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白狼と猟犬 第六十五話

――鎭臺連隊銃歩兵科に所属していたときの後輩の一人が、対テロ作戦の最中の狙撃に失敗したことがあった。彼女はとても優秀で、フリントロック式だった頃は私の次に狙撃がうまかったのを覚えている。


 帝政末期の過激な共和主義者が自分たちの要望が通らないことに腹を立て、現在の評議会議事堂の近くにあるオペラ座を占拠した。公演は行われておらず、リハーサル中の演者を大勢人質に取ったのだ。

 顛末は狙撃ミスにより人質が一名死亡したが、立てこもり事件は解決した。


 死は全てに等しく訪れる。故に誰が死のうと等しく扱われるべきだ。しかし、その死んだたった一人の人質が問題だったのだ。


 突如オペラ界に現れ、異世界から来たのではないかと称されるほどの新しい風を吹き込み一大ムーブメントを起こしたと言われる謎多き女性オペラ歌手“モルティエ大通り一四一番の貴婦人”が死んでしまったのだ。(私はオペラを聴くなり観るなりすると背中が痒くなるので、そのくらいしか知らない)。


 メディアは挙って騒ぎ立て、運良く助けられた他の人質たちはメディアに何度も露出し、立てこもりの主犯格よりも彼女を徹底的にたたきのめした。


 メディアは、中立公平を謳いながら反体制を臭わせて訴求性の高い過激な記事を書いてそれを売り上げにつなげていたのは昔から相変わらずであり、当時ではプロメサ系共和主義傾向が強かった。

 世間に犯人たちとその背後にいる者たちが掲げている思想よりも国が悪いという印象を与えようと躍起になったのだろう。


 人質は犯人の凶弾に死した。引き金を握り眉間に当たるまでの刹那に偶然にも犯人が屈み、それにより弾は外れた。そのとき既に追い詰められていた犯人は狙撃を受けたことに自暴自棄になり人質を射殺。

 彼女の隣で全てを見ていた観測手が一言それを言えば、世間の目こそは変わらないにせよ、彼女が必要以上に追い込まれることはなかったかもしれない。


 だが、観測手は深海に潜ったかのように鳴りを潜めたのだ。


 一切の否定がされぬ噂には尾ひれが付き、彼女が人質を誤射したわけではなかったはずだが、まるで狙って撃ったかのように世論は誘導され、仕舞いには嫉妬だとか、男の取り合いだとか、荒唐無稽な話も囁かれた。


 最後に彼女は自殺した。


 自宅アパルトマンの浴室の壁にあるバスローブを掛けるためのフックに麻縄をくくりつけて首を吊っているのを、音信不通を不審に思って訪れた両親が見つけたのだ。


 どれほど精神的に鍛え上げられていたとしても、常軌を逸したメディアリンチは彼女をそれほどまでに追い詰めたのだ。想像も出来ないほどの苦痛を彼女に与えたのだろう。


 機密扱いのはずの自死はどこからか漏れ出して公表され、それをメディアは死に逃げと叩いた後、メシネタも尽きたようで報じられることはなくなった。鳴りを潜めた観測手は被害者の顔をして葬式で泣いていたのを私はよく覚えている。

 悪いことばかりではないとすれば、葬式が終わり遺体が土の下に埋められる頃には話題も風化し始めて、ひと月も経てば誰もが忘れていたことぐらいだろうか。


 彼女の銃は死の間際までよくメンテナンスされていた。指紋一つなく磨かれ、一つ一つのパーツの細部に至るまで油の臭いが染みついていた。


 彼女が自死したのは私が軍を辞めてからだいぶ、それも十年以上経っていたが、生前は年に一度か二度会うか会わないか程度の交流が細々と続いていた。それ故に、昔のよしみとギンスブルグ家の権限で彼女のアパルトマンを訪れることができた。

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