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愛はいなずまのように 第五話

「悪いが全部お断りだ」


「なぜ? 心配しなくても大丈夫だよ。今はそう思っていたとしても、綺麗さっぱり忘れられる。そんな風に思っていたことさえも忘れて、新しい気持ちになれるんだよ?」


 嫌だから忘れてしまえばいいのか。


 確かに、人間は忘れることで心を迷いから切り離し明日を生きようとする。だが、嫌なことを全て忘れてしまうというのは、その嫌な部分の中に見えているが修正するのが面倒くさい、恥ずかしいなどと何かしらの理由を付けて目を背けている正すべき点さえも忘れてしまうということなのだ。

 それでは同じ過ちを繰り返す原因になる。


 これまでに人間は何度も進歩をしてきた。それを成し遂げられたのは過ちを“忘れた”からではなく、“学ぶ”ことができたからなのだ。


「アンタ、今綺麗さっぱりって言ったね? この身体には忘れたくない記憶があるんだよ」


 ただ単純に、同じ過ちを繰り返したくないという、その一点だけで何かも忘れることを否定しているわけではない。人間として生きている以上、全てが良いことばかりなんて言うのはあり得ない。それどころか、忘れてしまいたいほど悪いことの方が多いくらいだ。


 それでも覚えていたいことは確かにあるのだ。

 人間はたった一つの良い思い出を守るために、百万の嫌な思い出を乗り越える。嫌なことを忘れたいというのが我が儘とは言わないが、人間はそこまで弱くないはずだ。


 シバサキは忘却を嫌がる私の顔を見つめて表情をしかめた。


「シンヤか……。いつまでも過去に捕らわれて可哀想に。あんな過去の邪魔者の一体何が良かったと言うんだい? こんなに真面目で純粋な僕がいながら。ああ、そうか。昔のこととか、他所の芝は青く見えるんだよね。わかるよ、うんうん」


 そして、腕を組んで感慨深そうに二、三度深く頷いた。


 この男は何を言っているのだ。否、この男に何を言っても無駄なのだ。

 人は弱くない、困難は乗り越えるものだ、と詩のような気取ったことを本気で考え始めていた私がまるで馬鹿みたいではないか。


「真面目で純粋だからといって女が惚れるとは限らないんだよ。アンタ、もう五十近いのにまだそんなことも知らないのかい? 真面目でも純粋でもなければ、二十年ちょっと前の栗の花臭いガキのまんまだね。自分の右手で男を磨いてないで、もっと女に磨いて貰ってから出直しな」


 虚しさにそう言い返すと、シバサキは顔を突然真っ赤にした。そして、まるで駄々をこねる子どものように足をだんだんとならし「クソババァ!」と怒鳴り声を上げた。


「黙れよババァ! いい気になりやがって! 僕ならお前なんかすぐに殺せるんだぞ!」

「ジジイがババァに向かって何言ってんだか。殺したきゃ殺せ。どうせ老い先長くない」


 シバサキは今度は頭を抱えてかきむしり始め、うわあああと絶叫しだした。

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