勇者の働き方改革編 下
勇者の働き方改革編 最終話です。
「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ? あんたさ? あんたさ? バカなの? おバカなの? パッパラパーなの?」
女神が怒っている。それもめちゃくちゃに。
いつもの空間に呼び出された瞬間、眼前には憤る女神の顔があった。ぱんぱんに真っ赤な顔をして、手入れの行き届いた細い眉毛をキンキンにつりあげている。開口一番罵るだけ罵った女神は目の前から離れると仁王立ちした。わずかに上下する怒り肩の先にある左手に何かの紙を持って、反対の右手の人差指でその紙をたむたむと叩いている。
「……ぁんですか?」
多すぎる、ねぇ、があまりにも不愉快で、さらにおバカとまで言われた。パッパラパーとは何様だ。まだ怒られている理由も聞いてもいないのに少しムッとしてため息交じりに刺々しく返事をした。それを聞いた女神はおでこに手を当て大げさにのけぞった。
「心当たりないとか。本当にバカでしょ?」
まさに、たはーっとでも言いそうな呆れた顔をしている。俺が一体何をしたというのだ。
「本当にわかりません」
いらだちながらも困惑した俺の顔をくわっと睨めつけてきた。そして、紙を叩くのをやめると腰に手を当てた。
「なんであんたはまたシバサキのチームに入ったわけ?しかも、総員9人とかいう大所帯で」
は?
「ちょっと何言ってるかわかりません。確かに会いましたけど、断りましたよ?」
そう、俺たちは一度シバサキに会ったのだ。それも昨日の出来事だ。彼と再び遭い、そして何があったのかを手短に言うと、べろべろに酔っぱらったシバサキに後頭部を剣の鞘でいきなり殴られて部下になれと言われた。それに対して「いいえ」か「NO」のどちらを選んだか言うまでもない。
「じゃなんでここに書いてあんのよ?」
持っていた紙を差し出された。顔の前に。文字以外が見えないほど顔の目の前に。
「何ですかこれ?」
鼻先に触れる紙を避けるように首を後ろへ下げた。再び視界に入った女神は血走った眼をして白い歯をむき出しにしている。
「あんたたちの現状報告書よ! ペーパーレスが進んでタブレットで見せればいいのかもしれないけど、それが機密だから出来ないのよ! だからわざわざプリントアウトして持ってきてあげたの!」
顔に近すぎる紙を受け取り、少し離して覗きこむと書いてある文字を読むことができた。肝心な内容はと言うと、機密事項故にほとんど黒マーカーで塗りつぶされてのり弁当状態だ。しかし一か所だけ隠されていなかった。そこはメンバー一覧の項目だった。促されるようにそこを参照した。
「リーダー、シバサキ、以下班員(順不同)カトウ、ワタベ、ククーシュカ(本名■■黒マーカー■■)、、、」
そこまで読んだが、次に並ぶ文字に俺は目を疑った。
「イズミ!? なんで俺がいるんですか!? しかも、カミュやレア、オージー、アンネリまで!?」
驚きのあまりソファから立ち上がってしまった。床を足でたんたんと叩きながら睨み付けてくる女神に俺は詰め寄った。
「あんたたちが自分から入ったからでしょ!? そうでなきゃこっちで書き換えるしかないわよ!」
「いやいや、常識が働いてるならなんで殺しにかかった人間の下にまたはいるんですか!?」
「知らないわよ!」
怒鳴り声をあげ、腕を組んで顔中を小刻みに動かしている。
「俺も知らないです!そっちの誰か勝手に書き換えたんじゃないですか!?」
「んなわけないでし……、あ」
言葉が途切れると女神の勢いがなくなっていった。大きくため息をついた後、目をつぶり前髪をかきあげた。
「ごめん。ちょっと言い過ぎたわ」
気が付けば握りしめてくしゃくしゃに丸めていた紙を手で戻して、俺は再びソファにかけた。同時に向かいのソファにゆっくりと腰を掛けた女神は両手で顔をこすっている。おっさんじゃあるまいし描いてる眉毛がメイクと一緒になくなるぞ。
「何か心当たりあるんですか?」
「この間、一緒にカニ食べ行ったときにした注意喚起の内容覚えてる? もしかしたら、だけど関係あるのかなって」
「そういえば、この間何か言ってましたよね。女神の偽物が何とかって」
女神を名乗る別の似たような存在がいて、何人か唆された。その人も超自然的な存在で女神と同等ではあるようだ。何を唆したのかは知らないが、ろくなことではなさそうだ。疑われている人物はハラスメント対策組織の人で、以前一回だけあった時は人事部長の兼任でやっているとか言っていた。シバサキのハラスメントを通報してくれた誰かの勇気を握りつぶした張本人だ。
目の前で頭を抱えている女神(元営業部長、現役員)と同じ組織の女神(この前は人事部長)―――ややこしくなってきたのでこれ以降は後者を偽女神としよう―――で、なおかつ部長クラスなのでやろうと思えば文書の改ざんは可能なのだろう。人事が営業に首を突っ込むのは少々、越権行為のような気もするが。
女神は組んだ足の先を動かしている。
「イズミくんさ、前よりだいぶ強くなってるし、少しくらいじゃ死なないでしょ?何か起きたら責任はあたしが取るから、またしばらくいてくれない?」
またこのパターンか。だが、俺もいつかのあの時とは違う。また雪山に放り込まれようものなら何かしてやる。この場では思いもつかないようなとんでもないことを。受けてたつ。俺は勢いよくソファの背もたれに寄りかかった。
「また泳がせるんですね?いいですよ。でも限度はあるので嫌になったらやめます。それまでの責任はお願いします」
踏ん反りかえる俺を見て女神は眉を寄せた。
「ふぅーん……、仕方ないわね」
頭をかいてやれやれと言った表情をしている。
「また厄介なことになってきたわね」
女神はポケットからタバコの箱を取り出した。電子煙草ではなく紙巻のようだ。一番最初に会った時と同じで、白い箱には赤い丸が書いてある。だいぶストレスがたまっているのだろう。胸の谷間にしまってある電子煙草ごときでは満足できないのだろう。申し訳ない。
「ここ、禁煙ですよ?」
「っさいわね」
そういうと女神は火のついていない煙草をくわえたまま周囲の暗闇の中へ消えて行った。
なぜ女神に呼び出され、怒られたのか。べろべろに酔っぱらったシバサキに後頭部をいきなり殴られて部下になれと言われたからだ。たったそれだけのことだ。しかし、それだけで済まないのが今回の話。
事の発端は少し前に戻る。
まだ寒さの残る三月半ば過ぎて、レアと相談を重ねてある程度の方針が決定した後、活動は四月を待たずにすぐに始まった。それからはしばらく五人で依頼と冒険をこなしていた。オージーとアンネリはどのくらい戦闘への適性があるかわからなかったので初期の依頼は明らかな魔物退治と言った簡単な討伐を中心とした。
自身の経験のせいで俺は二人の実力を低く見積もっていたようだ。何よりも二人はグリューネバルトの愛弟子であると言う点を考慮していなかった。彼の話した昔話の中で、サポート専門職の錬金術師でありながらかなり暴れていた人の弟子だけあってやはりすさまじかった。特にオージーは戦闘においてはサポートの域を超えていてとても攻撃的だ。その分、サポートは月並みではある。
一方のアンネリはサポートが中心だ。しかし、彼女はオージーを含めた全員のサポートをいとも簡単にやってのける。その二人の息が合うと大きな戦力になった。一年前の荷物番をしていたころの俺を思い出すと情けなく感じる一方で、これはいけると言う期待に胸が膨らんだ。それ故に日ごと徐々に依頼の難易度を上げて行った。
冒険の方はまだ細々とした感じだ。フリッドスキャルフの地図を参考にして、進んでは移動魔法で記録していき、前回訪れたあたりまで移動した後再び進んでいく。とはいうもののまだ境界の川にすら達していない。
冒険の拠点(要するに集合場所)と依頼を受ける場所はノルデンヴィズにした。ストスリア在住のオージーには長い旅路を経由して、移動魔法を使わずに自力で来てもらいノルデンヴィズをアイテムのログに記録してもらった。首都やストスリアのほうが依頼も多く稼ぎもよいのだが、やはりその分難易度が一回りも二回りも高いので、背伸びはしないことにした。ゆくゆくいずれは。
少しずつ、少しずつ進んでいく冒険。初めての給料日(毎月25日)もギリギリではあるが微々たるプラスを出すことが出来てきた。始めて間もないのでそれぞれの成長が目覚ましい。
春先この時期は寒暖差が激しい中で新しい生活も始まるので精神的に不安定になる木の芽どきはどこも同じようだ。まだできて間もない俺たちのチームは運営を軌道に乗せるべく忙しく、日々が終わると疲れ切ってしまっていた。しかし、それでも誰一人落ち込むことはなかった。
始まってひと月しかたっていないが、もしかしたらこのままいけるのではないだろうか、と小さな期待の芽が膨らみ始めた頃だ。四月も残すところ数日、心地の良い春の陽気が盛りを迎えていた。
しかし、木の芽どきと言う季節は平等に誰しもの上にも訪れる。それが大丈夫ではなさそうなやつらは向こう側からやってきた。
読んでいただきありがとうございました。