勇者の働き方改革編 中
勇者の働き方改革編です。
席を立つカミュが嬉しそうにその女の子に近づく。
「さすが、情報が早いですね」
「私を誰だと思ってます?」
ふふん、と自慢げな顔でカミュを見上げている。
「なぁ、イズミくん。この子は一体誰なんだ?」
オージーは視線の先の女の子を見て鼻筋にしわを寄せた。
目立つ桃色の髪、体より大きな荷物、飛び出すように元気のいい声。
「自己紹介が遅れました! 錬金術師のお二方、はじめまして。トバイアス・ザカライア商会派遣支部長のレア・ベッテルハイムと申します!」
約一年ぶりのレアだ。俺の意識が無い間に様子を見に来てくれていたらしいので、彼女にすれば十カ月ぶりくらいだろうか。一年で一回り大きく、なってはいない。だが、立場が派遣から派遣支部長になった。どうやら商会の中でのキャリアコースを邁進しているようだ。支部長とは会社ならどのくらいだろうか。自分が大学病院で働いていた手前、例えがそこでしかできないが、おそらくレジデントから助教になったあたりだろう。
「お久しぶりです。レアさん」
だらしなく背もたれに寄りかかっていた体を起こして彼女のほうへ向いた。仲間とは言え、一年も会っていないと話しかけることに少し緊張感を覚える。
「イズミさん、お久しぶりですね!ずいぶん硬い話し方ですね」
「久しぶりに会うとそうなるもんですよ」
彼女の話し方のせいなのか、少し張りつめた糸がほぐれた。
「カミーユとはすっかり打ち解けたのに、敬語はなんだか水臭いですよ」
少し残念そうな顔をして、小さめの声で言った。
「じゃあ、徐々に」
それに、うん、と笑顔で答えると荷物をずしんと床に置き、アンネリの横の開いていた席に座った。
突然見ず知らずの女の子が隣に座ってきたアンネリは、顔をしかめながらレアを舐めるように上から下へと見ている。俺たちもいつかみた初対面の時の顔だ。
どうも、とアンネリに挨拶をしたレアはテーブルに手を置くと
「そういえば、イズミさんたちは何か相談していたようですが?」
と、さっそく本題に入ってきた。
レアがここにいる理由は、これまでに聞いてきたカミュの話とさっきからのレアの反応を見れば、考えられるのは一つしかないはずだ。少し不安はあるものの、俺は口に出してみた。
「レアさ……レアがここに来たのは俺が四人以上の仲間を集めたからです……だよね?情報の出何処はさておいて」
レアはご明察! とでも言うかのようにぱっと表情が明るくなった。どうやらあたりのようだ。会いに、そして仲間としてチームに参加しに来てくれたことはうれしい。しかし、本当のところは仕事で来ているのかなと勘ぐってしまうと少しだけさみしい気がした。彼女にとって俺たちは取引先みたいな感覚なのだろうか。
「そうです! もうちょっと早いかと思いましたけど」
耳が痛い。だが、ここに至るまでだいぶ時間がかかってしまったのは事実ではある。実験を手伝っていたので遅くなってしまった、というのは人のせいにしているようで嫌なのだが、オージー、アンネリの二人を放っておけただろうか。
「イズミさん、どのみちこの二人がいないと私は参加できなかったので結果オーライですよ、ふふっ」
遅くなってしまったことへの何かいい言い訳を考えてしまい、表に出ていたのかレアはそれを見逃さなかったようだ。すかさずフォローしてくれた彼女は口角を上げて笑い、心からうれしそうな顔をした。以前のチームでは見られなかった顔だ。
しかし、見たことのない豊かな表情に感慨にふけっている暇はないので、俺は本題を続けた。
「新しいチームを組んだんだけど、これからについて具体的に決めようと思ってて」
レアがくい気味で目を輝かせた。
「どこまで具体的に決定しましたか?」
「あー、すまない。イズミくん、この小さな女の子にコンサルテーションして大丈夫なのかい?とても、失礼だが、幼く見えるのだが」
ついと話を遮ったオージーはレアを不思議そうに見つめている。俺やカミュは慣れてしまったが、確かにレアの幼い容姿は初対面の人には子どもにしか見えない。見た目相応の齢でまだ未熟なのではないかと気になるようだ。しかし、レアは怒ることなくオージーを見て微笑んだ。
「眼鏡の錬金術師さん。アウグストさんでしたよね? 私がまだ子どもに見えますか? 若く見られるのはとてもうれしいです! 若さは減るだけの取り返しのつかない財産ですからね!」
返し方が大人だ。私は子どもじゃなーい! とかもう大人だ! とか子ども扱いに対して怒らないあたり、本当に大人なのだろう。これまで一緒にいた時間の中で年齢の話題に触れたことはない。改めて彼女の見た目について言われてみれば、これまでに気にかけたこともない。いくつなのだろうか。もしかしたらとんでもないババァ……
俺が余計なことを考えている何かに勘付いたのか、レアの首がゆっくりこちらへ回り、絶えない笑顔で見つめてきた。眉間にしわが見えたような気がする。
「え、あ、そうなのか……」
はっきりとしたレアの返答にオージーはあっけにとられ、口を開けている。
「レア、本題を続けましょう。あまり長い時間うだうだしていてはいけません」
カミュがそういうと空気がピシッとした。姿勢をただし、俺はその時点までの決定事項を話した。
・週3冒険、週2.5依頼、土日半日、第三土曜・日曜・祝日休日。
・交通費はマジックアイテムの管理費で支給
・メンバーが五名以上で受けられる、難易度やや高めの任務を選択
・給料は月額支給、できれば固定給プラス歩合給
「と言う感じだよ」
話を聞き終えたレアは渋い顔をした。
「うーん……、色々足りませんね。そういう時のために私がいるんですけどね」
そういうと、大きな荷物の中からメモを取り出し、そしてさらさらと何かを書き始めた。
「まず、イニシャルコストとランニングコストが曖昧ですね」
レアはペンを走らせながら説明を始めた。依頼については、必ず毎月同じものが受けられるとは限らない。というよりも、同じものはないと思ったほうがいいそうだ。それ故に、決まりきった金額を必ず出すにはそれ相応の報酬が必要となる。最初のうちはどう頑張っても安定しないので固定給は少し厳しいのではないかと言うことだ。
そして、やはり危ない依頼を受ける機会が増えるので保険に入るのが普通らしい。これは任意加入ではあるが、暗黙の了解で絶対加入するのが常識だそうだ。この間のヒミンビョルグの件は任意保険に未加入だったので結構ヤバかったらしい。
それとは別に、依頼の難易度に応じた補償金もある。それはランニングコストに加味するようだ。オージーは具体的な説明に頷き、表情からこわばりがとれた。どうやらレアは相談役に値すると納得したようだ。
とうとうと川のように流れるレアの言葉に耳を傾けながら思った。さすが商会の人間―――しかもエリート―――だ。横文字と専門用語がオージーと同じぐらい出てきた。オージーの通訳であるアンネリも口をへの字にしている。さすがにこれは訳せない様子だ。わからない単語が増えてきたのか、話し始めてしばらくしてみんなぼんやりし始めている。
それにしても、ヒミンビョルグのあと保険未加入で長い間治療を受けていたと言ったが、それは聞こえなかったことにしよう。この世界にあるかどうかわからないが、治療中は個室だったとか差額ベッド費用とかを考えだしたら失禁しそうだ。
「レア、もうちょっとわかりやすくお願い、、不勉強でごめん」
小さな声でレアの説明を遮ると、こちらを向いた。
「そうですか? ではまずイニシャルコストから説明しましょう。いうなれば初期投資ですね。イズミさん、カミーユ、私はもともと仲間ですから、それはカウントしなくていいことにしましょう」
最初にかかる費用。俺の場合はノルデンヴィズの杖屋で買ったこの杖だろう。ゼロが多くてレアも引きつる代物だ。経営のことには全く関与していなかった前チームで、その高価な買い物は初期投資として適切だったのだろうか。今では俺には必要不可欠なものだ。正しいかどうか、それは別にしてこれを俺に押し付けたあのおっさんにはこれについてだけ感謝しようか。できるだろうか。できようか。
とはいえ、今回は俺のチームだ。だから、あまり高価で不釣り合いなものは購入を控えたい。
右手で椅子に立てかけていた杖を撫でると、杖が少し温かくなった気がした。それからもレアの話を聞き続けた。
「でも、オージーさんとアンネリさんの二人は全くの新規のメンバーになるわけですから、何かしら必要になると思います。あ、何か買うなうちで見積もりとりますよ!今この場で、ぱっと思いつくのは、移動用のマジックアイテムですね。二人は移動魔法は使えないだろうし、アイテムもお持ちでないと思いますが」
そういうとレアは二人のほうを見た。目が合うとびくっとして二人の肩が小さく飛び上がった。
移動用のアイテムをそういえば受け取っていた。どこにしまっただろうか。グリューネバルトから受け取って、それから、ああ、そうだポケットの中だ。
「それは大丈夫。グリューネバルト卿、フロイデンベルクアカデミアの先生が二人にとアイテムをくれたから」
俺は埃だらけのポケットから透輝石バングルを取り出した。
「二人とも申し訳ない。渡しそびれてた」
ひょいと渡すとアンネリは首を後ろに少し下げて両掌で受け取った。なによこれ、と目を丸くして俺とバングルを交互に見ている。オージーはアンネリの手の中のそれを見て固まっている。
「なんだぁ。そうなんですか! 残念ですね。でも、それは先週出たばかりのうちの最新モデルですね! まいどありー」
バングルを持つアンネリの手が震えだした。
「オ、オジ、オジジー、こ、こ、ここれ。あたし、む、無理、、」
「あ、ああ、わ、わかた。ボボ、ボクが持つよ」
生唾を飲み込むオージーはアンネリの掌からつまむようにして持ち上げ、震えながら腕に着けた。緑色の文字が浮かび、情報習得中と表示が出た。
一体どうしたというのだろうか。そこまで動揺する理由は何だろう。彼らも見ていたはずなのでシーグバーンの使っていた物ではないのだが。直接名前は言わないように伝えてみよう。
「それ、完全に新品ですよ。さっき、グリューネバルト卿にいきなり渡されたからおそらく卒業祝いのつもりで新しく買ったんだと思うけど」
「「新しく!?買った!?」」
二人は声をそろえて張り上げた。見たことないほど目を大きく開けている。どうやら問題はシーグバーンが使ったかどうかではないようだ。
「イ、イズミくん、こ、これはいくらするか知っているのか!?」
知らない。俺必要ないし。アンネリは目を吊り上げて、テーブルに手をついて体を前に乗り出した。
「あ、あんたねぇ。これは誰でもホイホイ買える代物じゃないのよ!? これでフロイデンベルクアカデミアを100回卒業できるくらいの価値なのよ!?」
彼女の例えがいまいちパッとしない。おそらく授業料の話をしているのだろう。フロイデンベルクアカデミアは私立校だ。私立の学校の授業料はやはりこの世界でも高いのだろうか。とはいえ名門だからある程度安いとは思うのだが。あとでレアに聞いてみよう。へぇー、と明らかに理解していないすっからかんの返事をしてしまった。
驚き動揺する二人を差し置いて俺は話を続けた。
「二人で一つでいいと思います。だって」
―――おっと。
恋人同士で同棲中だから、とおおっぴらに言うのは何かセクハラになりそうだ。いくら仲間でもそれは気を使うべきだ。オージーはまだしも、アンネリは気にしてしまいそうだ。言葉に詰まり、視線を上げた俺を見てレアは小さく頷いた。
「あ、はい。わかりました! じゃあ一個で大丈夫ですね」
それ以上の言及は避けた。毎度のことではあるがレアの洞察力は本当に鋭くて助かる。
「では、初期に一番高額となる費用の問題は解決と言うことですね。まだ活動開始は先ですね?明日までに色々と計算してきますよ!イズミさんの書いていたメモいただいていいですか?」
この場でできる説明は終わったのか、レアは説明のために取り出した書類とテーブルの上のメモ帳をまとめ、とんとんとそろえ始めた。そろそろ終業時間も近いので撤収し始めたのだろう。
ふと、活動時間については何も相談していないことに気が付き、俺は女神とのやり取りについて思い出した。
「レア。もうちょっといいかな? 活動時間について相談があるんだけど」
呼び止めると鞄を開けて書類をしまい始めたレアが止まり、顔だけをこちらに向けた。
「何ですか?」
「フレックスタイム制ってわかる?」
「ふれっくす……?なんですかそれ?」
レアは不思議そうな顔をして体をこちらに向けた。
「ひと月にどれくらい働くかを設定して、その条件を満たしさえすれば好きな時間に働いていいっていうシステムなんだけど」
おおざっぱに説明をしたが、どうも簡略化しすぎたようだ。不思議そうな顔のレアはそのまま首をかしげてしまった。
「よくわからないですね。活動時間の話ですか?もうちょっと具体的にお願いできますか?」
説明することが意外と難しい。女神の話していた内容を自分なりにかいつまんで話した。しかし、きちんと伝わっているかどうかは自信が無い。レアは鞄にしまう動作をやめて、俺をまっすぐに見つめて話を聞いてくれた。
長い説明が終わると、ああ、と言った。どうやら、俺の説明に納得したようだ。そして、
「それはあまりオススメしませんね」
やっぱりか。言葉にはできないが、うすうす感じてはいた。申し訳なさそうに眉を寄せて笑っている。
「じゃ冒険ではやらなくて、依頼のほうに導入するのはどうかな?」
「そっちも微妙ですね」
「具体的にどうダメなのかな?」
「まず、冒険でそれを採用してしまうと、チームワークの意味が無くなりますね。なんとなく、成果を無視したような精神論を話しますが、冒険自体はみんなで成し遂げることに意味があるような気がしないでもないんですよ。たとえば、何かの作戦が終わった後のことを考えてください。もし仮に、誰かがいない時に何か大きなことを成し遂げたとしますね。すると成果はどうなるのかってなるのですよ。いないのになんでお前もやったことになってるんだって怒る人もいます。基本的な話になりますが、そのフレックスタイム制というのを導入して成し遂げられるなら、最初から一人でもできると思うんですよね」
ああ、確かに。納得してうんうんと頷いた。さらにレアは続けた。
「そして、依頼のほうですが、そちらに関しては導入するのは不可能ではないと思います。けれど、ランニングコストを含めてチームを維持していくために必要な報酬を得るには、五人以上で受けられる依頼がほとんどになると思うんですね。仮に午前中で三人が依頼、午後で二人が依頼を行ったとします。それで得られる報酬は二人分と三人分でトータルは五人分ですが、そもそもの依頼難易度のレベルが違うので、報酬額もだいぶ差があります。それに受けた依頼は二つとなり、個々にかかる補償が倍になってしまいます。それにもっと個人レベルの話になりますが、組織が大きくなるとサボる人が出てきます。時間が自由だと会わないこともありバレないと思いがちですが、もれなくバレます。それを良しとしないのが人間で、正義の名を借りたチクリ、密告のすえに揉め事に必ずなります。そして、依頼で得た収益を競わせるというのはもってのほかですね。いったい何と戦っているのか、と。中途半端に組織化してフレックスタイム制を取り入れて管理するくらいなら、チームで行う活動は週半分の冒険だけにして残りは自己管理のほうがいいと思いますよ。それで命をかけられるほどに満足な、いや、日常生活を送るに十分な収入が得られるならば、ですが」
うむ、ぐぅの音も出ない。やはり、相談してよかった。
どことなく感じていたフレックスタイム制を導入した場合のリスクを言葉にしてくれた。
もはや議論の余地はない。
「やめとこ」
「そうですね。それが良いと思います。さて、そろそろ終業時間ですね。私は本部に戻って見積もりと報告書を作りますよ。では!」
「おつかれさーん。明日は朝九時にストスリアの広場集合で」
右手を挙げて彼女に挨拶をした。
「はい! わかりました! では」
久しぶりなのだ。ご飯でもどうか、と思ったが彼女にはまだ仕事が残っている。そういうのはまた今度前もって伝えてからやることにしよう。正直なところ、俺も疲れた。だらだら残って話しても楽しくはないだろう。
巨大な荷物を持ち上げて、レアはすたすたと店を出て行った。それを見送った後、俺たちもばらばらと解散になり、オージーとアンネリは家に帰って行った。俺はディナータイムが目前に迫ったカフェに残り、そのまま夕食をとってから帰ることにした。カミュも同じことを考えていたらしいので、ディナータイムを待った後、二人でパスタを頼み今日のことを思い返して話し合った。
グリューネバルトの話を聞いて、片付けをして、ストスリアの町のカフェで相談をして、その途中で女神に呼び出されて、気が付けば外は空が赤くなっていた。あっという間だったが、思い返せば長い一日だった。
グリューネバルトの過去の話にカミュは興味があったようだ。特にティソーナの話には食いついてきた。明言は避けていたが、どうやら何か知っているようだ。
話しながら三十分ほどで食べ終わり、カミュと店の前で別れてノルデンヴィズの拠点へ帰った。
ノウハウもないまま始まりつつあった冒険は、突然現れたレアのおかげでだいぶいいスタートがきれそうだ。
女神が言っていたフレックスタイム制は、一見すると魅力的に見える。もちろん、日本では魅力的な制度なのだろう。しかし、世界が違えば価値観も働き方も違う。この世界での俺たちの仕事内容には合わなかったから、やらないことにしただけだ。
――したはずなんだけど。
読んでいただきありがとうございました。