強欲な取引 第十一話
その瞬間、ユリナさんは勢いよく離れると両肩に手を置いてきた。まるで解放されたかのようにユリナさんの体温が離れ、自らの体温まで奪われるような気がした。
「つまり、ブツはまだどこかに渡してはいねぇってわけだな」
そう言うと、ニッコリと微笑みを浮かべ、軽く二、三度肩を叩くと掌を押しつけてきた。
――しまった。またやってしまった。
もはや言い逃れは不可能な致命的ミスを犯してしまったことに、指摘されてから気がついた。
余裕がない私は誘導に乗ってしまった。しかし、思い起こせば問いかけに捻りはなく、誘導と言うには稚拙。余裕を奪うつもりが奪われ、自らそこに足を踏み入れたのだ。
体温が奪われるような違和感は震え上がる予兆だったのだ。脇腹が冷たく収縮する感覚に襲われた。
何処かに渡していない。それは紛れもない事実なのだ。
まだ採掘可能な見込み量の報告を待っている段階であり、アスプルンド零年式二十二口径雷管式銃は私の手元にある。
数ヶ月前、早雪がまだ始まったばかりの頃、デモンストレーションは行われた。
芳しくない戦況と戦地で見てきた者たちの話により、デモが始まる前には最新超兵器の横流しが売りに出されると既に大きく盛り上がっていた。
始まるや否や、試射をして人型の的を木っ端みじんに弾く様を見せつけ、セールスポイントである魔法使いに限らず誰でも扱えることを大げさな口上で強烈にアピールした。
すると会場はまるで沸騰するかのように沸いたのだ。
どこの自治領であっても魔力雷管式銃は明らかな兵力増強につながるので食いつきは良く、デモは大成功を収めたと言っても過言ではない。
デモンストレーション会場で銃の威力を実際に見た自治領は、保守、傾北、傾ユ、中立、親エルフと言った様々な傾向を問わず、連盟政府に残留している地域ほぼ全てだった。
デモ後にその場で購入に名乗りを上げた自治領は多く、翌日翌々日までに連絡を入れてきたところも合わせるとかなりの数になった。
多くいながらも、いずれの自治領も銃の圧倒的な威力にしか興味を示さず、商会に売った硝石の行方についてを疑問に持つところは一つもなかった。(ここまでは商会の狙い通りだった)。
やがて希望した自治領が出そろった頃合いで、彼らに対し長期的に安定した採掘量を維持できるところと契約を結ぶという通達をした。
しかし、それからのプロセスに時間が途轍もなくかかっている。自治領内での意思決定が非常に遅く、通達から数ヶ月経過した今も尚、報告を待ち続けている状態なのだ。
これまでに硝石採掘見込み量報告をしてきた自治領は、候補全体の三十パーセントにとどまっている。
割合で見れば三十パーセントと少なく見えるが、候補の数が多いので具体的な数にすれば少なくはない。
だが、過去数十年の採掘・取引量と比較すれば見込み量を水増ししているのが明らかな報告をしてくるところや、維持ではなく量ばかり誇張しすぐに枯渇する可能性のある危うい報告をしてくるところなど、残念ながらユリナさんの指摘した通り、どこも取引に値するとは言い難いのだ。
北公と連盟政府との戦いがノルデンヴィズ南部戦線で停滞し、時間的猶予はあるだろうと高をくくっていたので期限を設けず急かさなかったのは致命的だった。
どこの自治領も他の自治領がどれほどの採掘見込みがあるのか探り合いが起き、ただでさえ遅い行動がさらに遅くなっている。
一方で、探り合うくらいならデタラメでとりあえず勝ち取ってしまおうと言うところも相次ぎ、商会も判断に難航しているのが現状だ。
それ以外にも様々な理由で非常に切迫した事態へと向かっているのだ。
私は焦りで完全に言葉を選び間違えた。
完全に流れを掌握してしまったユリナさんは上機嫌に笑っている。私の座るソファに肘をつき、人差し指で背もたれをなぞりながらこちらを見つめてきているのが分かる。
うなじに強烈な、熱さえも感じるほどの視線が当たっているのだ。もし振り返り目を合わせれば、もはや全てが焦がされて終わりなのではないだろうか。
そう思うと、私はますます動けなくなってしまった。
「岩肌ほじくって出てきた鼻くその塊みたいな石っころあちこちからかき集めて硝石ですってちまちま持ってくんだろ?
それとも何か、いきなりコウモリたくさん飼いだしたり、領民の床引っぺがしたり、ウ○コを税金で買い取ったり、ギャグみたいなこと始めてんのか?
コウモリと領民のクソ集めて作るなんて何百年かかるんだよ。残念だが間に合わねぇな。
うちならその千倍の量を即戦力の形で供給できるぜ?
戦争したいんだろ、武器屋さん? 土地と資源を巡る戦争は儲かるからなぁ。
知識こそが唯一の価値になり戦争が無意味になる大いなる時代が到来する前に、ジャンジャンバリバリ儲けときたいんだろ?」
視界の隅で円を描くように動くユリナさんの人差し指を見ることに専念して目を合わせないようにした。
「私は戦争がしたいのではありません。北公に敗北をもたらさないことです」
人差し指が半円を描いたところで突然ピタリと止まると、ユリナさんは「……なんだ。そうか」と囁きながら二回ほどトントンと叩いた。そして、
「“裏切り者は誰だ”」
と低い声で呟き、ソファの縫い目を爪でひっかいて乾いた音を立てた。




