白狼と猟犬 第七十一話
クライナ・シーニャトチカの廃屋は暗闇に冷たく落ちている。
息を吐けば暗闇に白く吐息が上っていく。音のない無人エリアにいると、自分の呼吸音の後にその音さえも聞こえてくるようだ。
ボルトを引いて空の薬莢を排出すると、太陽は地平線に足を付け闇の帳を引き始めていた。そして、全てが終わった頃には太陽は沈みきり、すっかり昼と朝の幕間になっていた。
今宵は新月のようだ。僅かにでもあれば闇に光を照らす月は太陽に連れ去られて久しく、どこを見上げても見当たらない。
もはや狙われることはない。しかし、無警戒というわけにはいかず、進むと息に合わせて揺れる銃口を上に向けて建物の角や影を縫い、狙撃者のいた辺りへと向かった。
新月の暗闇に沈む見慣れぬ街並みは昼間とは様相を違え、二、三度通った道さえもまるで旅で訪れた見知らぬどこか異国の通りのようだった。
記憶と星明かりだけを頼りに、闇夜の中を見覚えのある建物までたどり着いた。
朽ちた建物の入り口にはすでに戸はなく、何年も誰かを招くことを忘れていたはずのそこが、まるで私を呼んでいるかのように内側に暗闇を抱え込んでいる。
廃屋は星明かりさえ遮られておりさらに暗闇だったが、次第に目が慣れるとかつての生活の痕跡と砂埃の絡みついた蜘蛛の巣がぼんやりと見えてきた。奥にある階段は木製のようだ。
時間経過により腐り始め、気をつけなければ軋む音を抑える以前に崩れ落ちてしまいそうな一段一段を一歩一歩警戒し踏みしめるようにそれを上がった。
そして、登り切った先に見えた廊下を足の裏、つま先まで感覚を尖らせて歩むと、二つ目の部屋から物音がした。そこにはいなかったはずだが、狙撃者は移動したのだろう。
ドア横の壁際に背中を付けて内部を警戒し、覗き込んだ。
闇の中で黒い何かが動いている。闇にすっかり慣れてきた目を懲らすと、血塗れの女が手を押さえて肩で粗い呼吸をしていた。
「血ぐらい止めてやろうか?」
「冗談じゃない。情けは無用だ」
身体のすぐ傍には銃身が破裂した銃が転がっていた。
確実に当たったという、見てもいないのに確かな手応えは感じていた。だが、撃ち抜いたのは銃身だったようだ。
仕留め損ねた、と言えばそうだが、破裂した銃の一部が利き手を傷つけたようで銃はもう持ち上げられない。攻撃意思なき者は敵でも的でもない。
銃身を支えている黒い木材の表面のニスの輝きには罅が入り、引き金や薬室付近の金具は砕けて床に散らばっている。黒檀で出来ているだけあって容易には壊せないようだ。
「命拾いしたな、ポルッカ・ラーヌヤルヴィ。あんたが望遠のために銃の前に張った魔力レンズに弾丸の勢いを殺されて、銃が壊れるだけで済んだみたいだな」