白狼と猟犬 第五十五話
それまではただ見ていただけだったムーバリはやや慌てるように私とポルッカを交互に見ると、右手を挙げて微笑みだした。
「おっとおっと、これは手厳しい。ジュリアさん、あなたも意地が悪いですね。ラーヌヤルヴィ下佐、おちつきたま……」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 軍を侮辱されて落ち着いてなどいられるか!」
ムーバリの制止などもはや聞こえていない。肩を上げ、髪を逆立て、ギリギリと音がするほどに歯を食いしばるポルッカは殴りかかるように振りかぶり、私の胸ぐらを両手で掴み上げた。
「私が、この私がポッと出の上佐以下だと!? ふざけるな! 私は実力でここまでのし上がってきたんだ! 左手で使った方が私は成績が良い! 他のどんなボンクラ兵士どもよりもな! それに私には錬金術もある。それを使えば見えないところまで見ることができる。それにかなう者はいない!」
ポルッカは顔の目の前で唾をまき散らしながら啖呵を切った。
視界の隅では、ムーバリは目をつぶりながら挙げていた右手を下ろすと鼻から息を吐き出して、机の上の書類の方へ視線を向けて書類作業を再開し始めていた。それはまるで何かを諦めたかのような仕草にも見えたのだ。
彼の仕草から見ても分かるとおり、ポルッカは大事なことを言ってしまったのだ。
なるほど、スナイパーはこいつか。怒りにまかせて自ら秘密をぶちまけたね。
銃の射程よりも遠くを見る意味はあるのか、と尋ねるのはやめておこう。私に“撃てる射程はとても長く、そして正確である”と悟られたことに気づかれては隠蔽される。ここで余計なことを言わなければ、彼女も自分で言ったことには気がつきもしないだろう。
「……そうかい。確かに成績が良ければそれでいいな。力も何も、使えるものは全力でその全てを使ったほうがいい。だが、利き手利き目を右にするか、左手用の銃を作るかした方が良いよ。いつか命取りになるよ」
私がなだめるように言うとポルッカは落ち着いたのか、私の胸ぐらを放した。掴む力は弱いものの、肩や腰はしっかりと鍛えられている。あの長尺モノの銃を振り回すために相当鍛えなければいけないはずだ。性格の面はともかく、スナイパーとしてはかなり上手のようだ。
「何度も言わせるな。こうでなければ撃てない。これで私は戦果を上げてきた。貴様に私のやり方など理解されても嬉しくない」
セシリアの幸運と奥方の実力、どちらかがあったから二人から弾丸は逸れた。しかし、私が狙われていたら死んでいたかもしれない。
「まぁいいさ。お前さんのことはよくわかった。今日は帰らせてもらうよ。ムーバリ上佐、邪魔したな」
皺の寄った上着をただしてため息をこぼした。特に何も言わずにドアの方へ振り向き、進んだ。
「お前、怪しい例の民間団体のジュリアとか言ったな。日向には顔を向けない方が良いぞ」
「ご忠告、恩に着るよ」
右手を挙げて背中越しに返事をした。
ポルッカに背中を向けるのはこれで最後だ。次向けたときがあるとすれば、無様にうつ伏せに倒れたときだろう。
いよいよ私の番が回ってきたのは間違いない。こいつは私に狙いを定めた。
後はどこで対峙するかだ。撃ち合いはもう始まっているのだ。