白狼と猟犬 第七十五話
「人を撃っておいて良き日とはな。私という好敵手に会えたことを祝ってやろう。私も久しぶりだな、タバコは」
そう言いながら、ポルッカは不器用に箱から一本取りだして咥えた。
ライバルではない、期待の成長株を見た――、と訂正はしないでおこう。何も言わずに彼女の言葉を待った。
「今でこそお堅い軍人面しているが、ガキの頃はイキってよく吸ってたものだ。止めたのは、いつだったか。確か、軍に入る直前だな。
親にバレたとき、怒られはしなかったが途轍もなく悲しい顔をされた。そのまま見放されるのではないかとも思った。以来吸う度に思い出すようになって、やめた。そのとき以来か」
彼女は、タバコを咥えた下顎を突き出すようにしながらそう続けた。
「利き手の左手がその怪我じゃ使えんだろ。火なら付けてやろうかい?」
手を貸してやろうかと思ったが、ポルッカは下を向くと右手を払った。そして不器用そうに私の投げたライターを右手で持ち上げて火を付けようとした。
力をうまく入れられない震えた手で幾度もカチカチと弱い音と火花を散らした後にようやくライターを点け、やっとの火を消すまいと大事そうにしながらタバコに火をつけた。そして、大きく吸い込むとむせた。
「負けたのはそれだけではなさそうだ。癖を直さず、それに固執した私はそれが正しいと信じ、自分自身にさえ押しつけていた。それを否定されて私はむきになってしまったのだな」
苦しそうに咳き込んで身体中を揺らし、狭い気道を絞り出すような声でそう言ってタバコを右手の中指と人差し指で持ち上げた。
「ゲッホゲホ! 久しぶりとは言え、ゲッホ。しかし、これはキツいし変わった味だな。何処の銘柄だ……?」
「はっ、タバコはやめときな。せっかく止まり始めた血がまた出ちまうよ」
私もタバコをつまみ上げ、床に黒い焦げ痕を残して消した。ポケットの携帯灰皿を探りながら「で、あんたはこれからどうすんだい?」と尋ねた。
「私が戦士としてここにいても、もうできることはないだろう。
ことが落ち着いたら上官のムーバリのところに戻って、怪我の手当でもして貰うか。この傷は治癒魔法でも少しばかり時間がかかりそうだ。
その後は、軍にいるしか能の無い私は傷が癒えるまで後方で判子でも押してるのもいい。営倉やら除籍やらよりはマシだな」
「おや、ここから逃げ出して、なおかつ上官に怒られないって選択肢を残してるってことは、何か奥の手でもあるのかい?」
私はスリングに手をかけてポルッカを睨みつけた。
しかし、ポルッカは右肩を少し上げた。タバコは残っていた灰が崩れると途端に短くなり、先端を赤くした。
「はっ、あればとっくに使ってる。よかったな。独断専行で味方の援軍もない」
嘘ではないようだ。私はスリングから手を放した。
「だが、逃げるぞ」
「スナイパーってのはこうなると自決するヤツも少なくない。勧められたモンじゃないが、必死に生きようとするだけあんたは立派だと思うがね。逃がしてやるよ。精一杯生きるんだな」
「何度も両親を泣かせるわけにいくまい。貴様のおかげで両親の葬式には出られそうだ」
若いのに孝行な娘がいたものだ。
それを聞いたとき、私は何も言えなくなりポルッカを黙って見つめてしまった。
私は貧しさからではなく、自らの自由のために両親を、家族を捨てた身だ。なぜそう思ったのか、すぐには理解できなかったが、この女は生かしておくべきだと思った。
代わりにあんたが親孝行してくれ、田舎に戻って良い縁談でも受ければいい、とは都合のいい話だ。
半ば、私が投げ捨ててきたそれらを、目の前の女が自分に似ているような気がしているから全て投げつけようとしているのか。情けない。
しかし、もし、私と似ているというのなら、間違いなくこの女は戦地に戻ってくる。
こびりついた硝煙の匂いは石けんなどでは落ちない。すすけたスパイスの匂いは、私たちのような猟犬やオオカミの鼻をくすぐり戦地に舞い戻るように囁く。戻らなければと自我を溶かすように夢を喰う。
そして、一度潰れた者は酷く潰されたほどに強く立ち直り、間違いなく脅威になる。
――手負いだ。
拳銃では共和国に記録が残るので使えない。だが、殴れば片付けられる。
手元にあるアスプルンド零年式二十二口径魔力雷管式小銃のバットは、共和国の魔法射出式銃“猟犬は殺さぬ”よりもだいぶ硬く作られている。どちらが楽かはいうまでもないが、いざとなれば仕方がない。
それとも、空のバヨネットラグに私のガンビットナイフを無理矢理くくり付けて首筋を狙えば、おそらくは。
気がつけば、スリングで背中に回した銃に手が伸び、人差し指で撫でていた。もしこの女も私に似ているならば、間違いなく。
惜しいとは言ったが、目の当たりにするとやはり憎い。
これ以上は憎しみに飲まれて戦いではないことをしでかしそうだ。私がただの殺人者になってしまう前に戻るとしよう。




