スプートニクの帰路 第四十三話
「トンボがこちらに向かって来ています……」
運転手が首を後ろに向けているのが小窓から見えた。デザート迷彩のヘルメットの下に見えている目には恐怖が浮かんでいる。
「群れか?」
「六匹です」
「ちっこいのによく見えたなー。六千の間違いじゃねぇの?」
「いえ、その、大きさが……」
止まっていた車が突然大きく揺れた。下から突き上げるような揺れではなく、まるで上から何かに押さえつけられたときの様な揺れだった。さらに金属が圧迫されるような硬い破裂音が聞こえ始めた。
車内にいた全員が一斉に身体を強ばらせると、シンクロしているかのように天井に顔を向け見渡すように首を回した。
「今車が揺れたのって」
「そうです。その、この車両の……上に……止まったみたいです」
俺とユリナを除いた全員の顔が硬直し、車内の空気が張り詰めた。
「トンボかぁ。久しぶりだな。この世界にもいるのか。話には聞いてたけど見かけたことなかったから、こっちじゃ架空か絶滅したのかと思ってた」
「あたりめーだ、ボケ。犬も猫もいりゃトンボもいるだろ。おめーのように働かないキリギリスもいるんだし」
「うっせ、黙れ。カマキリ女」
ユリナが、あんだと、と声を上げて俺の襟首に掴みかかろうとしたときだ。
「イズミさん、ユリナさん……。お二人はどうしてそんなに余裕なのですか?」
アニエスが声を震わせて割り込んできた。珍しくセシリアがアニエスにしがみついて震えている。それだけでなく、アニエスまでセシリアのコートの裾を握り返している。
「トンボってあれだろ? 尻尾の長いやつ。秋になるとすいすいと」
「そうですよ!? あの危険な生き物! すいすい、なんてそんな爽やかではないですよ! 幼虫の時は大型の魚でさえ集って食い尽くして、成虫になったらお尻から針を出して狩りのために刺すんですよね? 『悪魔の針』って言われるほど強烈な一撃だって聞きましたよ。それが……そんな恐ろしい生き物がこの車を揺らすほど大きいなんて……」
ユリナと俺以外が一斉に頷いた。
俺は思わずユリナの方を見ると、彼女も鼻の下を伸ばして俺を見ていた。そして、「トンボって刺したっけ?」と尋ねてきた。俺も全く同じ事を尋ねようとしていたのだ。
「いや、刺されたことはない、かな? 子どもの頃、刺されてもおかしくないほどにいたずらして殺しはしてたけど。とりあえず一回外出て確かめないか?」
「そだな」
ユリナは頷くと同時に運転席に通じる小窓を閉めて「私とイズミ以外は降りるな」と言うと、立ち上がり杖を持ち上げて後方のドアへと向かった。俺もユリナが目の前を通り過ぎると、続けて立ち上がった。
するとアニエスがコートの裾を掴んできた。
「そんな! 危険ですよ!? 針に刺されたら絶対死にます!」
セシリアもアニエスの言葉に同調して震えながら頷き、行かないくれと顔に皺を寄せている。二人に心配をかけたくないのは山々だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。それに、覚えているトンボの印象では、払いのけても気に入ったところに何度も止まる習性があるような気がするので、この装甲車の上を気に入られては完全に動けなくなってしまうので困るのだ。
「大丈夫、大丈夫。俺とユリナの知ってるトンボは刺さないから」
「とりあえず、気をつけとけ。装甲車を揺らすほどデカいみたいだし」