弓兵さんはバズりたい 第九話
カトウは集合場所に二度と現れることはなかった。
ほどなくしてノルデンヴィズにもいよいよ雨季が訪れ、晴れ女のわがままに付き合わされた世界がこのままじわりじわりと地表を海にしていくのではないかというほど来る日も来る日も雨が続いた。
しかし、どれだけ雨に打たれずぶ濡れになろうとも活動は絶えず行われる。雨期に入る前よりも少し下がった気温の中、毎朝集合して話し合いを二時間ほどして依頼を受ける。臨時チームの七人で活動していた時よりも人数が多いはずの八人で活動する方が長くつらいような気がした。
そして依頼が完了するころにはすっかり夕方になる。終わったあとには疲れ切ってしまい、解散後拠点に帰ればすぐに眠りに落ちるようになった。
黴と埃の匂いのするベッドに顔をうずめて、俺にリーダーとしての資格はあるのか、と考えながらぼんやり過ごしていると、遠くで降る深夜の雨音の中、灯りを消すことすら忘れてゆっくりと浅い眠りに落ちていく。そして、しばらく時間が経った気もしないうちに、屋根を伝い窓枠で囁く朝の雨声に眠りから起こされて朝を迎える。つけっ放しだった灯りに手を伸ばしながら、夜の悩みの続きを考える日々を繰り返していた。
雨が降り始めて一週間経った日の朝、俺は雨の中を集合場所に向かうと聞いたことのある声がしてはっと前を向いた。カトウが戻ってきたのかと、ちいさな期待が胸の中に湧き上がり前を向いて声のしたほうに手を振る姿を探した。
しかし、それは集合場所で俺に手を振るカトウの声ではなかった。前を見て立ち止まる俺の横を子どもたちが雨の中をはしゃぎながら駆けて行く。小さな靴が石畳を洗う雨水を跳ねて踊らせていた。毎朝俺に向かって子どもみたいに元気に手を振る、あの姿はもう見られないのだ。振り返れば子どもたちは路地に消えていた。
本当のところ、もう来なくなるだろうとわかっていた。だが、実際に目の前に突き付けられるとここまでつらく悲しいとは思わなかった。
あの日から変わらない一日が、また始まる。
突然、立ち上がりシバサキの後頭部をアルコールの瓶で思い切り叩いたククーシュカが、あの日起きた出来事をすべて丸く収めた。
俺たちはまたしても彼女に厄介ごとを預けてしまったのだ。青白い髪を静かに揺らした空を切るフルスイングのあと、黄色い稲妻のように豪快な音を店に響かせた。見事なまでに瓶は木っ端みじんに砕け散り、光の粒をまき散らしてシバサキの意識を彼方へ追いやった。
そして、彼女はテーブルの上に酒代と割れ残ったネックを置くと、気絶し床に転がるシバサキの服の襟首をがっしりとつかみ、ずるずると引きずり店の出口へと歩みだした。太いヒールの付いたブーツを履いた彼女は静まりかえる店内をこつこつと歩き視線を集めながら入り口へ向かい、ドアを開けて掴んでいた彼を外に放り出した。それに続いて彼女も店を出て行った。
ドアが閉まるまではあっという間の出来事で、裏手から戻ったばかりにそれを目撃した俺たちは、暴走する馬車が目の前を猛スピードで通過していく時のように口を開けて見守ることしかできなかった。
そして、静まりかえっていた店内は次第にざわめきを取り戻していった。
その後、俺たちはその日二度目となる大掃除をすることになった。テーブルや椅子も床も濡れてまた水浸しだ。アルエットは女性陣に連れられて裏手に入り着替えをしていた。モップやら雑巾やらを準備している間に、人を呼びにいった栗色ショートの子が戻ってきて、それに連れだってオーナーと思しき壮年の男と水夫のように屈強な男が数人入ってきた。
水浸しの床と粉々の瓶を見るなりどかどかと近づいて来て、カトウの横にいた俺を一斉に取り囲み、お前がやったんだなと詰問した。どれだけ否定しても聞く耳を持たなかったので、詰問ではないのかもしれない。
おりしもタイミング悪く、その場に女性人陣もオージーもいなかったうえに、カトウは怖がったのか何も言わなかったので、俺は顔と腹部を数発殴られた後関節を押さえつけられ地面に張り倒され、シバサキ同様引きずられながら連行されそうになった。散らばっていたガラスの破片が足や腕にちくりと刺さったような気がする。
戻ると同時に裏手に入っていった栗色ショートの女の子が遅れて出てきて、抑えつけられている俺を見るなり慌てて駆け寄り、オーナーや男たちに20分ほど必死で弁明をすることでやっと痛みから解放された。本当にこの世界には俺を含め迷惑な人間しかいない。
解放されると、ややこしいことをするな、さっさと失せろ、と冷たくあしらわれた。
しかし、オーナーは商会と金融協会の人間がいることに気づき、その彼女たちが俺の立場を明かしたところ、手のひらを返し謝りはじめた。そして、当面の間タダ飯を食わせてくれることになったので許すことにした。
そうして一悶着あった後、掃除を再開した。幸いにも家具などは破損することはなかったので、弁償などは発生しなかった。ただ、粉々になった瓶の破片は小さく広がり、回収にはだいぶ戸惑った。すべて元通りになった後、会計はレアに預けていた七人活動時に得た報酬でまかなった。そして、ろくに話し合いもせずいつも通りの時間を伝え解散となった。
次の日の集合時間については深夜に連絡があったらしい。レアを経由して俺はそれを知った。どうやら夜までには意識を取り戻したシバサキが連絡をよこしたようだ。そして、夜が明けその時間に集まり様子を見ると、シバサキはククーシュカ・インパクト(と呼んでいる。俺だけが)のおかげで昨日丸一日の記憶を失っていた。どれだけの力で殴ればぴったり一日分の記憶をなくせるのだろうか。会議のこともアルエットに手を出そうとしたこともカトウにぶん殴られたことも何もかもすべてきれいさっぱり忘れていた。
それでもいつも通り態度が大きいのは変わらなかった。一日の記憶が無くても不安にならないようだ。小さいことは気にしないとガハガハ笑いながら彼は豪語していたが、逆を言えば彼にとって一日はたったの一日に過ぎず、日々を大切にすることなく惰性で生きているというわけだ。まるで年老いたオウムの様にいつまでいつまでも覚えた言葉を繰り返すだけで過ごしていればそうもみじめになってしまうのか。
集合場所に来なかったカトウに対して、ついにバックれたか、クズやろう、と唾を吐き捨てるように言っていた。(当然だが俺はカトウに集合時間を伝えた)そして指導力が足りないと俺を説教した後、バカ同士で馬が合うならお前が連れて来いと競りでもしているかのように自らの膝をパンと叩いて言い切り、最終的に満足したようだ。
それ以降、連れ戻して来いとは言わなくなった。幸いなことにカトウの知り合いがウミツバメ亭にいることも覚えていないようだ。そして、ウミツバメ亭で手伝いをしているという報告もしていなかったので、シバサキの中ではただ来なくなっただけという認識ようだ。それらについては誰もシバサキには言わなかった。
――というよりも、誰も彼とまともに話そうとしなかった。必要最低限の業務の話だけしてそれ以外はすべて無視をするのだ。記憶を失おうとしたことは消えないので、コミュニケーションを取りたくないのだろう。
橋崩壊の責任転嫁、灰皿ウィスキー、報酬ぶっこ抜き、雪山強制遭難。以前にも似たようなことはあったはずだ。それでも、すぐに辞めたり移籍したりせずにチームメンバーとして彼によく付き合えるな、と不思議に思う。
確かに、それらをするにはリーダーの権限が必要で、手続き上の煩雑さや問題もあるのかもしれない。ただ、あれだけのことをしながらもチームとして維持できるというのは、これがもしかしたらシバサキの持つ力なのではないだろうか。
もしかしたら、どれだけぶっ飛んだ命令であっても部下たちを動かすことができなければ、リーダーとしては務まらないということなのだろうか。
もし、そうであるならば俺は向いていないのかもしれない。
俺は、指示が本当に最良の選択かどうかで無駄に悩んだ挙句、反論のすきを与えて止められてしまうからだ。それだけにとどまらない。他人にも自分にも甘いという建前で、人に嫌われたくない、という本音を隠そうとしているからだ。
その点においてシバサキは反論の余地も与えず、好かれるか嫌われるかを歯牙にもかけない。それができないはずなのに俺は自ら進んでリーダーになったという自己嫌悪を、寝起きを繰り返すたびに脳内に駆け巡らせていた。
惰性の日常に戻って行く中で、シバサキが提案したフレックスタイム制の話は次第に有耶無耶になり、最初からなかったという扱いになっていった。カトウがいないこと以外、変わったところは特になかった。
というのが理想的だが、実際のところだいぶあった。揉めごとは日々増えている。
その中で俺はオージーとアンネリの二人ともめ事を起こしてしまったのだ。事実を知らずに不快なことをしてしまい謝る俺に二人は気にしてはいないと言い続けたが、チームを円滑にする担当を自称するワタベがそのことに反応し、和解の場を設けようと言いだした。そして三人で呼び出されてそのことについての話し合いがあった。話し合いと言っても俺がワタベに一方的に言われるだけだった。その間、当事者であったアンネリ、オージーは終始黙っていた。
「イズミくん、大丈夫かい? 今回の件は気にしないでくれ。ボクが言えた義理ではないが」
「それでさ、あんたが落ち込んでるのって、さっきの話し合いについてだけじゃないわよね?」
話し合いが終わり、ワタベから離れると二人は話しかけてきた。自分に対する情けなさから口から空気が漏れるように愛想笑いが出てしまった。それにアンネリは鼻からため息をして俺の顔を覗き込んできた。
「図星なのね。後輩君のこと?」
「そうだけど、できることならカトウくんのことは少し放っといて欲しい」
「それは君のためにも、カトウくんのためにもならないよ」
オージーの言うとおり、チームメンバーが来なくなるのは上の立場からすれば部下の管理ができていないと同義である。それに正式に組織を抜けていないのに、別の組織に勝手に所属するのも非常に問題だ。それを上が放っておくのはもってのほかだ。
「そうよね。あんたはどうなってほしいの?」
「俺は、あいつにはあそこで頑張ってほしい」
「じゃそれでいいじゃない。あれから会ってないんでしょ?それに背中押したいんでしょ?」
「彼の進退をはっきりさせなければいけないとボクは思う。それ次第でいずれ手続きとかの話も出てくるだろう」
そのことを俺は私情を挟んで無視していた。
しかし、来なくなってしまってから日も経ち、まるで感染して化膿した傷口のようになってしまって、どう手を付けたらいいのかわからなくなってしまっているのだ。
「でも、」
突然アンネリは俺の前に立ちはだかり遮った。
「でも、でも、だって言うな! あんたの代わりにあたしらが行ってもいいのよ!? でも行ったところで何になるのよ? 変な空気になって何の進展もないままになるわよ。今のリーダーもあんなんじゃ、あんた以外に話しできる人いないのよ!」
「イズミくん、何度も言うけどボクたちは君の、君だけの指示を信じているんだよ。こういうとまるで丸投げのように聞こえるけど、君の指示にこたえられるようにするのがボクたちなんだ。もちろんすべてってわけではなく、前提が破たんしていれば止める。君の指示は臆病と言われるかもしれないけど堅実で、破たんしているような指示は一度もしてこなかった。だから付いてこられたんだよ。指示が正しいか間違っているかより、まずそれを出せる人が必要なんだ。それにカトウくんはあの横柄な男よりも君のことを選んで信頼している。アンネリが言う通り、話ができるのは君だけで、ボクたちと同じように彼は君の指示を待っているはずだよ」
コイツら、好き放題言いやがって。やるのは俺なんだよ。へへへ、と思わず笑ってしまった。それも覚悟の上でリーダーとしてこの二人を勧誘したのだから、そんなことを言うわけにはいかない。
胸のあたりが熱くなり、頭をかいてごまかした。
カトウは来ない。でも、俺の指示を待っている。
でも、もしそうでなかったら。と考えるのはもう止めなければいけない。
俺は本当に面倒くさい男だ。ますます自分が嫌になる。
隣を歩く二人とアイコンタクトをして小さく頷いた。
「行く気になったなら、明日にでも行ってきなさいよ」
「彼がまた何か言うかもしれないけれど、ボクらが適当に丸めこんでおくよ。ははは」
オージーは俺の肩を叩いた。
あくまで俺はご飯を食べに行くつもりで、明日ウミツバメ亭へ行ってみようと思う。
雨具はかさ張るから晴れてくれるといいな。
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