
「昔よりもだいぶ落ち着いたとは思っていたのですがな」
ウィンストンは右腕を大きく振るいマッチを消し携帯灰皿に押しつけた。残っていた煙が消えるのを確かめると灰皿を仕舞い、腕を組んでフンと鼻息を吐き出してやや怒っているかのように肩を一度上げた。
ムーバリもカミュもジューリアさんも、互角の戦いをしていてまだ持ちこたえてくれそうだが、いつまでもと言うわけにはいかない。その強い三人ですら互角であるということに焦りを覚える。
クロエを早く治して、再び黒い球を煉り上げなければいけないというのに。
必死でクロエに治癒魔法をあてがい応急処置をしている横で、自分たちとは全く関係ないのか、それとも前座くらいの扱いでしかないというような素振りに次第に腹が立ってきた。
「ウィンストンさん、あなたは何もしないのですか!? 思うところがあるなら、止めるとかしてくださいよ!」
形勢が不利になるまでに間に合うのかという焦りと乱闘の興奮にまみれて二人に声を上げて呼びかけた。
だが、ウィンストンは首を回し俺とクロエを交互にちらりと見た後、再び乱闘の起こす埃の方を向いた。
そして、のんびりと顎をいじると、
「ぜひそうしたいのですが、残念なことに私に体術などはありませんのでな。出来るのは、ただ圧倒的な力で押し切るのみ。
集団戦、こと入り乱れた戦いおいては、闇雲に力を奮う私は敵も味方も傷つけるので邪魔にしかなりませんぞ」
と人の焦りなどどこ吹く風よとのんびり答えた。
「だったら力で押さえ付ければ良いじゃないですか!」
「はてさて、いったい“誰を”ですかな?
この争いは、あの二人言うとおり二人組対その他全員ではないようですな。
誰かを押さえれば、それ以外がそれ以外と殴り合いを始める。全員一度に押さえ込めなければ意味が無い」
完全に見物人のつもりのウィンストンの背後で、ユリナが椅子を傾けて首を覗かせた。
そして、タバコを一度持ち上げるとあくびをして目尻に涙をためながら、「イズミー、私なんかすることあるかー? 手伝おーか?」と尋ねてきた。
「知らねぇよ! 自分で考えろよ!」
「イライラはしてたけど、そのクソ眼鏡ぶん殴ったらそれなりに気が済んだんだよ」
「俺は今そのクソ眼鏡の面倒で手一杯なんだよ!」
「君は余裕がないねぇ。どろぼークソ眼鏡が死んだとしても少なくとも私は困んねぇよ。
私には戦う理由がないねぇ。北公は銃以外はどうでもいいし、シバサキは殴っても反応がワンパターンで殴り飽きたし、ブルゼイ族二人は初対面でよくわかんないし」
「じゃクロエ何とかしてくれ! あんたも治癒魔法使えるんだろ!?」
「はぁ? なんで、ヤにきまってんだろ」と歯をむき出しにして思い切り嫌そうな顔をした。
「しかしなぁ」と言いながらユリナは傾けていた椅子を戻し、椅子の足を二、三度がたがたと跳ねさせた後、その勢いに合わせて立ち上がった。
「これだけドンパチ派手にやってるのに、私は見学とはなぁ。つまらん」
ユリナは腕をまくると肩を左右に倒し関節をならした。
「どれ、ジューリアとカミュに加勢でもするか」
言い切るまもなく、木の床板に太い鉄の棒が突き立てられるような重たい音がするとユリナは姿を消した。




