勇者の働き方崩壊編 第三話
謝罪する間もなく、説教されている。
俺ではなく、カトウが。
「カトウさぁ、いつまで学生気分なわけ?大学にいたのは知ってるよ?でも、もう学生じゃないんだよ?」
「ごめん、なさいッス点」
「一体何回遅刻すれば気が済むわけ?」
怒られているカトウを遠目に見ている。怒られ下を向いているカトウは口をとがらせている。だが、もしかしたら俺もあそこに並んでいたのかもしれない。
昨日の夜、カミュとレアにシバサキから突如としてノルデンヴィズの広場に八時半集合という連絡が着ていたらしい。俺には着ていたかというと、着ているわけがない。しかし、集合時間を俺は幸いにも把握することが出来た。
なぜ知っていたのかと言うと、カミュとレアが親切にも伝えてくれたのだ。二人のおかげで俺は遅れずに集合が出来た。つい先ほどの集合時間のことだが、間に合った俺を見るなり、シバサキはみるみるムスッとした顔になり何かぶつぶつと言っていた。
その後は硬く腕を組んでこちらに背を向けてしまい話を聞く耳をまるで持たなかったので、レアと一生懸命考えた最高の謝罪は受け入れられなかったのだ。おそらく、わざと遅刻させる算段でいたのだろう。カトウやオージー、アンネリの若手の前で思い切り叱責をすることで自分のほうが格上だと見せつけたかったようだ。
「まぁまぁシバサキくん、カトウくんはまだ学生の状態でこっちに来たんだから仕方ないよね。単位さえ取れればいい環境からいきなり厳しいところに放り込まれたんだから、慣れるまでは大目に見えてあげないとね」
集合場所のそばに積まれた木材の上に腰かけるワタベは、いつかと同じように手をひらひらと仰ぐ彼なりに制止する動作をしている。ワタベの言葉を聞いてシバサキは小さくうなだれた。
「ワタベさんがそう言うんだったらなぁ。おい、カトウ! ワタベさんに感謝しろよ! でも、ワタベさん、甘やかしてはダメですよ! これまでいくつもの修羅場を乗り越えてきて今の僕があるんだから、もっと厳しく教育していかないと彼のためになりません!」
ワタベは目を細めて大きく笑っている。
「はっはっはっ、そうだね。シバサキくんみたいな立派な賢者になりたければもっともっと努力をしなければね」
「オレ、賢者にはなりたくないッス……。アーチャーになりたいッス……」
下を向いたまま、両眉をぎゅっとよせ口ごもっている。その姿にシバサキはまた首筋を張り怒鳴った。
「そんなことは聞いてない! 口応えすんな!」
「はい……」
カトウは最初よりも小さくなってしまった。
怒られているカトウの姿を見つめるオージーとアンネリは困惑した表情をし、声を張り上げる人と小さくなっていく人を交互に見ている。集合場所に着いたときにはすでにシバサキは機嫌を損ねていて、しばらく経って遅れて来たカトウに激昂した。同じ班になることを知らない二人は目の前で繰り広げられている光景が全く理解できなかったはずだ。初めましての挨拶もままならない二人に俺はそっと近づき、週末の解散後以降の話を簡単に教えた。
「な、なぁイズミくん、ボクたちも集合時間知らなかったんだが、、、」
この二人は当然のことながら集合時間については知らない。それ以前に、シバサキのチームに加入することすら知らなかった。本来の集合場所と時間は伝えてあり、それに合わせてきたのだ。ただ、イタズラ好きの割に真面目なところも多いのか、週明けの最初の日はいつも集合時間の三十分ほど前に来る癖があることが幸いして間に合ったのだ。
「間に合ったからいいよ。連絡手段が無くて伝えられなかったことも多いし本当に申し訳ない。でも、連絡取れないのはこれから困りそうだから、今日終わったら連絡用のマジックアイテムを手配しに行こう」
「イズミくん、また高価な物を当たり前のように……移動魔法のこれよりはだいぶ安いが、さすがにまずいよ。自分たちでお金を貯めて買うよ」
「すぐに無いと困るし、俺からの卒業祝いと考えて受け取ってくれ。それが嫌なら生涯貸し出しってことで。死んだら返せよ?」
「ははっ、そうか。なら少しずつ返していくよ。アナと二人でね」
シバサキはカトウを怒りながらも、オージーと話し始めた俺たち二人の様子をちらちらと窺っていた。
広場の時計を見るともう陽も高く十時前だ。本日のノルデンヴィズは晴れ。雲も少なく風がややあり、さわやかな過ごしやすい天気。良く晴れた朝の広場は早朝の活気のピークを通り越し、落ち着きを取り戻し始めている。
「さて、教育的指導もこのくらいでいいだろう。わかったな。カトウ、君には期待しているんだ」
「はい!」
何をそこまで言いたいのか、どこからネタは湧いてくるのか、小一時間は続いた説教はどうやら終わったらしい。まぶしい笑顔で返事をするカトウ。若さと言う資産の貴重な一時間を費やして君はこの説教で何かを得られたのだろうか。
シバサキさんはそのカトウのいい返事を聞いてご満悦だ。顎を上げて大きく息を吸い込んでいる。
「さて、今日は新しいメンバーも増えたことだ! みんなで必要なものを買いものに行かないか!? そうだな……。オージーとアンネリの二人は連絡用のマジックアイテムを持っていないようだな。これからすぐにでも買いに行こう! 聞けば卒業したばかりだそうじゃないか! こんなにめでたいのに何も買い与えてもらえないなんて、どれだけ不憫なチームにいたんだ! 遠慮はいらないぞ! 二人分買いに行こうじゃないか! わはははは!」
シバサキは豪快に笑いながらゆっくりと二人に近づいた。
まともに話してもいない初対面の人に突然愛称を呼ばれて二人はまたしても困惑している。オージーは読んでいた本を慌ててしまい返事をして、アンネリはオージーの裾をぎゅっとつかみ、え? え? と首を左右に振っている。
横目でちらりと俺をうかがいながらあてつけのように言うあたり、俺とオージーの会話をしっかり聞いていたようだ。連絡用のマジックアイテムの値段はとても高価だ。アンネリに言わせればフロイデンベルクアカデミア何回分なんだろうか。だが、誰に与えられようと道具に罪はない。買い与えてもらえるというなら貰っておこう。
その分、今後かかったかもしれない俺たちのチームの支出も減らせる。レアの持つテッセラクトの中に俺の口座を新たにこっそり作り、そこに移動しておいたチームイズミの全資産に手を付ける必要が無いのだ。
「は、はぁ……、ありがとうございます」
アンネリは背の高いオージーの背後にすっかり隠れてしまった。シバサキは両手でオージーの肩をバンバンと叩いている。
「なんだ! 若いの! 元気が無いな! これは先行投資だよ! 先行投資! 君たちには期待しているんだから」
「え! 俺だけじゃないんスか!?」
期待しているという言葉に即座に反応したカトウが不安な表情で落ち着きなくシバサキに近づいた。
「うん、カトウにもしてるしてる」
それをシバサキは目を合わせずにいい加減に流した。
シバサキがそばを離れるとアンネリはオージーの肩越しに彼を睨み付けている。オージーは困ったように髪を掻き上げた。シバサキは少し離れたところにいたレアに何か話しかけている。
レアはどこかを指さし、シバサキは頷くとその方角へ歩き出した。それにワタベが付いていき、その後にこれまでのやり取りに全く参加しなかったククーシュカが付いて行った。レアとカミュがこちらを向いて手招きをしている。どうやら移動を開始したらしい。オージーとアンネリもそちらへ向かって歩き出した。
歩く二人の後姿を見て俺は思った。高価なものをまた与えられる割に驚きが少ないので聞いてしまった。
「なんか、どうしたの? 高価な物をまた与えられるわりに驚かないの?」
アンネリが首を傾けて俺を見て言った。
「あたしもオージーも、あの老害がくれたこれのおかげで金銭感覚おかしくなったみたい。連絡用アイテムはフロイデンベルクアカデミア0.5回分くらいだし、なんだかインパクトに欠けるのよねぇ」
移動魔法のアイテムの200分の1程度の価値か。フロイデンベルクアカデミアの授業料はいくらなのか未だにわからないが、そこまでとなるとだいぶ安いのだろう。
ふーん、と返事をして二人の後をついて行った。
ぞろぞろと九人の集団が町を歩くと目立つ。通り道をふさぐような形になり、馬車や通行人に渋い顔をされながら5分ほど歩き続け、ノルデンヴィズの杖屋の前に着いた。ぽっきーを買ったお店だ。レアが言うには、ここでは連絡用のマジックアイテムも少ないながらも扱っているそうだ。
ドアベルがカランカランと鳴ると奥から「いらっしゃいませー」と裏返った声が聞こえ、以前と同じ店主がひょこひょこと出てきた。シバサキの顔を見るなり、店主はすりすりと彼にすり寄って行った。縦に長い店は9人が入るにはあまりにも狭く、奥まで入れない俺は入り口のすぐそばにいた。遠巻きに店主と話すシバサキの様子が見える。何を話しているのかわからないが、いつかによく似た状況だ。きっとおそらくレアの顔がひきつるような価格の物を買わされているに違いない。
俺は狭すぎる店内から出て店の外で待つことにした。
杖屋の向かいは骨董品店だろうか。くすんだ店先から暗い店内が見える。そこには誰かがいて何かを見ているようだ。氷河のような色をした髪とウシャンカ。ククーシュカの姿だ。目を細めて見ると彼女は先ほどとはうって変わってなにかを一生懸命に見つめている。その姿があまりにも不思議で俺は思わず店内に導かれた。
ドアを開けると埃が舞い上がる。体育館の下駄箱の匂いだろうか。どこか懐かしさのある匂いが鼻を打った。ドアがゆっくりと閉まると、活気のある外とは完全に隔たれ、すべての音が吸収されてしまっているかのように静かだ。
薄暗い店の中に窓から差し込む光で埃が揺らめく筋を作っている。人のいない世界で眠る骨董品たちは町の様子もここに来てから過ぎた幾年月も知らないようだ。店の一角に置かれた翼の形をした弦楽器の前に立ち尽くすククーシュカ。手には取らず、ただただ眺めている。
床の軋む音で俺に気づいた彼女がこちらを見た。
薄暗い中で光る黄色の瞳はやはり蠱惑的で、見つめられるとすべてを見透かされてしまいそうで、どこまでも深さがある。
「その弦楽器、お好きなんですか?」
「これはグスリ。あなたには関係ない」
「ははは、そうですね」
眠り続ける骨董品たちは再び音を奪っていった。
ククーシュカ、懐かしい。
日本にいた頃、大学で学部生の時にサブカルをこじらせていたことがあった。その時に出会ったロシア映画のタイトルにククーシュカが入っていた。内容は第二次大戦中のフィンランドの北端の話でコメディだったはず。ククーシュカ、と言う響きが妙に頭に残り、いろいろ調べているうちにロシア語でカッコウと言う意味なのを知った。それからというものロシアブームがあって、カルト的人気のあるソビエト時代のSF映画を観に新宿や渋谷の小さいシアターに行ったり、ひっきりなしにロシア料理屋を巡ったりしていた。
「そういえば、ククーシュカってカッコウですよね。変わった名前ですよね」
ククーシュカがすばやくこちらを向いて鋭く睨み付けてきた。それでも魅力的な黄色に変わりはないが、力強さがありどこか悲しそうだ。
「それが何か?」
彼女の言葉はこれまでとは変わって静かではなく、押し付けるように俺に向かって放たれた。何かで気分を害してしまったのだろうか。
「昔いたところにカッコウの歌があったんですよ。その歌にはカッコウカッコウてよく出てくるのに、地元にいたときはカッコウて意外と珍しくて鳴き声が聞こえるとうれしかったんですよ。初めて実際に聞いたときはびっくりしましたね。本当にカッコーて鳴くんだって。って、何言ってるんですかね、俺。なんかナンパしてるみたいですね」
俺の言葉を聞いた彼女の瞳はほんのわずかな一瞬、黄色く光ったような気がした。驚いて目を開いて、店内のわずかな光をその黄色い瞳が拾ったのだろうか。
彼女はコートについているトンボの姿を模した小さなブローチに軽く触れて、
「そう」
とだけ言って、音もたてずに遠ざかり、どこかへ行ってしまった。
「イズミさん、どこ行ってるんですか? もう。まーたシバサキさん高いもの買わされてますよ。最近富裕層で流行りの掲示板とか余計な機能がたくさんついてる最新式のやつですよ。まぁ卸してるのがうちだからいいんですけどね」
外から俺を見つけて骨董品店に入ってきたレアがやれやれとでも言うかのように近づいてきた。
店を出るククーシュカとすれ違うレアは横目で彼女を見た。そしてドアが閉まるとレアは外の彼女を目で追いながら言った。
「ククーシュカ、不吉な名前ですね。それにあのシトリンの眼差しも」
「そうなの?」
だから、彼女は名前の話を嫌がったのだろうか。
「イズミさん、知らないんですか? 誰でも知っているような昔話ですが……、イズミさんは知らないこと多いですし」
「何が有名なの?」
何もわからず瞬きを繰り返す俺を見たレアは語り始めた。
「本当に知らないんですね。少し説明しましょうか」
読んでいただきありがとうございました。