スプートニクの約束 第十四話
他人には無関心な住民が多く、何が起きていても他人の振りで見逃されるはずの職業会館裏通りにざわめきが起こり始めた。響き渡った聞き慣れない大きな銃声にクイーベルシーが集まり始めたのだ。
そして、私にしがみつき泣いているセシリアを見ると、そこに現れた者たちは目の色を変えて二人組を睨みつけだした。そして彼らは二人ににじり寄り取り囲む様な仕草を見せ始めた。
二人に押し寄せようとした人の波が突如ピタリと収まると、その波が左右に割れて一人の男性が現れた。
「ほう、麻袋に子どもを入れていた保護者ですな」
殺気立つ人混みをかき分けて現れたのは、カフェ・ロフリーナのマスターだったのだ。義眼ではない左の目が動き、二人を見つめている。義眼の右は表情なく乾いていて、左目には怒りと蔑みの色を左右非対称に浮かべる様は、不気味さをさらに強くさせた。
「お二方、旅の者かな。ご存じないかもしれないが、ここら一帯は犯罪が多い場所なんだが住民は何故か児童誘拐については皆厳しいものでね。麻袋に子どもを入れて運ぶような紛らわしいことについてもいい顔はしないが、状況から見るにやはり誘拐だったようですな。しかし、どうやら子どもは無事なようだ。これ以上何もしないというなら、立ち去ってもらえんかな?」
私はこれを狙っていたのだ。北公に銃は溢れたが手にできるのはまだ軍人だけであり、その大きな発砲音は、無関心な住民たちであっても、聞き慣れていない、聞いたことのない異常な音には耳を傾けてしまうのだ。
そして何より、セシリアという幼い子どもの前で人を撃ち抜くなどしたくはなかった。
多勢に無勢を感じたのか、二人組は舌打ちをするとその場を去った。
それと同時に取り囲んでいた群衆はいつも通りの無関心の集団に戻り、それぞれの場所へと帰っていった。
一人残ったマスターが近づいてきた。セシリアは真っ赤に腫らした目をして私にさらに覆い被さった。だが、マスターはセシリアの頭を軽く撫でると、私の真横で屈んだ。
「ご無事ですかな? だいぶ血が出ていますな。店の方で治療しましょう。つてで僧侶に当たりましょう」
「ありがとうございます。ですが、あまり長くは休んでいられません。止血だけお願いします」
マスターは、ふむ、と鼻を鳴らすと、私とセシリアをカフェまで運んだ。
店に着くと、セシリアはまたしてもケーキを出されていたが、食欲が無いのか手を付けていなかった。ケーキには興味を示さず、治癒魔法が使える落魄れ僧侶に止血をされている私の姿をじっと見つめていた。
それから三十分もしないうちに傷は完全に塞がった。落魄れとはいえ、かなり熟練の僧侶のようだ。その年老いた僧侶は治療が終わると、一礼だけして店を出て行った。さすがに無関心な街なだけある。様子を尋ねることもなく、無駄話さえもなく、簡潔に済ませてくれた。
「終わったようですな」
「マスター、私たちはすぐに発ちます。彼女を両親の元へ送らなければいけないので」
「左様ですか。お気を付けて。引き留めはしません」
セシリアに目配せをすると、うんと頷いてパタパタと駆け寄ってきた。上着を着てセシリアの手を握り、ドアへと向かった。
すると、マスターが背後から話しかけてきた。
「お客さん、その子の保護者を見たのはあなたで三組目だ。一組目は親子とも思えぬほど似ても似つかぬ男女、二組目はその子に近い見た目の先ほどの麻袋の男女、三組目がお世辞にも相性が良いとは言えないあなただ。似ても似つかぬ者や相性の悪い者の前ではよく笑い、その一方で最も似ている二人組がその子を泣かしてしまうとは悲しいことだ。どこへ向かわれるのか知らないが、これを着て行きなさい」
振り返るとその手には厚手の上着とゴーグルが握られており、近づくと二つ渡してきた。
「高い雪山をなめてはいけません。その子も寒さで辛いだろうに、これを」
とさらにキメの細かい毛糸で縫われたマフラーを渡してきた。
思わずマスターの顔を覗き込んでしまった。私とセシリアがこれからどこへ向かうのかをまるでわかっているかのような物を渡してきたのだ。
驚いたように見つめてしまったが、マスターは表情を一切変えることはなかった。
「返さなくてよろしいですよ。あなたとはこれから長そうだ」
「それは返しに来い、ということですね。ですが、あなたは何も知らないと、私はそういうことにしておきます」
マスターはそれでも表情を変えなかった。
「お気を付けて」と言う低い声を背中に受けて、私とセシリアはカフェのドアを閉めた。