エレミットとグーリヒア 第九話
転がり落ちた万年筆を拾い上げた。緩やかなカーブの先でカスプを書いているペンポイントから切り割りを上り、ハートポイントのさらに上にはノルデンヴィズの工房で作られたことを示すヤマガラの刻印がされている。飴色をした鼈甲でできた胴はつまみ上げると滑らかに指に馴染んだ。北部ではよくある、とても書きやすい万年筆だ。
閣下に初めて会ったのはあれはまだ第二スヴェリア公民連邦国など砂上の楼閣でしかなかった頃だ。
ブルンベイク南の森の中でイズミさんが殺害したエルフ難民たちを調べているときだった。折悪しくも、連盟政府のヴィヒトリ・モットラとして活動中に離反軍と遭遇してしまったのだ。
咄嗟にスヴェンニーであることを表に出し、ムーバリ・ヒュランデルと名乗り、スヴェンニーの浮浪者で死体を漁っていたふりをして切り抜けようとした。北公の兵士――当時はまだレジスタンスが私を取り囲み、雪深い夜に現れた不審な死体あさりを捕らえようとしていた。
しかし、そこにカルル閣下が現れたのだ。青鹿毛の馬上から自らのランタンで私を照らしてしばらく睨みつけた後、何を思ったのか突然民族融和を掲げていると言った。スヴェンニーの差別を無くすだけではなく、やがては全てを平等にするという大義を抱えているとも言った。
カルル閣下は連盟政府から指名手配をされていたので知らないはずがなかった。面識こそ無かったが、どのような人物であるかの情報は与えられていた。
その時初めて彼を見て私は思った。しばしば熊に例えられる彼だが、眼力の奥には知性とそれに基づいた先見の明を持ち合わせていた。雪の夜に血を求めて彷徨うグリズリーのような、ただ粗暴なだけの男だとは思えなかったのだ。
そして、たった一言二言交わしただけでカルル閣下が連盟政府にやがて楯突くことも私は見抜いた。去り際に彼はまた会うことになるだろうと言い残し、その場を後にした。
指名手配犯との遭遇。私はそれらをすぐに聖なる虹の橋本部に伝え、イングマール領ブルンベイク周辺に跳ね橋を配備するようしなければいけない。
だが、私は聖なる虹の橋には伝えなかったのだ。
泳がせる、そういう言い訳で自らを納得させ、言おうとしなかった。だが、本当に言わなかった理由は、自分の中でもハッキリしていない。その賢い熊に賭けてみたくなったのかもしれない。
連盟政府と共にありつづけたスヴェンニーの差別だけでなく、人類そのものの敵であるエルフへの差別をこの男は無くすことが出来るのか。民族融和という、大層な野望を叶えられるものなら、かなえてみせろ。




