勇者の働き方崩壊編 第二話
これまで北や南といった方角を示す表現を避けていましたが、今後の展開に差支えがなさそうなのでこれからは方角表現を使用して行こうと思います。
さて、どんな顔をして、仲間に入りますと伝えようか。
誰に対してか。シバサキではない。もちろん、彼に対して合わせる顔が無いことは同じだが、会った時にまず頭を下げて週末についてしまった悪態は反省してまーすとでも言っておけばいいのだろうか。しかし、それでは以前日本にいた頃、所属していた組織の上司の悪口を陰で言いまわっていた人と同じ程度になってしまうような気がする。
と思うものの、謝ろうと謝らなかろうと、最終的に何かしらの形で害を被るのは同じなので、そこまで気にしなくていいのではないだろうかと思う自分もいる。遅かれ早かれチームを離脱する未来が見えるので、彼への対応で気をもむのは間違いだ。そのくらいにしておこう。
では、誰に対してなのかと言うと、カミュだ。
オージー、アンネリの二人はシバサキの人となりを知らない。それを知らないというのはある意味強みだ。初対面のころの俺がそれを知らないが故に尊敬すべき上司としての接し方をしていた。彼らもきっとそうするに違いない。それはそれでいいのだ。短期の付き合いなら無駄な軋轢を二人に持ち込むことにはならないだろう。たぶん。そして、もし今後彼ら二人に実害が及びそうになった時には俺が守ることも可能だ。おごるわけではないが、それなりに自分に対する自信もできてきた。
そして、レアはきっと理解してくれるだろう、と期待している。それに理由を付けるわけではないが、以前のシバサキ失踪後からヒミンビョルグの件までの間、彼女なりに何かを考えた末に押し付けられた状況を耐えるようにと俺たちを説得したはずだ。今回も何かを考えてくれると期待しているのかもしれない。それにレアは取引先に来るような形で派遣されているわけだから、もし時間の無駄にしかならないと判断したらとっとこ撤退するだろう。
しかし、カミュはそうはいかない。おそらく、彼女は意地でもついてくる。まるで何かの意思によって所属を命じられているかのように彼女は離れることはない気がする。すべてではないにしろ出来る限りの苦痛を取り除いてあげたいと思うのが、上の立場に立った人間の義務だと俺は思う。だが、昨夜女神が見せたのり弁当状態の書類には俺がどういう立場で所属になるかは書いてあったのかもしれないが読むことはできなかった。チームごと吸収ということはまだ上司というつもりでいいのだろうか。
悶々と過ぎるうらうらとした春の休日。
ノルデンヴィズの拠点の窓枠に埃が積もっている。窓を開けて吹き上げれば舞い上がるそれらは、枠の中いっぱいに広がり見上げるほどに濃くなる空の青の中に浮かぶまばらな雲に混じって消えていく。
来た時から何も変わりのない木の椅子の背もたれに寄りかかるとぎしぎしと年季の入った軋む音を上げた。寝起きの硬くなった体を伸ばしながら、良く晴れた外を見て思った。
いっそのこと俺のチームメンバーを全員長期休暇にしてしまおうか。そのままどさくさで俺も一緒にチームを辞めてしまうのはどうだろうか。そして、どこかよそで人知れず再結成しようか。
だが、それはどうもいまいち気が進まない。こちらの世界に来てからいったいいくつのチームを転々としただろうか。
半年ホームレスをして、シバサキのチームに入って荷物番、シバサキ失踪中はフリーター、シバサキ復帰後は賢者になり仮リーダー、その後ヒミンビョルグでの遭難によりチーム解散、そしてアカデミアで研究補助(実はタダ働きではなかった)、それからチーム再結成から一カ月足らずで吸収合併。
もし、ここで辞めてしまうと今後何かあった時の就職活動に影響が出そうだ。レアは有能だから引く手はあまただろう。しかし、ほとんど行動を共にしてきたカミュもそれと同じような経歴をたどることになる。オージー、アンネリもまだ若いとはいえコネ無しの二人はいよいよをもって次はパン屋しかないのかもしれない。夜型のオージーとアンネリに早起きは無理だろう。いや、もしかしたらトバイアス・ザカライア商会の宿に卸す形で、深夜パンを作って朝一に届けるみたいな営業もできるのではないだろうか。
現実的ではないな。やめやめ。
時間ばかりが過ぎていく。余計なことを考えている暇はない。ここはまず連絡だ。
窓を閉めると最初のチーム(これもシバサキチームだが)に所属していたときに使っていた連絡用のマジックアイテムを引っ張り出した。陽の当たらないところで長いこと放ったらかしにしていて、クモの巣と埃だらけになっていたそれは魔力もすっかり切れていたので、杖に乗せて充電ならぬ充魔力をすると、しばらくして起動した。
カミュとレアの連絡先を探そうと浮かび上がった文字を確認すると一件連絡が来ていた。年が明けてすぐに受け取っていた連絡で、誰からだろうと確認すると、なんとアニエスだった。
彼女の名前を見た瞬間、あまりの申し訳なさに体の中心のほうが縮こまるような感じがした。忙しさのあまり再度連絡もせず、お礼を言うこともすっかり忘れてしまっていた。
「ぐぁ……マジか……」
思わず独り言が漏れた。しまったと額を押さえるもすでに遅い。すぐにでも連絡をするのが筋だろう。アニエスに限らず、モギレフスキー家の面々には迷惑ばかりかけている。
だが、今後についてなるべく早くカミュやレアと相談がしたい。アニエス、ごめんと心の中でお祈りをして後回しにしてしまった。
* *
「バカなんですか? マゾですか?」
今度はカミュが怒っている。それはそれはめちゃくちゃに。
当然の反応だ。カミュは雪山の件で完全にとばっちりを受けて死にかけたわけだから。真っ赤になっているわけではないが、これまで聞いたことのないほど鋭利な言葉の節々が突き刺さるようだ。
「カミュ、ごめん。怒るのは当然だよ。でも、女神に頼まれちゃってさ」
カミュは目の前で腕と足を組み、眉間にしわをこれでもかと寄せている。
「イズミ、私は女神が何なのかわかりません。あなたや勇者たちにとっては普通の存在なのかもしれませんが、私たちには見たり聞いたり感じたりできないので存在しないに等しいです。そんないるかどうかも分からない存在の指示になど私は従いたくありません。特定の人にしか見えないなんて、もしかしたらあなたがた勇者の集団ヒステリーかもしれません」
確かに勇者以外には感知できないその存在は胡散臭いことこの上ないだろう。勇者と言う特定の小集団だけに見えるから集団ヒステリーと言われても仕方がない。
「ダメかな?」
「ダメも何も、私は、私たちは一度殺されかけているのですよ?常識的に考えてください。今度は何をされるかわかりません」
「俺だってそれはそう思う。ただ、今回は少し調査の意味もあって仲間になってくれって指示されてるんだよね」
「調査? いったい何の調査ですか?」
怪しむかのように片眉を上げた。
「それは、女神の」
女神の、と言う言葉を聞いた瞬間、カミュの眼光がさらに険しくなった。
「また、女神ですか」
ため息交じりの返答をしてあきれ返るように首を傾けた。鋭くなっていた目をゆっくり閉じた。
偽物が出て余計なことをしている。それを調べるために仲間になってくれ、というのは確かに女神と勇者側の都合だ。それ以外の人間からしたらただ巻き込まれるだけだ。
女神は、責任は取ると言っていた。しかし、どこまでそれを負ってくれるのかはわからない。俺がしたこと、されたことだけかもしれないのだ。
仮にカミュやほかの誰かが大けがをしたとしても、何もしてくれない可能性もある。俺は何も言えなくなってしまった。休みだというのにわざわざノルデンヴィズまで来てもらったのに嫌な話しかできないことが虚しくなってしまった。俺は心のどこかでカミュなら前向きに着いてきてくれると思い込んでいたようだ。距離も近くなり、友人として接することが出来るようになって多くを求めすぎていた。
言葉が無くなり沈黙が訪れるといつものカフェの音が聞こえる。お昼を目前に控えた店内は混み始めて、チーズが焦げたり、調味料だったり、野菜を切ったときの生っぽい匂いが次第に強くなってきた。
「こんにちは。遅れました。あれ?」
そこに少し遅れてレアが到着した。レアからすれば険悪な沈黙に包まれている瞬間に来てしまい、最悪のタイミングなのかもしれない。でも、俺には彼女の到来によって状況を打破できるかもしれないと思い、そしてレアは味方になってくれるかもしれないという期待で少しうれしかった。
「それで、イズミさん、大事な相談て言うのは一体なんですか?」
いつもより身軽そうなレアがカミュの横に座った。
「もしかして昨日の一件と関係あるんですか?」
何も言わないカミュと何も言えない俺を見てレアは勘付いたようだ。
「レア、わけのわからないことを言うけど聞いてほしい。昨日俺はシバサキに連れて行かれたでしょ?そのときに仲間になれって言われたのは知っているよね? それを受けようと思うんだ」
目の前のレアは何を言っているのか理解できていなかったのか、しばらくポカンとしていた。しかし、次第に理解が進むにつれて表情は曇っていった。
「うーん……、そうですか。私は賛成ではありませんね……。事情をもう少し詳しく教えてもらえせんか?」
昨日の一件、そして女神に呼び出されたときの会話内容を話した。
女神との対話というと神秘的な方向へ行ってしまいそうで、ぼんやりとした内容になるのを避けるため、状況を事細かに包み隠さずに説明した。
「わかりました。私は商人である手前、これまで多くの勇者と接してきました。勇者を本物だとする判断材料がほとんどないのは事実です。自称する勇者にも何度も会ってきました。そうしているうちに本物かどうかを見分けられる方法も無意識に身に着けてきました。今では偽物か本物かすぐにわかります。何がどう違うのかははっきりとは言えません。ただ、シバサキさんやイズミさんは間違いなく本物だと言えます。素行がどれだけ悪かろうと本物であることに違いはありません。だから、私は女神の存在を信じています」
レアの言葉に少しほっとした。俺に見えている女神が俺自身の空想の産物ではないと信じてくれた。
「でも、イズミさん。あまりにもあなたは女神に責任を委ねすぎていませんか? この地上で起こったことへの責任はその形而上学的な存在の女神ではなく、まずイズミさん自身に降りかかってきます。そしてその後、もし女神がすべて何とかしてくれたとします。人々の記憶も何もかもですよ。でも、おそらく女神はイズミさんたった一人の記憶だけは変えないと思います。話を聞く限り、女神はイズミさんのことを大事に思っている印象を受けます。いえ、大事な存在なのです。それゆえに記憶を変えることに抵抗を覚え、決してしないと思います。そうなるとイズミさんは一度感じてしまった責任を一人で背負っていくことになるのですよ?」
レアの言葉は痛烈だ。親しい人間からの放たれた言葉の数々が耳に心に突き刺さる。しかし、そのなかにレアの思いやりがあるのもわかる。俺はカミュと話しているとき、確かに何度も女神が女神がと繰り返していた。レアに言われて気が付いた。思い返せば責任転嫁を繰り返す自分が醜く感じて恥ずかしい。
まっすぐこちらを見るレアから視線を外してしまった。カミュはもしかしたら無責任な俺に対しても嫌悪を感じているのかもしれない。ストスリアの町にある広場の木漏れ日の下で彼女は俺のことをリーダーと呼んでくれた。誰よりも一番最初に俺を慕ってくれた存在だ。彼女の中ではそのときの俺のままでいてほしいのかもしれない。
「それからイズミさん、私が反対する理由はそれだけではありません。ヒミンビョルグの一件でシバサキさんは数々の組織のブラックリストに載りました。これまで載らなかったのが不思議ですが、ついにか、と言うのが業界団体の見解です。彼の下に就いたからと言って巻き添え喰らってリスト入りはありませんが、仲間である内は一部界隈では非常に警戒されてしまいます」
レアは一度言葉を止めて、一息おいた。そして
「それでも、イズミさんは仲間に入りますか?」
と確かめるように目の奥を見つめて問うてきた。
俺は女神を頼りにしすぎていた。責任は全部取るという言葉を鵜呑み―――というとまるで女神が俺を騙しているように聞こえるので嫌だが―――にして、やりたい放題できると思っていた。しかしそれではあまりにも俺は無責任だ。これからシバサキの下に就いたときに起こる不利益がどのくらいなのか想像できない。
しかし、ここで就くのをやめてしまえば、すべての責任をとるとまで言ってくれた女神に不義理を働くことになる。ここでの決断によって目の前にいる二人に起こりうる不幸の責任を負うのは俺で、それが起こらないようにするのも俺自身の仕事だ。出来るだろうか。
そしてもう一度、カミュは俺をリーダーと呼んでくれるだろうか。
俺は呼んでもらいたい。その慕う気持ちに素直に答えたい。そのためにできることは一つだ。
立ち上がり、テーブルに手をついて二人を見つめた。
「二人とも、地獄の果てまでついてきてくれないか?」
俺は言葉をつづけた。
「責任は全部俺がとるなんて言わない。そんなことは出来ない。だけどその分、責任が起こるようなことにはしないからさ」
女神が俺の上司であるように、俺はこの二人の上司なのだ。出来るのであらば全ての責任を負い、女神が俺にしたように二人に自由を与えたいが、そんなことは到底できない。だから、誰かが責任を負うようなことになる前に対応しよう、そう思ったからだ。
意を決し放った結論を聞いたカミュは組んでいた腕をほどいた。
「仕方ありませんね」
目を閉じたまま答えた彼女についに諦められてしまったのだろうか、と少し不安になった。しかし、ゆっくりと開かれた彼女の視線に攻撃的な鋭さはなく、火がついたような煌めきがあった。
「イズミさん、わかりました。私もできうる限り表も裏もサポートをします」
カミュだけでなく、レアも付いてきてくれるようだ。レアの返答を聞いたカミュは帰り支度を始めた。
「イズミ、私はここで失礼させていただきます」
カミュは静かに立ち上がり、頼んでいたラテの代金をそっと置いた。そして
「明日からもよろしく頼みますよ。何度も言いますが、私のリーダーはあなたなのですから」
と席から離れて行った。
レアと遠ざかるその背中を見送り、ドアベルの音ともにカミュが見えなくなるとレアは口を開いた。
「カミーユはやめるとは言わなかったですね」
「言わなかったよ。頑固なのかもしれないけど正直心強いよ」
「あの子はやめられませんよ。でもあなたの下に就けて幸せだと思います」
少し微笑んだレアは何かを知っているのだろうか。
「何かあるの?」
「イズミさん、いずれわかりますよ」
レアは頼んでいたオレンジジュースを一口飲むと
「しっかり守ってあげてください。友人として上司として。イズミさんを慕う理由はきっとそれだけではなく、イズミさん自身にも期待しているんだと思います」
リーダーとしてはうれしいような、しかし個人的にそれに応えられるかどうかわからないが頑張るしかないのだろう。うんと返事をした。
それからレアには、次の日の朝一にシバサキに言う謝罪の言葉を考えるという、しょうもないことに少し付き合ってもらった後、カフェの前で解散した。
読んでいただきありがとうございました。