コウノトリは白南風に翔る 第二話
口を開けば、どいつもこいつも雨ばかり。
天気の話をすれば、雨のことしかでてこない。雨季に入り始めたころは、たまにはしっかりとした強い雨も少なからずいいと思っていた。
しかし、しっかりとした長雨はすぐに飽きる。休日の家から出る必要のない雨は、窓枠に肘をついて外をぼんやり眺めながら憂鬱なふりでもして過ごしていればいい。
だが、二日以上降り続けるということは仕事にしろ、買い物にしろ、雨の中を歩かなければいけない日が来てしまうのだ。それは本当に憂鬱だ。雨にはとうに飽きている。雨の憂鬱にも飽きた。そして、飽きることにも嫌気がさしていたころだ。
低い曇り空は地上を照らす光すら奪い、もう陽は高く登っている時間のはずだが薄暗い。寝ても覚めて雨続きも相まって、チームの空気はこれまで味わったこともないほどに陰陰滅滅としていて、集合場所に早めにつくと挨拶だけをして顔を合わせても誰も何も話さなくなっていた。
それぞれにそれぞれの定位置でメンバーを待ち、腕を組んで空を見上げていたり、本を読んだりしている。
しかし、誰しも一様に不機嫌な表情をしている。話をすれば何かしらの、些細な事で衝突が起きてしまいそうな雰囲気をお互い感じ、テリトリーを侵犯しないように距離を取りけん制しあっているようだった。雨の中でも進められていた工事は終わりが近いのか、集合場所付近にこれまで何十本も置かれていた角材は数本を残して撤去されていた。もはや雨除けもいらないのか、それらは雨ざらしになり水分を含んで色を濃くし、腐り始めたのか端のほうが黒くなっていた。
テントの雨漏りがカフェの埃をかぶったテーブルにぽつぽつと長い間隔をあけて滴っている。柱に寄りかかりそれを数えていた。いつのまにか集合時間が迫り、また一人、また一人とメンバーが集まり、残すはシバサキ一人になった。いる日のほうが少なくなったワタベはまた来ないそうだ。
どれくらい経ったのか、数えていた滴の数を忘れたころ、人通りのない広場から水をける音がした。どうやら最後の一人の到着のようだ。音のほうを向くとシバサキがいて、すでに眉毛は鋭角に曲がり、鼻の穴は膨らんでいる。続く雨が不愉快なのは彼もそうだろう。すでに怒っている様子だ。
柱に寄りかかっていた俺が邪魔なのか、鋭くにらみつけると手で追い払われた。最後の一人が到着したのを確認すると、メンバーたちはのらりくらりと集まりだした。しかし、全員が集まる前に彼は何か言い出した。
「今日は説教を受ける人間をお前ら若手で選ばせてやる。怒られたくない奴は自分以外の無能な奴を指名しろ。誰に受けさせるか指をさせ」
そしてカフェの椅子を取り上げどっかと座った。彼の一言はすでに一触即発の空気をさらに張り詰めさせた。くつくつと誰かの歯ぎしりの音がする。言ったことの意味は分かった。
だが、これはシバサキの意図が見えない。薄暗い早朝のカフェ前で乱闘騒ぎでも起こすつもりなのだろうか。オージー、アンネリにはもう飽きたのだろうか。俺たちを奴隷だと思っているのはわかる。
ネット配信されている海外のSFドラマで観たことがある。奴隷同士に拷問の犠牲者を選ばせることで、不仲にさせ結託して反乱などを起こさせないためのやり方らしい。
しかし、チームワークが必要なはずなのにどうしてこれ以上の不和をもたらそうとしているのか。
もしかしたら、もうこのチームはダメだと悟り、それでも自分の威厳を示してもう一度まとめようとするためにやっているのではないだろうか。だが、そこまで先見の明が彼にあるとは思えないし、あまりにも悪手だ。おそらく、ほとんど思い付きに違いない。
「3……2……」
シバサキは目を閉じ、カウントダウンを始めた。考えさせる暇も与えないようだ。
自分以外の無能な奴を選ぶとなると全員が一斉に目の前の彼を指さすだろう。それはそれで暴れだしそうだ。では自分が立候補するというもの不愉快だ。面倒くさい。さて困ったものだ。
迷いを巡らせるには一瞬は短く、シバサキの唇から覗く上と下の歯は合わさり、今にも1と言いそうだ。
もう知らん。どうにでもなってしまえ。誰でもいいなら俺はシバサキを指すことにした。
「そうですか。なら今日も至らないボクにお言葉をください」
最後のカウントをしようとしたとき、その一言で視線がオージーに集まった。そして、彼は一歩前に出た。その時、俺の手を抑えようとしたのか、そっと触れたような気がした。
「じゃあ、あたしも聞かせてもらいます。同じ錬金術師なので。今すぐ役に立つ、素敵で、ためになる、社会人として知っておくべき、いまさら誰にも聞けない、ありがたいお言葉を。今日からでも実践します」
少し遅れてアンネリもオージーの横に並んだ。するとカミュも身を乗り出した。
「では、私も。実に興味深いので」
「なんですか? 話し合いですか? 私も入れてくださーい」
動き出したカミュに続き、まだ少し離れたところにいたレアが彼女の背後から顔を覗かせた。それに続いてククーシュカは無言で立ち上がり、お尻をはたいて埃を落とした。
俺も腕を組んで輪に入った。元リーダーのくせに情けないとは思うが、ここは流れに乗ってしまおう。
最終的に全員が前に出てシバサキのもとへと集まった。というよりはにじり寄った。
椅子に座るシバサキを若手全員が一斉に、そして少し覆いかぶさるように円形に取り囲み、あるいは笑顔で、あるいは無表情で、あるいは視線だけで、6人分の影の中の彼をそれぞれに見つめている。傍から見ればこれはシバサキを取り囲んでリンチしているとも見えないこともない。
突如現れた人の壁に驚き、シバサキはうぉっ、と上半身を後ろにそらせた。瞳の奥には動揺の色が見える。
「な、なんだよ! お前ら! やっぱ今日はなしだ! オラ! 離れろ!」
オージーとアンネリはさらに前に一歩出ると追い打ちをかけた。
「そんなエンリョしないでくださいよ、リーダー。ボクはお話聞きたいですよ」
「そうですよ。あたしも社会人としての常識がないからぜひ聞きたいです」
シバサキの左右に二人が回り込んだ。
止めたほうがいいのだろうか。一応シバサキはこの二人にとっても上司だ。やりすぎるとまた社会人がどうのと二人に対して言い始めるはずだ。ここで割って入って事態を収拾させたほうがいいのかもしれない。だが、どうもそういう気にもなれない。それよりもむしろこのままにしておいたらどうなるのか、気になってしまう。心の中で好奇心に抗えず、そのまま成り行きに任せることにした。
「そういえばリーダー、なぜ人の話を聞くときには傘をさしてはいけないのですか?」
「リーダーって結構いい年ですよね? これまで多くの尊敬できる先輩方に会ってきたと思うんですけど、社会人としてやってきたこと、全部お話してください。何やってきたのか、すごく気になります」
捲し立てる二人の顔は、イタズラをするときの陰のあるニマニマとしたものではなく、また作り上げたこれ見よがしの羨望のまなざしでもない。悪意のない無表情だ。もちろんそれも作った顔なのは分かる。薄ら笑いを浮かべていたり、必要以上に目を輝かせたりしながら詰め寄るとバカにしているのを悟られてしまい、反撃のすきを与えてしまうというのもわかってやっているのだろう。
シバサキはこれまでにない反応をされて完全にたじろいでいる。それにもかかわらず二人はなおも詰め寄り、リーダー、リーダーと呼びながらシバサキを攻めている。まるで普段の扱いと雨続きの日々で溜まりに溜まったうっ憤を晴らしているかのようだ。
結局、朝の説教はその日はなくなった。すっきりしたのか、二人はさわやかな表情でシバサキの元を離れていった。伸びをしながら離れていくアンネリを見ていると、体調がこのところすぐれない日が続いていた理由はどうやらシバサキのせいではなさそうだった。
しかし、俺はその時、まだ一番大事なことを知らなかったのだ。
読んでいただきありがとうございました。
実体験や聞いた話をもとに暗い話ばかりねちねち書いているので、色々病んできました。
次のモラハラ編でハラスメント系の話はひと段落で、その次はまだプロットの段階なので、面白くできたらと思います。完全にファンタジーになります。なると思います。
次回は十月一日を予定しています。