スプートニクの帰路 第二十五話
「手負いなんかいたぶっても面白くありませんよ。それよりも」
アニエスはそう言いながらクロエの前に立ちはだかり、彼女の得意とする氷雪系の魔法のように相手を凍り付かせるような眼差しで見下ろしている。だが、クロエはその視線には動揺を見せず、鋭くにらみ返した。
「あなた、聖なる虹の橋ですよね?」
アニエスは杖をゆっくりと顔の前に出した。魔法を唱えた形跡は無いが、杖から強烈な氷雪系の魔法が漏れ出ているようで、冷気を其処彼処から放っている。どれほどの冷気をまとっているのか、チリチリと空気を割るような小さな音を立てて、結晶のような霜が生え始めている。彼女の杖の軸であるプンゲンストウヒの飾りのために残されていたアイスグリーンの葉先は青く色を変え、纏った霜は棘のようになっていた。
クロエの頬にその鋭利な先端を押しつけ、そして、小刻みに動かして頬を叩いている。
「安心なさってください。殺しません。ただ、死にたくなるほどいたぶりたくて仕方が無いですね、私。でも、死なれては困るので、いたぶりもしませんよ」
空気が凍るほどに冷えた杖を頬にぐっと押しつけた。冷たさに痛みが走ったのか、クロエはぐっと息を堪えている。
「ブルンベイクで何をしたか、お話しできますか?」
アニエスは杖を押しつけたまま、クロエにそう尋ねた。
「ブルンベイク……、あ、ああ、こ、この間焼き討ちされた村ですか。ふ、ふふ」
「他人事ですね」
そう言うと同時に杖を思い切り横に薙ぎ、顔から杖を引き剥がしたのだ。
凍り付いた皮膚が剥がれ、杖にべっとりと付いていた。真皮は剥がれ、頬筋が露出している。創縁にはじわじわ湧き上がるように血が滲み始めた。痛みが鋭いのか、額には脂汗が浮かんでいる。
しかし、クロエは痛みには慣れているようだ。苦悶の表情を浮かべたが、大きな声は上げなかった。
「今度は反対の頬がいいですか? それともおでこですか? 喋れなくはしないので、脳と口には何もしません。安心してください。喋るまで少しずつ、少しずつ。あなたの皮膚が無くなるのが先か、喋るのが先か」
アニエスの脅しも効いていないのか、クロエは口角を上げて鼻で笑った。
「他人事ですよ? 私はそれについては何も知りませんから」
「いい加減になさい。あなたが何をしたか、よく考えて口を開きなさい」
「そうですか。では、あなたの言うとおりよく考えて物を言いましょう」
クロエは一度目をつぶると息を吸い込んだ。そして、
「私はブルンベイク焼き討ちについては何も知らない。こんなところで私を尋問にかけても意味がありませんよ」
とアニエスをにらみ返した。