弓兵さんはバズりたい 第五話
カトウの過去編 後編です。
【拡散希望】雲雀苑でチンジャオロースを頼んだらゴキブリが入っていました。どこに連絡をしたらいいでしょうか。保健所も相手にしてくれません。♯異物混入 ♯拡散希望
21:43 THU ** 201* July d234 ⇔54
そんなことをSNSに上げてから何も起こることはなく、オレは少しずつ以前の怠惰な日々に戻っていった。
その年の梅雨明けは遅く、7月も終わりだというのに天気は曇りか雨が多かった。気温も低く、その前の年の異常な暑さからすれば過ごしやすかった。
10日ほど経ったある日のことだ。その日は去年の暑さを思い出させるような日で、午前中で気温は30度を超えていた。
オレは蝉の鳴くキャンパスの森を抜けたところにある、どこの部署かわからないが大学の一室にいた。
昨日の夜にメールが来て、午後一時に大学東本館(学生課や教務課などが入っているところ)に来るように呼び出されたのだ。
指定された部屋に入るとスーツを着た白髪交じりのおじさんが座っていた。
「こんにちは。建築学部の、えーと、加藤善明君だね?」
はい、と応えるとわかったと、おじさんは小さく頷いた。そして、パソコンの画面を見始めマウスで何かを操作した。
「さっそくだけど、これは君かね?」
その人はディスプレイを動かし、画面をこちらに向けてきた。デスクトップのブラウザ上にはSNSが開かれており、それはオレのアカウントのページだった。そこには雲雀苑でゴキブリを見つけた後に投稿したものが映し出されていた。
それを見た瞬間、全身がすくみ上るような気がした。嫌な予感しかしない。これまで何もなかったからもう何もないだろうと思いはじめて自分の中で風化させつつあったそれをオレは再び引きづり出された。後ろめたいことをしたわけではないはずなのに、ッス、と小さい返事しかできなかった。それを聞くとそのおじさんは大きくため息をついた。
「君さ、こんなことして大丈夫だと思うの?」
オレは咎められるのか。そう悟った瞬間、足腰の力が抜け、焦りが体中を駆け抜けた。
大事なのは、どれだけの人が見たか、ではなく、誰が見たかなのだ。全世界のうちのたったの2、300人の中に、それを咎める人がいるかもしれない。
「だ、大丈夫も何も、こんなこと初めてで、ど、どうすればいいかわからなくてあげたッス」
嘘だ。解決策なんて探してない。
とっさに思い浮かんだ言葉を並べる。
「でもさ、これいろんな人が見るんだよ?」
だからネットに上げようとしたんだ。色んな人に見せようとして。そして欲しいのは共感じゃない。
「食べ物にゴキブリが混じるなんてありえないッス! そんなの絶対許せないッス!」
嘘だ。オレはこれを使って人のつながりを壊したかったんだ。正義なんて微塵もない。
「確かに、ゴキブリが入ったものを食べさせられるのは私もいやだ。だけどね、今の時代誰でもこれを見られるんだよ? それがどういう意味か分かる?」
「なんでダメなんスか!?」
ダメに決まってる。そんなのはわかりきっている。
「いや、なんでって……。最近はこういうのに対して社会も甘くないんだよ。SNSに載せてしまうのは晒し行為になってしまうんだよ。これから社会人になるときに就職活動にマイナスに働くってことわかってる? 企業側も秘密を簡単にSNSにあげてしまうような人材は欲しくないからね。本当に何とかしたかったら、不特定多数の眼に触れるものには載せないで、店や保健所などと静かに話し合うべきなんだ。わかるね? ましてや君、このアカウントは本名じゃないか。それに学校名も学部名も、何から何まで書いてあるじゃないか。その晒し行為で危うい目に合うのはこの店だけではないんだよ?」
事故だ。オレは上げる寸前でとどまっていたのに。そうだ。あのサラリーマンが悪いんだ。
「まぁ何はともあれ今回は大した騒ぎにならなくてよかった。早く消したまえ。君のためでもあるんだから。やれやれ、最近の学生はネットリテラシーが皆無で困るよ」
ふざけんな。なんでオレが責められなきゃならないんだ。
オレはそれからも消さなかった。そのときはもはや正義でもなく、ひばりとリョウを貶めるためでもなく、ただの意地で。
それからしばらくの間、大学の学生課からのメールが毎日のように着た。オレはすべて無視を決め込んだ。
自分は悪くないという気持ちとそのメールを開くのが怖かったから。
二週間後、キャンパスの掲示板に一枚の紙が貼られていた。
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SNSの不適切な使用を行ったために
下記の学生を八月末日付で退学処分とする。
地球環境グローバル先進都市開発学部 建築学科
学籍番号 43番
201*年 8月**日
○○○○大学 学生課
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それを見たとき、妙な胸騒ぎに襲われた。43番。確かオレの学籍番号は40番台だったはず。近い連番の奴が退学になったのか。オレの連番には誰がいただろうか。前も後ろもクソまじめなやつばっかりだったはず。
オレの学籍番号一個前の生徒は講義になると一番前の席で受けている。一個後ろの奴は漫研で頭がいいとか言っていた。工藤とかいう名前のやつが48番とか言っていたな。
まさか、な。縁起でもない、嫌な予感がした。でも、そんなはずはないだろうと思い、それを見て見ぬふりをした。
その日は朝から講義で、大教室に着くとなぜかいつも以上に周りの目が気になった。ちらちらと見られているような気がする。なんだよ、と気分の悪さを感じつつ、オレは回ってきた出席のカードに自分の番号を書き込もうとした。
その講義の担当教員はICチップを内蔵した学生証をタッチするだけで出席がとれるシステムを嫌っていて、未だにマークシートで出席をとっている。他の講義の出席では財布の上からタッチするだけなので、学生証は常に入れっぱなしで見ることは少ない。それに講義自体が久しぶりだったので、自分の学籍番号を忘れていた。何番だったかな、と学生証を取り出すと43番と書いてあった。オレは躊躇なくそれに学籍番号を書き込んだ。
43番? どこかで見た番号だ。
マークシートを塗る手が止まった。
退学になったのは、オレかもしれない。汗が噴き出て、マークシートをゆがめていく。
オレは掲示板の前に走った。嘘だと思いつつ願いつつひたすら走った。
掲示板の前に着くと焦っているのか、あの張り紙が見当たらない。
なんだ、嘘だったのか。
そう安心した時だ。掲示板のボードの欄外にセロファンテープで張り付けられた紙を見つけた。そこには退学処分と書いてあった。43番。オレだ。何度見てもオレだ。学生証と張り紙を何度も交互に見た。それでも退学になったのはオレだ。
膝が震えだしてまっすぐ立つことが出来なくなった。頭にあった血液がどんどん下へ流れていくような気がして、強烈なめまいの後に視界が狭くなっていった。
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「それからは覚えてないッス。大学で倒れた後何かあった気もするんスけど、何にも」
「おおぅ、ま、またそれはそれは壮絶な……」
カトウはここ最近の話をするかと思ったら、転生前の話から始まった。
彼の話を聞いていて思うところがあるけれど、それは後にしよう。俺自身も日本でまともに生きていたかと言えばそうでもない。
カトウが先ほど頼んでいたコーヒーはすっかりぬるくなっているようだ。口をつけて飲むと渋い顔をしてカップの中を覗いた。
話し始める前にカトウが頼んだグラタンがそろそろ来るはずだ。それと一緒に頼んだ俺のコーヒーも来るだろう。
「お待たせしました。あれ?」
これまでに注文を取ったり料理を運んできたりした人とは別の女の子が料理を持ってきた。俺を見て目を大きくしたその給仕の女の子を見ると覚えがあった。名前を思い出せない。しかし、見覚えのあるそばかすの可愛い笑顔だ。
「お久しぶりですね。あれから大丈夫でしたか?」
そう言いながらテーブルにお皿を移している。その手を見たときに思い出した。
だいぶ前のあの灰皿ウィスキーの後、俺に差し伸べられた手だった。その時、俺は恥ずかしさと虚しさでその差し伸べてくれたその手を拒んでしまった。
覚えていたのか。恥ずかしい。だが、あれだけ大きな声で目立つことをしていたら嫌でも覚えるだろう。
「あ、ああ、久しぶり。大丈夫だったよ。あは、あははは」
「あのときは大変でしたね。でも、元気になったみたいでよかったです。またいらしてくださってありがとうございます。ふふ」
お盆を抱える給仕の女の子と話をする俺を見てカトウは眉を寄せている。
「なんスか? また違う女の人ッスか? イズミ先輩、なんなスか、マジ……」
ちらりと女の子の顔を見たカトウが止まった。
「ひばり……?」
「……何か御用ですか?」
「おまっ、ひばり? ひばりだろ?」
「ひばりって何ですか?」
カトウは立ち上がり、給仕の女の子の腕を掴んだ。
「な、なんですか? やめてください」
給仕の女の子は右手に持ったお盆で顔を隠すようにしている。
「なんでひばりがここにいるんだよ?! いつの間にこっち来たんだよ!?」
カトウの声が大きくなっていく。それが怖いのか、女の子は腰が引けている。
「誰ですか? ひばりって。私はアルエットです。そんな人知りません! 離してください」
掴まれた左腕を左右に振り、引きはがそうとしている。
「カトウくん、どうしたの? この、アルエットさんがひばりさんに似ているってこと?」
これは止めないとまずいかもしれない。カトウは人をいきなり殴るようなタイプではない。だが動揺している様子で何をするかわからない。直前までひばりの話をしていたところに瓜二つの人が現れたら無理もない。それでも、このアルエットという女の子は怖がっている。出禁になるだけならいいが、人を呼ばれたらそれだけではすまない。
「先輩、そうッス! というより本人ッス! 声も肌も、そばかすも何から何まで同じなんス!」
「とりあえず落ち着いてよ。ここは日本じゃないんだからそんなことないって。ひばりさんが転生でもしてなければ」
「じゃ転生したに違いないッス! そうだよな? ひばり?」
目に焦りの表情を浮かべているカトウがアルエットに向かって言い放った。
「……違います。なんですか、てんせいって。気持ち悪いです……」
「そんな! 久しぶりに会えたのに!」
憎悪に満ちた表情を向けられたカトウはアルエットの手を力なく離した。
「落ち着いてカトウくん。アルエットさん、この間はありがとうね。もう大丈夫だから。注文があったらまた頼むよ」
俺はカトウを座らせ、アルエットを厨房へ帰した。小走りになり逃げるように去っていく彼女が見えなくなるとカトウを引き続きなだめた。
「俺も転生者だからわかるけど、似ている人ならたくさんいるよ。アルエットさんとは面識が、あー、まぁ、あると言えばあるから、話はしてみるよ。だから、とりあえず今日は食べて帰ろう」
「イズミ先輩、またそうやって女の子独占するつもりッスか? そんなんズルいッス! オレはまたここに一人で来るッス! そしてはっきりさせるッス!」
カトウは先ほどよりは落ち着いているもののまだ興奮さめあらぬようだ。
独占したいわけではない。出来る限りもめ事が起こらないようにしたいだけだ。カトウはシバサキと違ってまだだいぶ若い。シバサキのブラックリストの件もある。騒ぎを起こせば載せられてしまう可能性は限りなく高い。だから、もめ事は極力回避するべきなのだ。
「止めはしないよ。でも、カトウくんまでここを出禁にならないでね。アルエットさんと話すのはいいけど、さっきみたいに腕を掴んじゃだめだよ?」
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