白狼と猟犬 第七話
だが、十八、十九の花も恥じらう乙女になんざ知識も教養も無いだろう、それでも何をするにも金と余裕さえあれば幸せであるに違いないと、親どもが話を進めていていつのまにやら許嫁になっていた。
冗談じゃない。
しかし、どうすることも出来ず、ついに顔合わせの日が来てしまった。
母親にいわれるがままに白粉を塗ったくられ、点したこともない紅を唇に点され、腹の中身が飛び出そうなほどきつくボンレスハムのように胸ばかり出るコルセットを着けられた。
まるで、あなたはお人形さんのように可愛らしく大人しくしていれば良いのだと押さえ付けられているようだった。
準備が終わるとすぐに面会は始まった。
同じ地域に住んでいたにも関わらず、お坊ちゃまを見たのはそのときが初めてだった。
家からめったに出ないのだろう。ぷにぷにとした色白丸顔のお坊ちゃまだったのは何となく覚えている。
別に目を合わせるのも苦痛なほどの醜男というわけでもなく、如何にもなだけの男であり嫌悪の感情は全くなかった。
だが、初対面の彼を私はおもっくそブン殴った。
近づくと同時に左足を踏み出して、コルセットで固定された腰を軸に右手拳を思い切り投げつけた。
そして、お坊ちゃまが宙に浮いている間に部屋を出て、脇目も振らずに廊下を走り抜け、すれ違う女中たちの驚いた顔を尻目にドレスを脱ぎ散らかしながら控え室に戻った。
それから目にもとまらぬ速さで普段着に着替えると窓から脱走して駅に向かい、ちょうど来ていたグラントルアへの汽車に飛び乗って逃げだしたのだ。
昔なじみの悪友どもは私が何かをしでかすと見当を付けていたのか、知らぬ間に必要最低限の荷物をまとめてくれていた。
煙を上げて走り出した汽車に馬車で併走して、窓に向かってトランクを放り投げてくれたのだ。
すぐに慌ててやってきた車掌に注意されても、私は笑いが止まらなかったさ。
それからもグラントルアまでの何時間か、全力疾走のせいで起きた動悸が収まってからもずっと胸の高鳴りを抑えられなかったのをよく覚えている。
思い起こせば、これはこれは、とんでもない親不孝モンだ。
それから家族は田舎特有の閉鎖的な村で村八分に遭う。石を投げられて、家に落書きをされて、父親は酒に溺れ、母は自殺、弟は出奔
――とはならなかったらしい。
私のいた村は平地にあり、雨よりも晴れの日の方が多く、湿度もそれなりで鬱屈ともしていなかった。家々の間隔も広く、ネチネチとした縄張り争いもない。
羊が一匹よその土地に迷い込んで、ひょっこり帰ってきたヤツが実は入れ替わったヤツでも、死んでからそれにたまに気がつくくらいだ。
何年か後、軍に入って少し経ってから観光で首都に来ていた弟に偶然会って話を聞いた。
家族は何とかなったらしい。親父は娘がいなくなってしばしば荒れたが、その後勤めていた旋盤工の工場長になり、娘がいない分母親に思い切り贅沢をさせているらしい。
そのおかげで母親は見る影もなくでっぷりと太って穏やかになったそうだ。
弟は私の家出の何年か後にあっさり結婚した。
隣町に友人に連れられてナンパに出かけたとき、そこの富豪の娘に気に入られて出会って三日で結婚してうまくやっているらしい。
ナンパなんかできもしない皺の寄ったキ○タマ袋みたいな男だったが、会ったときには黒の燕尾服を着て口髭まで一丁前にはやして、立派な男になっていた。ガキどもの学校の下見がてらの首都観光だそうだ。
例の金持ちの馬鹿息子は、私の悪友たちにも言い寄った末にその中でも飛び抜けてめちゃくちゃに気が強かった一人と結婚して、子どもに名前を付けるのに悩むほどに恵まれているらしい。
蛙を見れば踏みつけて、屋根裏の鳩を焼いて食べていたあの気の強い女が子だくさんとはらしいと言えばそうだが、驚いたものだ。