弓兵さんはバズりたい 第七話
雨季の気配が強い。
弱い雨の日が少しずつ増えてきて、じめじめとしてきた今日この頃。長袖の春物の装いは暑くて汗をかくとまとわりついている。しかし、それが嫌で上着を脱いでしまうと少し冷える。着るものが難しい季節だ。
「アンネリ、どうしたの?」
久しぶりに受けた討伐以外の護衛任務の終わり頃、道の途中でアンネリは膝に手をついて息を整えている。顔色もあまりよくなく、心配なので俺は声をかけた。熱中症だろうか。
「うぇ、気持ち悪い……。でも、あと少しだし大丈夫」
傍らにいるオージーは心配そうにアンネリを見つめていた。
「アナ、やっぱり……」
彼も心配なようで声をかけている。「大丈夫!」と突っぱねると俺の方を向いた。
「イズミ、あたしはまだ大丈夫だから。ダメだったらとっくに言ってるわよ。あたしらは頑張らなきゃいけないの! つか、あんたは後輩君の面倒見なさいよ。なんか落ち込んでるわよ」
膝についていた手をあげて、カトウの方を指さした。
指の先のカトウはとぼとぼ下を向いて歩いている。生き生きしていたウミツバメ亭の時とは別人のように元気がない。「オージー、頼むよ」とアンネリを任せると俺はカトウの方へ赴いた。
そして、彼の横に並び歩幅を合わせて歩き出した。
「ここんとこ暑いなー。水飲んだ?」
「なんスか……、先輩」
ふてくされるだけふてくされて、口からぺっと噴き出すような小さな声の返事をしてきた。大丈夫と聞かれて、大丈夫じゃないですと素直に言ってくれるほどカトウは俺を知らないし、俺もカトウを知らない。
しかし、何を言ったらいいのかわからない。ここで気を使って言葉を選べるほど俺は器用じゃない。何か変わったことはないかと彼の様子をうかがった。すると、何かに違和感を覚えた。落ち込んでいること以外、普段と変わらないカトウの姿だがどこか物足りない。さらによく見ると、いつも大事そうに背中に抱えていた弓を持っていないことに気が付いた。
「大丈夫じゃないよな? なんかあった? 弓どこやったの?」
眉を寄せて疲れ切った顔をして俺をちらりと見ると再び下を向いた。
「……さっき隠されたッス」
聞き取るのが難しいほどぼそぼそとした声で小学生のいじめみたいなことを言いはじめた。
「誰に?」
「……シバサキさん」
隠したのは大人だった。カトウはすぅっと息を吸うと顔を上げた。
「実は前からッス。弓をときどき隠されるッス。それだけじゃ無いッス」
カトウが言うには、矢にも何かされているようだ。矢の上に座ったり、踏んづけたり、わざと力のかかる持ち方をしたりするらしい。それで折れたり、曲がったりしているらしい。でも、カトウが自前でそろえているので数にも限りがあり、それを使わざるを得ない。
矢の調達費用について何か言うと減給すると怒鳴られたので黙っていることしかできない。前を向いたカトウの、仕方ないッス、慣れてるッス、と諦めにも似た表情は余りにも自然で、彼の言うとおりつい最近始まったことでは無いように見える。彼は直接的には言わないが、シバサキからいじめを受けているようだ。
いじめの話を被害者側から聞くと、被害者本人の主観が強くなるので内容が大きく膨らんでいることが少なくない。被害を受けたのだから、それに共感(同情と言うと何か違う)してもらいたいし、加害者側をこれでもかと悪役にしたくなるものだ。
ただ、話をどれだけ盛ろうが、加害者を親の仇のように言おうが、本人がそう感じてしまった以上そこにいじめは存在するのである。だから、聞き手は作り話だろうと話半分にいい加減に聞くのも間違いで、言われたことをすべて真に受け加害者を攻撃するのも間違いなのだ。
カトウが直接的にいじめだと言わないのは、シバサキの立場が上であるからだろう。加害者とされている側が善意や教育だと思っていて、悪気が無いことも否定できない。もちろんそれらは勘違いや行き過ぎていることには代わりはないし、悪気が無ければ許されるのかと言うと、そんなはずはない。
繰り返すが、いじめは本人がそう思ってしまった以上それはいじめなのだ。
カトウと話しているとシバサキが近づいてきた。
「カトウ、矢を見せなさい。しなりをチェックしてあげるから」
まるで喉が渇き道で行き倒れた人に救いを差し伸べるかのような、やさしい笑みを浮かべながらカトウに手を突き出している。
「嫌ッス……、つか、しなりのチェックってなんなんスか……」
不服そうにシバサキを見つめるカトウ。しかし、それにシバサキは激昂した。表情は一変し右手のこぶしを振り上げ、これから殴るぞと言わんばかりの仕草をしている。
「わざわざ上司が武器のメインテナンスをしてあげようとしているのにその態度はなんだ! ここでやらなくて戦闘に支障が出たらどうするつもりだ! お前が持っていると壊れるから弓も預かっているというのに! 本来はするべきではない部下への思いやりを特別にお前には向けていやっているのがわからないのか。僕は悲しい」
そういうと強引にカトウの背中から矢筒を奪い、矢を一本ずつ取り出しぐいぐい曲げ始めた。カトウの顔がみるみる引きつっていく。曲げられた矢は見るからに湾曲していた。そして、何本か曲げた後、ぺきっと軽い音がして折れた。それを手にシバサキは感慨深そうな顔をして高く掲げた。
「見ろ。こういう質の悪い矢があると支障が出てしまうんだ」
その後も次々に矢を取り出し、ぐにぐに力を加え気が済むと地面に投げ捨てている。もしかしたら、カトウの狙いが悪い理由は本人の腕の問題ではなく、これではないだろうか。弓や矢のメインテナンス方法を俺は知らない。だが、まっすぐ飛んでほしいものを曲げて行うようなものは存在しないはずだ。これはメインテナンスでもなんでもない。すぐにでも止めるのが本来するべきことなのだが、手に持っているものが鋭利なもので何か言うと逆上して刺されるかもしれない。
曲げられ、折られ、使い物にならなくなっていく矢が地面に放られて山を作っていく。例え誰かを傷つける武器であっても、道具を大事にしないことは許されないはずだ。俺にはその山はゴミにしか見えないが、きっとカトウはそれを拾い、これまでしてきたように再び道具として使うのだろう。そう思うと何か頭の中に不協和音が響いて耳が痛くなったような気がした。
シバサキの押し付ける善意はそもそも善意ではないし、教育も自己満足で反面教師だということを思い出した。俺は彼に何を期待していたのか。四十を過ぎたいい大人がいじめなどしないという間違った先入観があったのだろう。そう思うと虚しさが込み上げてきた。そして、見ているのに止めることが出来ない自分が無力でどうしようもなく腹が立った。
あのおっさんがカトウに射抜かれても、俺は何も言わないことにしよう。これまでは誤射で済んだかもしれないが、いずれ本気で的にしそうだ。
ただ、俺はそうなる前に止めなければいけない。そう約束したから。
―――止めなくてもいいんじゃない?
「アンネリ、なんか言った?」
「は? 何言ってんの?」
気のせいだろうか。女性の声が聞こえたような気がした。通り抜ける風に空耳でもしたのだろう。
すべての矢にひん曲がった違和感を付けた後、嗜虐心が満たされたのか、シバサキは弓と矢をカトウに捨てるように投げ返した。筒はがらんがらんと音をたて、一部戻されて中に入っていた矢はばらばらと土の上に散らばった。矢筒をゴミ箱か何かと同じにしているのか、その中に折れてしまった矢も入っていた。
カトウは何も言わずにそれを拾いあつめると土を払った。そして、それらを悔しそうに握りしめている。向けられていた背中の震えが収まると俺の方を向き、
「イズミ先輩、本来ならありえないんスけど、センパイで弓と矢、預かっててもらえないッスか? もう嫌ッス。こんなの。先輩ならあんなことしなさそうだし」
と言った。俺のことは信頼していると思ってもいいのだろうか。それはあまりにも危ういと思う。飯を奢り、話を少し聞いたくらいで懐柔してしまうようでは、この先の人生でシバサキのような人間に再び遭遇した時に同じ思いを繰り返すはめになるかもしれない。
カトウのいいところであるその素直さ故に、自分が他人を振り回す以上に誰かに振り回されたり、いじめのようなことを受けたりしてしまうのではないだろうか。しかし、それを世間に擦れることで直していってしまうのは、それはそれでとてもさみしい。
「仕方ないね。レア、テッセラクトの中に入れておいても大丈夫? 出し入れが頻繁になるからちょっと面倒だけど」
傍にいたレアに尋ねると「構いませんよ」と鞄を下した。そして、弓と曲がった矢をレアのテッセラクトにしまった。カトウは何を思ったのか、折られた矢をそっと自分のバッグにしまった。
守ればいいのは自分のチームのメンバーだけでいい。そんなことを考え続けていた俺はカミュとレアの前で付いてこいと啖呵を切ったあの時よりも、もっと無責任な人間なのかもしれない。
読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘・ブックマーク、お待ちしております。