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エレミットとグーリヒア 第十二話

 いつまで見下ろしているつもりだろうか。ぎょろりと眼球だけを動かして、睨まれている視線を睨み返す。


 外は風が強くなってきたようだ。家鳴りが酷くなり始めた。どこからか入り込んだ砂が床に低い砂埃を上げている。


 しばらく黙りこんで上目遣いで様子を窺いながら不気味な混声合唱のような家鳴りを聞いていると、ラーヌヤルヴィの顔から笑顔が消え、目尻が震えだして苛立ちが見え始めた。

 左手が僅かに開かれている。杖でも握るつもりなのだろう。


 自らの思うとおりに行かなければ上官など魔法で黙らせればいい。ここは穏やかな戦場。上官殺しも然もありなん。他との戦いで巻き込まれて死んだと言えば、どうとでもなる。


 私は魔法が使えない。世間では、魔法が使えない者は無能だという魔術至上主義はまだ根強い。確かに、戦いにおいては武力として魔術が圧倒的であった。故に戦地で具体的な戦果を上げられる魔法が使える者の方が出世の機会を多く与えられる。


 しかし、この四十年は戦いという戦いはない。軍に属する者が評価を受ける機会は、戦いの場よりもそれ以外が多くなった。おかげで魔法が使えない者でも出世の機会は以前に比べれば平等になった。


 それでも魔術至上主義は依然としてイデオロギーの座についている。


 北公の離反は軍人の評価は戦いの中という状況を再びもたらした。そして、戦いの中で生まれた新興国であるが故に北公は戦果での評価が大きい。

 彼女がどのように短期間で下佐の地位まで上がってきたのか。散々馬鹿にしたが、下佐は将を支える一角であり決して低くはない。ラーヌヤルヴィという実家のコネも然り、しかし、それだけでは及ばない。

 言動に問題はあるが、彼女自身の何かしらの才覚によるものあったのだろう。それが錬金術師としての、魔法が使える者としての何かなのか、私にはわからない。


 私にとって、魔法が使える者でありその実力が未知数な者は脅威である。ここが私の墓になるかもしれないのだ。


 だが、下佐如きを抑えつけるのは容易い。下佐の魔術的実力がどれほど高かろうとも、魔法の使えない上官なら魔法で下してしまえばいいという、その魔力至上主義の幻想を体現したような姿勢がそれを容易くする。


 これまで私が連盟政府内でどれほどの魔法使いたちを手にかけたかなど彼女は知るまい。

 魔法使いも錬金術師も、魔法が使えるが故に、相手が魔法を使えないとなると明らかに油断するのだ。そういった先入観を私がどれほど繰り返し捨てようとも、彼らは油断を見せる。まるで魔法は人をそういう風してしまう病なのではないかと思うほどだ。


 やるというなら、受けて立つ。下佐如きという、先入観を抱かずに全力で。

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