スプートニクの帰路 第五十九話
シバサキとの面識は僅かなものかもしれない。だが、それでもセシリアの脳裏に強烈な記憶を植え付けていたようだ。セシリアには、まだ精神的に強く硬かったククーシュカだったときでさえ言えないような記憶があるのかもしれない。
時間は全てをやがて解決する万能薬だと一般的に言われる。しかし、時間というのはその流れは無限だが、そこに流される人の中では有限なのだ。さらに、それは限られているにも関わらず、問題を解決するのに要する時間は、ほんの一瞬であったり、人生そのもの全てをかけたりと人それぞれなのだ。彼女の人生においてそれを解決するにはどれほどの時間を必要とするのだろうか。
未来を見ることを許されない俺たち(人間)にはそれを知る術がないのだ。
幸い、ジューリアさんにはよく懐いているのは相変わらずだった。俺かアニエスの監督を条件に再開した銃の教育のとき、セシリアは積極的に彼女のところへ向かおうとするのだ。銃を扱うのであまり近づけず、すぐ側を離れてしまうのは不安だが、ギンスブルグ家は信頼に値するので任せている。
ジューリアさんの話ではセシリアはかなり筋がいい、よかったそうだ。
セシリアの持っているアスプルンド零年式二十二口径小銃は雷管式であり、共和国製のものよりもの発射時の反動が大きく、下手に撃てば大人でも肩が外れてしまうことがあるほどだ。しかし、彼女は工夫しているのか、肩を外してしまうことが全くないそうだ。
セシリアには彼女特有の変わった撃ち癖があるらしい。それも矯正するほどのものでもなく、うまく的確に撃てているのでそのままにしているそうだ。実はジューリアさんは撃てば肩が外れてしまうだろうと思っていて、本格的な戦闘については教えることは出来ないかと思っていたらしい。しかし、その才能を見込んでジューリアさんは色々教え込んでいる様子だ。
セシリアが分解やメンテナンスを一人でテキパキとやっている後ろ姿を俺はしばしば目撃していた。
時々撃たせているらしく、繰り返しになるが筋はかなりよかったそうだ。
だが、先日の誘拐未遂以降、狙いが突然悪くなったそうだ。精神的に不安定になってしまったのだろう。
これまでは無邪気に過ごしていたが、トラウマはまだ心にあるのだろう。
銃の教育がないときはひたすら三人で過ごした。また攫われるのではないかと思うと、俺も放すことが出来なかった。
腕にしがみついてくるセシリアを見る度に「孤児で可哀想だからと言って甘やかしすぎるのはいいことではありません。あなたの思う『セシリアのため』のままに育てるのと、教育しつけ叱って褒めて育てるのは違いますからね。勘違いしないでください」というクロエの言葉を頭の中に思い浮かべてしまうのだ。
ただただ毎日彼女を喜ばせることばかりして、そのトラウマに俺たちは向き合わなかったのは確かにそうなのだ。向き合ってしまえば、その喜ばしい日々が遠くへ行ってしまうような気がしていたからだ。彼女をまずは笑顔にしたい、それをいいわけに逃げていたことを俺は後悔した。
次話からはスナイパーのお話が始まります。ジューリアとポルッカのお話です。
文字数も多いのでサイドストーリーにして別にしようかと思ったのですが、次の長編『紅き袂別るる金床の星々(仮)』につながる話も多く出てくるので『スプートニクの帰路』編の話の一つに入れました。