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デオドラモミの錬金術師 最終話

過去編 最終話です。

サブタイトルに部編名を追加することにしました。これ以前のものも段階を追って追加していきます。

 熊や狼の毛皮を被った連中が夏の日差しの中、リクの墓の前に集まっていた。おそらく、昔馴染みや戦友たちだろう。高く昇った陽が照らす毛皮の中はさぞ暑かろう。


「リクは生まれた村に墓を作ってやった方がいいと思うんだがな」


 アルフとともに墓地の中にあるベンチに浅く座り、リクと熊や狼たちの別れを遠巻きに眺めていた。アルフは組んでいた腕をほどくと話を続けた。


「栄誉を認められ、ビョルトゥンからベーセルクに階級特進だそうだ」


 木の下にあるベンチには木々の木漏れ日があふれている。私は揺れる葉の間からちらつく日光に目を細めた。


「ベーセルク、葬儀からの数日で誰よりも有名になってしまいましたね。もはや死せる英雄(エインヘリャル)リクハルドですか」

「わざわざ旧教皇領の記念墓地に埋葬するほどの、な」


 アルフはため息をついた。そして、しばらく静けさが流れた後に呟いた。


「あいつ、左利きだし、馬も乗れなかったよなぁ」


 遠くに見えているリクの墓はやたらと大きく目立つものだった。墓標代わりの銅像は日光を浴び、鈍色の光を放っている。装飾をした大きな馬は前足を上げており、それに跨る体の大きなリクは左手に手綱、右手には槍を持っていて、その姿は迫力がある。死とは訪れてしまえばあとは慎ましやかなはずだ。それをかき消すほど騒がしく暑苦しい銅像がでかでかと立っている。資金を出したのはヴィトー金融協会だそうだ。墓標には金融協会の守り手などと書いてある。やっかいを押し付けた連中が言えたものか。


「趣味の悪い墓だ。吸うか?」


 箱から一本のタバコを取りだしてすぐに咥えたアルフは私に勧めてきた。


「いえ、結構です」

「すまん、そうだったな」


 久しぶりに嗅いだ焦げる前の葉の匂いは私の鼻の奥をくすぐった。しかし、頭の中をちらつく何かのせいで吸う気にはなれなかった。すまなそうに箱を懐へしまったアルフはタバコに火を点けた。そしてマッチの火を消し、吸い殻の入ったバケツに投げ捨てると脱力するように煙をはいた。

すると少し弱い風が吹き、白い煙はそれに乗って消えていった。


「ダリダさんの様子は?」


 私の問いにアルフは静かに首を横に振った。舞った灰を払いのけた手でタバコを持つと


「相変わらずだ。泣くのもやめて下ばかり見ている。食事は少ないがとれているのが救いだな」


再び咥えて大きく吸い込んだ。咥えたまま吐息と一緒に、


「それに、葬儀で所在がばれてしまったからな。いずれ追っても来るだろう。一人で放っておくわけにはいかないから、ブルンベイクに連れて行く。辺境には政府に反抗的な領主がいるから多少は手を出せまい。ほとぼりが冷めるまで匿うつもりだ」


と言った。


 短くなったタバコの火を水たまりで消し、バケツに投げ捨てた。


 アルフが吸い終わるのを見届けた私は立ち上がった。


「そうですか。私はアカデミアに戻ります。何かあれば、また」

「おう」


 そして少し早い雨期が終わるころ、チームは解散となった。





 私は巨大なゆりかごとダリダの事故直後に描いてもらった絵を持ち、フロイデンベルクアカデミアに戻った。

 持ち主を失ったティソーナは一緒に保存してしまおうかと思った。しかし、何度も私を救ったその剣はカルデロンの本家へ手紙を付け匿名で送った。彼女の形見がないことは家族にとって残酷だと思った末だ。


 六本足の犬が転びながら駆け回っていたり、噴水の液体がどろどろの紫色だったりと普通ではない学内の雰囲気のおかげで、絶えず私の魔力を糧にしてしんしんと冷気を放つゆりかごを持ってうろつく私の姿は目立つことはなかった。中味が女性だとわかるとみな苦情を言ってきただろうが、私は学内で開けることはしなかった。



 夏の終わりごろに私は教室に戻り、再び研究の日々を始めた。だが喪失感でそれどころではなかった。

秋の風は一人の私の喪失感を煽るだけでは収まらず、いくつものの苦悩をもたらした。朝起きると自らの人生を顧み、もし私が僧侶になっていたら、あの時ああすればよかった、こうすればよかったと、無意味な思考を繰り返した。何もする気にならない私はぼんやりと一日を過ごし、家に帰るとマリソルを眺め自慰をした。

 このまま何もしないでアカデミアにいればいずれクビになるだろう。それもありなのではないだろうか。もはやなぜ私がここにいるのか、それすら失いかけていた。


 惰性と退廃の日々の中、自慰のさなかの情けない姿をした私はあることに気が付いた。

 限りなくエネルギーを奪えば物体の動きは鈍くなっていく。目の前にいるマリソルは私の背中にいたときとまるで時間が静止したかのように何一つ変わりが無いことがその証拠だ。エネルギーも時間と同じ流れがある。だから負のエネルギーを生み出せばマリソルを甦らせられるのではないだろうかと考えた。時間回帰を独自の視点で成し遂げようとしたのだ。そして、自らを慰めるのをやめ、すぐに頭の中で方法を検討し始めた。


 それからはフロイデンベルクアカデミアにこもり、研究に没頭した。研究費の申請のためにつけた実験の表題は「負のエネルギーの観点による占星術に依存しない時間回帰」という建前を並べたものだった。しかし、時間回帰は政府に目を付けられるのではないだろうかと考えた私は「物体の速度の減少は負のエネルギーによる可能性」とあくまで錬金術分野の色を強くした。そして学内での研究費を勝ち取り、死者をよみがえらせる研究を始めた。



 それから数年が経ち、疎遠になっていたかつての仲間であるアルフがダリダを連れてアカデミアを訪れたことがあった。久しぶりに見たダリダはやはり老けることはなく、あの事故の日のままだった。ただ、以前とは異なり表情がすっかりと明るくなり、大きな喪失を乗り越えたようだった。

 彼女の報告では、彼女以外の占星術師は老衰によりついに死に絶えたらしい。占星術師ではあるがダリダは未熟で後世への教育伝達は不可能であり、継承断絶と判断した政府は占星術をあきらめて手放したので、お尋ね者ではなくなったらしい。大手を振って街を歩けることがよほどうれしいのか、彼女の言葉は玉のように弾んでいた。

 ただ、その代わり例の研究所の処理を行うことを義務づけられた。といっても、維持だけで大変ではない上に給料ももらえているそうだ。わざわざそれだけを伝えるために寒冷地の果てから会いに来たのだ。


 私たち三人はストスリアの町で久しぶりの再会を果たしたことを祝った。食事の場で二人に表向きの研究内容を伝えると、ダリダは興味を示した。そこで私はダリダにも研究を手伝ってもらえるかと尋ねると、二つ返事で協力すると言った。当然だが、このときダリダに死者をよみがえらせるという実験の真の目的を伝えなかった。どれだけ酒がまわろうと、私は実験の真相を漏らすことはなった。なぜなら言ってしまえば間違いなく止められるからだ。



 それから再び長い月日が流れた。実験では求める成果はなかなか得ることが出来なかった。だが、その過程でさまざまな発見を繰り返し、私は教室を持つことになった。それが錬金術第五教室だ。どれだけ新しい発見を繰り返しても死者を甦らせる研究だけは一向に進展しなかった。まるでそれを拒絶しているかのごとく、うまくいくことはなかった。自らの残りの命の短さに焦りを覚え始め、意図して結果を遠ざけようとする神を恨んだ。

 そして、行いはどんなものでも必ず見られているのだ。行いは神の目によって見られてるのではなく、行いを目の当たりにしたその目が神の目となるのだ。私のしていた実験は自然の摂理を捻じ曲げようとするもので、自分以外の目からは、さらに神の目からすら隠そうとしていた。ひた隠しにしていたつもりだった。


 しかし、それは不可能だったのだ。


 誰もいないと思っていた深夜のラボで私は負のエネルギーを構築する方程式を考えていた。理論上は可能だと結論づけた式を見て私は独りつぶやいた。


「式の解が負にしかならない。いける。これで時間が戻せるはずだ」

「ちょっと待って、ユウちゃん?それいったいどういうこと?」


 忘れ物を取りにラボに入ってきたダリダがそれを聞いてしまったのだ。彼女の顔は険しくなり、どすどす詰め寄ってきた。


「ダリダ!? い、いや、今のはなんでもないよ」

「嘘なのね? 負のエネルギーなんていうのは?」

「ち、違う!」


 不注意な私がうっかり言ってしまった一言でダリダにすべてがばれてしまった。問い詰められた私は誤魔化しきれなくなり、ついにマリソルとリクを甦らせようとしていること、彼女のゆりかごのこと、すべてのことを打ち明けてしまったのだ。

それを聞いたダリダは悲しそうに私を怒鳴った。


「時を戻そうとした私たちみたいに、本来世界のあるべき姿を捻じ曲げようとするような研究はやめて!ユウちゃんはいつまでマリソルに憑りつかれているわけ!?」


 失礼な言い方をするダリダに私も負けじと声を荒げてしまった。


「マリソルは亡霊だとでも言いたいのか!?」


「そうよ! 亡霊よ!」


それを聞いた瞬間、秘密がばれてしまった焦りは消えて、その代りにふつふつと怒りがわき始めた。しかし、私の口から何かが出てくる前にダリダは言葉を続けた。


「でも亡霊にしたのはあなた自身じゃない! 私のおなかの中にはアルフの子どもがいるの。私の呪いに関係なく順調に育っているのよ!? いつまでも後ろばかり見ていないで! 前を見て! ユストゥス! もうこれ以上、あの子を亡霊にしないで、お願い!」


 それを聞いた途端、眩暈が起きるほどにダリダが遠くに感じた。実際に遠くへ行ってしまったのだ。


 そうか。

 もう、みんな前を向いているのか。私の遥か前にいるのか。


 いつまでも死に囚われ続ける私を笑っているのだろうか。

 あの時から十数年、研究に没頭し前へ前へ進んでいたつもりだった。しかし、実際は同じところで足踏みをしていただけだったのだ。前を向くものたちには私のことなどもはや見ていないのだろう。

 アルフにもリクにもダリダにも、そしてマリソルにさえも。


 ダリダとアルフとともに歩み始めた。リクは旧教皇領で英霊として眠っている。

 マリソルはどうしただろうか。こうして目の前にいる。


 いや、マリソルは死んだ。



 全身の力が抜けるようだった。

 膝から崩れ落ち、私は地面に手をついた。そのときになってやっとマリソルの死を受け入れられた。


「あるべきところへ、マリソルを送りましょう」


 まぶたを指で抑えながら言うダリダの声は震えていた。

 彼女に肩を支えられ、私は立ち上がった。




 深夜の空には銀色の満月が輝いていた。豊かな大地の真ん中にあるフロイデンベルクアカデミアは月明かりに照らされて長い影を作っている。

 ゆりかご、いや、棺から出したマリソルは何一つ変わることはなかった。目の前で何度も見せつけた無様な自慰行為のことも、いつか目覚めさせるために行っていた実験のことも、知らないかのように穏やかな笑顔で目を閉じ、生の終着点である死を受け入れている。

 しかし、彼女の内側はすでに変質しきっていた。ひとたび持ち上げると灰のように崩れ手のひらから消えた。


「神は命を与え奪う。人間にできるのはそれらを受け入れることだけよ」


 目の腫れたダリダとともに丁寧にマリソルの体を横たえ、そして火を放った。彼女を乗せた組み木は瞬く間に炎に包まれていった。人の焦げる硫黄の臭いよりも鼻についたのは、彼女の体内に私が押し込んだ薬品の焦げる臭いだった。十年以上と言う長い年月は、その硫黄の匂いという最後の人らしささえも変えてしまったのだ。

 燃える彼女の亡骸は何かが破裂してぱちぱちと音をたて、白い煙を上げ天に帰っていく。その姿を見送る私は後悔と今生の別れに涙が止まらなくなった。


 夜明け前には火が消え、残された彼女の灰はノルデンヴィズの小さな墓地に葬った。


  *    *


 ダリダはきっと嫌なことを話したり、思い出したりすると煙管を吸うのだろう。グリューネバルトは絵をそっと置きなおすと窓際から離れた。話は済んだのだろう。椅子を引く彼の姿を見たダリダは寄りかかっていた壁から立ち上がると


「ユーちゃん、私ちょっと外にいるわ。煙管が恋しくてね。ふふ。イズミくん、またね。たまにはお店に顔も出してね」


と笑顔で挨拶をして部屋のドアを開けた。

軋む音を上げてゆっくりとドアが閉まると


「何しに来たんだかな」


とグリューネバルトはため息をついた。


「お前は二人を連れて行くのだろう?」

「えっ、まだ話はしてはいませんが。なぜわかったんですか?」


 俺は面食らって間の抜けた顔をしてしまった。まだカミュと打ち合わせをしたくらいの話なのになぜ知っているのだろうか。それを見て彼はにやりと笑い、ゆっくりと腰を掛けた。


「見ていればわかる。世の中はそういうものだ。甘い貴様に二人を導けるのか?」


 二人を導く。それはつまり、冒険と戦いに身を投じさせるということだ。まだ二人に話していない俺にはそれを止めることもできる。しかし、彼らのいない旅は俺には想像できない。


「やるしかありません」

「そうか。なら貫いて見せろ。その甘さ」


 そういうとグリューネバルトは机の引き出しを開け、取り出した何かを突然放ってきた。慌てて受け取るとそれはシルバーを基調とした細いバングルで、真ん中には小さな緑色の宝石がついていた。


「二人に渡せ。透輝石(ダイオプサイド)モデルだ」


 緑色の部分に触れると軽く光り、文字が空中に浮きあがってきた。その文字たちはこれまでに訪れた街の名前を表示していた。それは移動魔法のマジックアイテムだったのだ。

カミュの持っていたものとは形も大きさもかなり異なり、シーグバーンが盗んでいたものも異なる。どうやらこれは最新式モデルのようだ。


「なぜこれを二人に使わせなかったか、今ならわかるだろう。混線した場合、出口が強制的に変更される可能性があるからだ。確認もせず飛び込むガキには早い代物だ」


 出口を変更された結果どうなるのだろうか。壁の中にでも放り出されるのだろうか。そしてこれほどまでに高価で便利なものをさらりと渡してしまうのは何か考えがあるのだろうか。思わず彼を疑ってしまった。


「よろしいのですか?」


 顔をグリューネバルトのほうへ向きなおした。俺の歪んだ顔を見た彼は眉間にしわを寄せた。


「いちいち素直じゃないやつだな」


 椅子を回し外へ視線を流すと彼はつぶやいた。


「私にはもう必要が無い。教室は誰もいなくなった。退くにはちょうどいい。シーグバーンは飼い殺しにして共倒れするつもりが、自分から勝手に死んでくれるとはな。ダリダも時期来なくなる」


そして、強いまなざしで俺を見つめた。


「行け。その甘さで争いを止めろ。貴様の使命だ」





 ドアを開けると古い埃の匂いに包まれた。

 俺が部屋から出ると、カミュ、オージー、アンネリは片付けをしていた。いつまでたっても変わらない、むしろ汚くなっていると喚くアンネリをオージーがなだめている。その横でカミュは黙々とゴミをまとめている。先ほどよりも少しだけ片付けが進んでいたこの部屋は四隅を現して、その意外な広さに少し驚いた。いつかオージーの寝ていたソファは姿を現し、アンネリの机は書類の壁が無くなり、共有スペースから見通せた。

 教員も学生もいなくなり、グリューネバルトだけが残った錬金術第五教室は閉鎖となることが決まったのだ。この空いた教室を次に使う予定はないらしく、倉庫として使うようだ。


 片づけもそこそこに俺たちはフロイデンベルクアカデミアを後にした。八本足の犬、虹色の噴水、物騒な立て看板。門を抜けて振り返るオージーとアンネリは少しだけ名残惜しそうだった。

 ストスリアの町に戻り、二人を勧誘するとあっさり了承してくれた。あまりにもあっけなく決定したので、拍子抜けしてしまった。若い二人は錬金術師の旅路が大変だということをわかっていても、理解していないのかもしれない。



 それでもカミュ、オージー、アンネリ、そして俺の旅が本当に始まるのだ。

読んでいただきありがとうございました。

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