白狼と猟犬 第六十六話
アパルトマンに訪れたのは遺体だけが片付けられた直後だった。
残っていたのは綺麗な魔力雷管式のチャリントン製スナイパーライフルと拳銃、暑い時期のあしの早い遺体の腐敗臭、垂れ流された屎尿の臭い、そして、それら生から無への過程で身体から放たれる強烈な臭いに混じって漂う、やや金臭さのあるソルベントの臭い。
車も多く走り始めていたグラントルアの街に開かれていた窓辺にゼラニウムが置かれていたが、水を切らして久しいのか茶色く枯れて乾いていて、風が吹くと茶色い花びらが落ちた。
私がソルベントの臭いが苦手なのは、そのせいかもしれない。
自決はスナイパーの最後として多くあり得るが、彼女が選んだのは拳銃ではなくて六フィートの麻縄だった。
自らの腕の一部である銃の手入れを怠らずに最後の最後までスナイパーであり続けたが、彼女を死に追いやったのは敵兵ではなく、メディアと運良く助けられた人質たちだった。
つまり、犠牲者だの正義だのとどれだけ喚こうと、もたらした結果は最悪の側面しか見られないのだ。そして、引き金を握る前に正義はなく、悪か否かは握った後のコンマ数秒で決まる。
正義はどこにもない。ならば必要もない。誰がなんと言おうと、私にとってはそうなのだ。
故に私は的に当てることだけを考える。
今この場での制限があるとすれば、観測手がいないうえに、期間が三日と定められていることだ。しかし、それらは焦りに繋がるほどのものでもない。
ボルトがかみ合い、弾が確かに込められるときのこすれあう金属の音を目をつぶりながら噛みしめ、自分の置かれている状況を整理した。
まず大前提として、私は確実に狙われている。
今まさに皮膚の上を這い周り、細かい毛を逆撫でていくような“糸”の薄気味の悪い感覚があるからだ。それはそこに確かにあるが、目で見ることはできない。
例えて言うなら、踏み込んだ深い藪で知らずに壊した蜘蛛の巣がいつまでも腕に纏わり付いているような感覚だ。
それだけではただの思い込みに過ぎないかもしれないが、セシリアや奥方への狙撃未遂、昨日の北公拠点でのやりとり、そしてムーバリの言付けというありとあらゆる理由によってそれは確かなものになっていた。
だが、どこから私を狙っているのか相手の場所が分からない。それ故に不用意に動くことは出来なくなってしまった。
方角は私から見ておそらく南か南南西から狙われている。
陽はまだ高くないので、狙撃者から私が逆光の位置になる西側に陣を取ることはないはずだ。
ならば狙撃者は太陽を背にして私を狙うために東側に陣を取れば良いかもしれないが、私がいる場所はまだクライナ・シーニャトチカの東にある無人エリア外縁部であり、狙撃に使えそうな高い建物はおろか、建物自体がない。
それに東側は砂漠に近づくので平坦になり茂みなども少なく、そして何より共和国軍のテリトリー状態となっている。村の完全な外側にも隠れる場所もない。
日陰の壁に頭を付けて左右を見渡すと石垣程度の壁が連なっており、その陰の中を移動できそうだった。
私は路地の陰を縫うようにして北側を経由し狙撃者よりもさらに西側へ移動することにした。
その間、わざと移動している様子が狙撃者に見えるように埃を立てたり小石を蹴り上げたりして私の居場所を臭わせながら陰を縫って進んでいった。道すがら、ギリースーツの代わりとして廃屋にぶら下がっているボロ布を集めて被った。
南寄り、つまり狙撃者に近づく形で移動をしてしまえば、狙撃者が狙撃前にポジションを変えてしまうかもしれない。そうなると再び感覚頼みで位置を探らなければならず面倒だ。




