白狼と猟犬 第十五話
ある意味これが運命の出会いだったのかもしれない。
当時、銃歩兵科は貧弱だった。戦闘時の遠距離攻撃は、まだ鍛錬された弓兵のテリトリーであった。彼らは帝政ルーアと共に歩んできた長い歴史に培われていたのでとても優秀で、近代化が進んでもまだ前線には出ていた。(弓自体にも長距離飛ばせることが可能になる仕組みなど近代化が図られていた)。
その反面、銃はフリントロック式のものであり、音による威嚇とあわよくば弾が当たれば良しという程度で、弓よりもさらに遠くからこそこそと撃つなど勇敢ではないと蔑まれていた。銃なんか実戦では使い物にならないと言われていたのは風評被害でも何でもなく、実際使い物にはならなかったのだ。と言う割りに人員はやたらと多く狭き門かと思いきや、すぐに入れた。
戦争に行けるのは貴族だけで如何に華々しく散るかという思想は、プロメサが伸びて資本に重きが置かれるようになると大きく変わった。貴族たちはそうでない者たちにも軍人の道を開くことで、自らで戦う機会を減らし、戦うことで失う自らの資本を減らそうと言う目論見があったからだ。それが一般的な認識になったのは私の親世代からであり、軍人は殆どが民間人になっていた。
何故そんな話をいきなりし出したか。軍に入ったときに話せというかもしれないが、それが無知な私の目に必要以上についたのは、銃歩兵科に移って以降だったからだ。
銃歩兵科には、親の世代が未だに前時代的思想であるノブレスオブリージュの考えに固執しているので子弟を軍に行かせることを決めてはいたが、本人は行きたくないという矛盾した思考のナヨナヨした貴族のお坊ちゃんたちが多かったのだ。
そこは一般兵にとっての窓際であり、貴族のお坊ちゃんには軍属という泊付けのための場所だというのは入ってすぐにわかった。
ナンバー2がなぜ弱小に行ったのかと理由を聞かれたり、色々と言われたりもした。結局ナンバー2は臆病だ、臆病だからそこに甘んじているんだと、ナンバーも付いてもいないようなヤツから言われた。弱い者の集団に加わって、そこで自分を慰めたいだけだとも言われた。
だが、なんと言われようとも気にもならなかった。弱い集団に入ったのは事実だし、ウィンストンに勝てそうな銃歩兵科に入ったのも自分を慰めようとしたのだと言えないこともない。だが、訂正するとすれば、私は自分より上しか見ていなかった。
火傷で大騒ぎするお坊ちゃんが多い割りに、訓練ではありがたいことに実弾射撃の機会が多く与えられた。そこで下手くそなりに何十発か撃っていく内に、銃の癖がわかってきたんだ。
真っ直ぐ飛ばないなら、どこへ飛んでいくのか、それを見続けている内に誤差はあってもだいたいは右にずれるパターンが多いことに気がついた。おそらく右手で引き金を握り、炸薬破裂の反動と弾丸の反作用で安定していない砲身を巻き込み右に寄るのだろうと思った。
銃自体の癖を把握すれば、後は簡単だった。それから私はフリントロック銃で戦果を上げていったのだ。お坊ちゃんたちの僻みを他所に、精鋭チームでまとめられ、さらにそこのリーダーにまでされた。
当たらないと言う思い込みでどいつもこいつも当てようと努力しなかったんだ。だから、銃は使い物にならなかったんだ。
そうして撃ち続けている内に外すヤツがバカなんだって思うようになっていった。そう思えば思うほどに精度はますます上がっていった。