エレミットとグーリヒア 最終話
「しかし、何もない私の方が高い地位にいるという点において、そのたった一つだけであなたの全ては不幸になってしまうのですね。かわいそうに、ラーヌヤルヴィ下佐」
私の影の中に入った彼女の両肩に手を載せた。中指の先から手首までに大きく触れた軍服のツイル地の肌触りはゴワゴワとしていて、まだ新しく彼女になじんでいない堅さが残っている。ぐっと掌を押しつけると、硬い感触と共にふわふわした弾力が伝わってくる。上着の下に寒さをしのぐ為の温かいファーでも入っているのだろう。
「その傲慢な被害者意識と弱者の横暴を振りかざす姿勢が実に哀れで、そして滑稽ですね、“極系広啓派”」
「――佐! ヒュランデル上佐!」
遠くから響いてきたような声にはっとした。誰かが私を呼ぶ声は、まるで水の中から聞こえていたようなくぐもった声から、次第にすぐ傍で呼びかけているようなものに変わっていった。
「ヒ、ヒュランデル上佐、じゅ、撤収の準備が整いました。も、も、戻りましょう」
我に返ると、ユカライネンとウトリオが私の肩と腰を押さえていた。
私は顔を上げて腰に纏わり付いている部下を見た後、ラーヌヤルヴィの肩に乗せていただけの自らの手を先を見た。すると、左肩鎖関節の下辺りに左手の親指を突き立てるように押しつけていた。無意識とは恐ろしいものだ。私は彼女の左腕を潰す気でいたのだろう。
思わず彼女の表情に焦点を合わせてしまった。
瞳は恐れに震えてはいるが、そこから放たれる鋭い視線を外してはいなかった。左手は杖を取り上げようとしているのか、まだひくついている。しかし、下手に動かせば私に親指で筋皮神経や橈骨神経を貫かれるのではないかという恐れを抱いているのか、空気を掴むように掌を開いては閉じ手を繰り返していた。
「おっと、これは失礼。上官である私が大人げないことをしてしまいました。ラーヌヤルヴィ下佐、あなたの軍服はまだ硬いようだ。狙撃をするならよく伸ばしもっとなじませた方が良い」
微笑みかけながら両手で軽く肩を叩いた後、万歳するように手を挙げて肩から離した。
「さて、ブルゼイ族の男女二人組がクライナ・シーニャトチカに現れたとイズミさんに取り急ぎ報告しなければ。拠点に戻りましょう」
私は三人に背を向けて拠点の廃宿へと歩み出した。
今後、遅かれ早かれラーヌヤルヴィは独断専行に走るのは間違いない。
最も可能性が高いのはセシリアへの直接介入だろう。それもギンスブルグの女中のように懐柔していくのではなく、暴力的な介入だ。
多少脅しにはなっただろうが、独断専行をされては困るのだ。
閣下の目的はビラ・ホラへ到達できればいいだけではないのだ。目的が果たされるためには、彼女のしようとしていることは障害でしかない。
ラーヌヤルヴィは次の『白狼と猟犬』で登場します。