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魔法使い(26)と勇者(45) 第六話

 目を開けると天井が見えた。寝起きに天井を見るのは久しぶりだ。

 横になっているところもやわらかい。ベッドか布団か、いずれにせよ眠るための道具の上にいるようだ。


 いい匂いもする。できたてのパンとコーヒーの匂いだ。

 こっちに来てから五か月くらい野宿かテント暮らしだった。

 そういえば、なぜこんなに心地のいいところに横たわっているのだろうか。それよりももう少しこうしていたい。


 寝具のおさまりのいい位置で体勢を整え、再び眠りに落ちていく意識の片隅で少しずつ記憶を掘り起こしていた。


 休みの二日目の朝で、硬い寝床から起きて、準備を整え。休みの日に何の準備だっただろうか。そうだ。確か観光をしにいくつもりだったんだ。確か、どこかへ、いったような。拠点の近くの、湖で、そこで、


あ。


 ほとんど落ちかけていた意識は湖での異変を思い出してはっきりと目が覚めた。

 同時に心臓の鼓動が跳ね上がるのがわかった。慌てて起き上がり確認すると、五体満足でお金も一切減っていなかった。

 おぼれた感覚は全くない。水を飲んだ記憶もない。もしかしたらあの女神が何とかしたのだろうか。何とかしてもらえたのはありがたいが、なぜもっと早くやらなかったのか、と心の中で悪態をついた。五か月彼女を放置した人間が言えた義理ではないが。


 まず気持ちを落ち着かせる必要がある。確か、どこかの偉いお坊さんが言っていた、十秒かけて呼吸しなさい、というのを実践してみた。


 ゆっくり息を吐きながら状況を整理する。

 今、俺はベッドの上にいる。つまり、俺は湖で遭遇した怪しい霧の中で女神に誘拐され、女神に言われるだけ言いわれて用事が済んだ後こっちに戻されどこかに放ったらかしにされたところを偶然にも通りかかった親切な人に見つけられ、看病の末にここ、ベッドの上にいるということだ。だろうか? どんな人だろうか。男一人を運べるくらい筋骨隆々な人だろうか。


 動悸が少しだけ収まった。とりあえずまだ生きていることはわかった。


 さらにコーヒーの匂いがいっぱいの空気を吸い込んだ。

 窓からは日が差し込んでいる。だいぶ高い。もうお昼過ぎだろうか。

 目が覚めてガサガサと立てていた音に気が付いたのか、女の子が部屋に入ってきた。


「お目覚めですか? 湖で異変が起きた後にどうなっているか様子を見に行ったらあなたが倒れているのを見つけてここまで運んできました。あなた、ときどきうちのキャラバンに獣の肉とかを売りに来ていた方ですよね? 大丈夫ですか?」


 どうやら親切な人はこの人のようだ。屈強な男性を想像していたので、体躯の小さな女の子が現れて拍子抜けしてしまった。ドアをそっと閉めるとコーヒーを持ってきてくれた。

 受けとるマグカップは熱いことはなく、淹れてから大分時間が経っていたのかぬるいくらいだ。


「大丈夫みたいです。ここはどこですか? そしてあなたはどちら様ですか?」

「湖から一番近い町です!私はトバイアス・ザカライア商会の先遣開拓商人のレアと申します」


 湖から一番近い、と言うことは街道のあのあたりから500キロくらいあるはずだ。

 新幹線なら14000円くらいか。でもそんな便利なものはなさそうだ。

 申し訳なさからか手渡されたコーヒーに映る自分の姿に眼を落すと、寝起きの顔と寝癖の付いた髪が見えた。


「ものすごく長い距離を運んでいただいたんじゃないでしょうか? お金はどうしましょう。手持ちがあまりないのですがこれで足りますか?」


 どれくらい遠いかある程度は把握していたので聞きたくはなかったが気になって仕方がなかった。金貨や銀貨を入れていた袋を手渡されるとレアは蓋を少しだけ開けて中身を確認した。そしてそこから1枚だけコインを取り出してそれを見つめて難しい顔をした。


「全然足りないですね! そもそもここはエイン通貨で、湖のあたりはルード通貨なので通貨から違いますよ!」


通貨が違う、ということはどこかの国境を越えたということだ。

クソ女神が。わざとだろ。ゆるさねぇぞ。

500キロごときで通貨が変わるなどどれだけ辺境に放り出したのか。

眼の下がぴくぴくと動く。イラつく余裕までは取り戻したようだ。


 レアはコインを袋にしまうと、蓋を閉め丁寧に渡してきた。


「今回は借金ですね。本来はトバイアス・ザカライア商会はや国家や国家的お金持ちにしか貸金業はしません。返済期限厳守で利子も結構付きます。当然ですが、返済能力があることが前提です。今の段階だと来週末には小国の国家予算ぐらいになりますね。でも、今回は期限も利子も設けません。金額も内緒です! たぶん、ショック死しちゃうかもしれないので。それではゆっくり休んでください。宿のお金も特別に私で立替ますので。あと一週間は滞在できますよ! その間にお仕事とか探してくださいね!」


 寝起きにとんでもないことを言い放って、その女の子はすたすたと部屋から出て行き、それではまた後程! と元気のいい声の後にドアをぱたりと音を立て閉めていってしまった。

 来週には国家予算になるような利子とは一体何のだ。トイチよりたちが悪いのではないか。しかし、どうやら今回の借金はこの子自身が個人的に行ったものにしてくれたようだ。これを旅費交通費、福利厚生や雑費などと言う名目を付けて経費として本部に申請してしまうとバレてしまい、瞬く間に特定され国家予算に加えて額に応じた割合の追徴金がついてしまうそうなので黙っていてくれるようだ。実際にいくらになるかは聞いていないがきっと雑費として扱うには高すぎるのだろう。


 冷静に考えて、この子の個人資産は小国より少し少ない程度、と言うことか。何者だ。

 だが、元気のいい子だ。借金の額はともかく、悪い子ではなさそうだ。部屋にいればまた来るのだろうか。


 話も終わったみたいなのでもぞもぞと布団の中に戻ると、半年ぶりのやわらかい寝床のなかは暖かく、もはや出ることは不可能ではないだろうかと思うほどに体は包み込みこまれてしまった。

 湖から運ばれるまでの長い間意識不明になっていたのだ。病み上がりと言うことでいいだろう。などと陽も高いうちから布団の中で動かなくていい理由を探すことにした。

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