強欲な取引 第三十一話
次世代の覇者無き未来など在ってはならない。
ここでの取引を受けてしまった以上、私は忌むべき無頼の時代への引導を渡した責任を問われる。
移動魔法が天然で使え、尚且つベッテルハイム直系の子孫である私であったとしても、次世代の覇者を見つけられないまま連盟政府の急速な弱体化を導いた責任を問われる。
否、覇者はもう二度と現れず、混沌の時代へと潮流を変え、やがて商会も過去の組織と成り果た末に覇者どうこうとは言える状態でなくなるかもしれないのだ。
混沌の時代とは、一体どのような時代なのか――想像も出来ない。
「良い判断だぜ? やっぱりあんたは最高のビジネスパートナーだ」
しかし、ユリナさんは余裕の表情だ。呑気にもポケットからタバコを取り出し一本咥えて火を付けている。
まるで取引は最初から無条件で行われることなどわかりきっているようだ。せめてここで悪役のように高笑いでもしてくれれば、私の心持ちも些か穏やかだったかもしれない。
「北公製の銃はパクリモンだが、共和国製のよりも性能が良いらしいな。
スキッド痕がどうとか、ジューリアが言ってたぜ。北公とは是非とも仲良くしておきたいモンだぜ。
だが、まぁそれもお前ら商会あってのことだがな。今後ともよろしく頼むぜ」
ユリナさんはタバコを咥えたままソファの横まで移動すると右手を差し出してきた。
私にとってそれは悪魔との契約のようであり、何処で足を掬われるか分からないという恐怖ばかりが強く、その差し出された右手を握り返すことが出来なかった。
握り返すことを躊躇していると、ユリナさんは急かすように二、三度掌を振り、ふんふんと顎を動し始めた。
「握手しなかったら契約成立しないとか、口約束で済むような時代じゃねぇんだ。今さらたかが握手如きにビビんなよ」
震えた掌はじっとりと汗ばんでいる。出来る限り感情は出さないように努めたが、この脂汗にまみれて冷たくなった掌に触れられれば悟られてしまう。
そのようなことは今さらかもしれないが、取引はこの話し合いだけでは終わりではない。モノとカネのやりとりが済んでやっと成立する。それまでは腹の探り合いは続くのだ。
汗ばんだ手を握らせるわけにはいかないが、ここでこれ以上渋ったとしても逆に悟られる。恐る恐るユリナさんの大きく見える右手に向かって手を差し出した。
握手ではなく飲み込まれるような恐怖を覚えつつも差し出した瞬間、ユリナさんの右手はグンと近づきさらに大きく見えた。身体中の筋肉が引き締まり痛みが出るよりも早く右手は包まれてしまった。
だが、右手は包まれるだけではなく、グイと引っ張られた。されるがままに身体をユリナさんに近づけると、ユリナさんは耳元に顔を近づけてきた。
口元に咥えたままのタバコの熱気が頬かすめ、甘く焦げた匂いに包まれた。そして、燻る白い布のような煙が視界を通り過ぎると、
「喜んで取引ってワケじゃねぇのはわかるぜ。
だぁが、私らの売り上げ半分持ってッといてしなかったら、わァるよなァ? まだ連盟政府様とは交渉“中”ですので、悪しからず。
痛いのは嫌だから攻撃に全振りの全面戦争で撃たれる前にぶちのめしますってな。へへへ。
あ、そうそう。この間のお預かりしたアレについては、引き続きマゼルソンには黙っておくぜ。今回は関係ないからな。
ま、何があっても安心だろ。ヴァーリってのはラグナロクを生き残るんだ。お前らもカンタンに潰れやしねぇよ」
とちりちりとタバコが短くなる音に混じり毒々しく耳元で囁かれた。熱気が離れていくとタバコの灰がソファの上に落ち、黒い焦げ痕を作った。
掴まれていた右手を汗で滑らせるようにして放して、ユリナさんの顔を押すように避けた。
そして、仰け反るように距離をとると不敵に笑うユリナさんを睨みつけた。
「何が和平派ですか……。強硬派よりもタチが悪い」