魔法使い(26)と勇者(45) 第四話
と思っているうちに二カ月がたってしまった!
その間どうやって生活していたかと言うと、気が付いたあたりから少し離れたところは交易の要所らしく、行商などの野営地点で町ではないのに人の気配があり栄えていた。
最初に登った岩の下に大きめの洞穴があり、そこを少しずつ改造していき雨風を凌げるようにした。
お金があれば何か買えるようになるという概念は日本と同じだったので、近くに出る動物を無理やりつかまえて日銭を稼いだ。
最初の一カ月はなかなか成果が得られず苦労をした。見かねた人による憐れみを受けたりもした。その中でもとある老夫婦の商人は、大きくなった孫を見ているようだ、と言ってだいぶかわいがってくれた。
彼らの娘息子は独立してどこにいるのかわからず、孫が生まれたときに一度だけ会い、それ以来もう何年も会っていないそうだ。二人とも高齢で今回の行商で最後にしようという事のようだ。その支えもあり一ヵ月も経つと腕も強くなり、彼ら老夫婦も、前途ある若者に負けてはいられない、もうひと頑張りしようと旅を再開し、我々は別れを惜しんだ。彼らはどこかに定住をしていないらしく、ここに行けば必ず会えるという場所はないが、寄る年波にはかなわないので温かい南の町に家を買うかもしれない、そこで余生を過ごす、とのことだ。去り際の、あの最後の「今生の別れではないさ」と言ったことに目頭が熱くなり、胸の一杯にして忘れられない。
それから動物の殺生にもすっかり慣れ、老夫婦のくれた武器のような狩り道具を使って、道沿いに出没する動物ではない何かを狩りはじめるようになった。希に人畜を襲うときもあるらしいが、オオカミやイノシシのような動物ではないので魔物みたいなものだろう。その何かは動物よりも高く売れるのだ。一匹いれば二、三日はもたせることができる。それどころか、討伐したこと自体でお金が発生するのだ。
腕もさらに上がり始め、狩る量が増えてきたので週三日の間隔で狩りをするようになった。三日狩りをして、残りの四日間は休息だ。狩りと言う行為のあとの魂の洗濯だ。具体的には何もしない。雨風をしのげる洞穴でゴロゴロするだけである。
さらに三か月後、頭の片隅を占拠していた呼び出しの件は「もう時効じゃね?」と変換されていた。
そんなある時だ。事件は起きた。
あの日は快晴だった。ちょうど安息日の二日目で体力気力ともに充実し始めお金もそれなりに貯まっていたので、少し観光でもしようと思い、拠点の近くにある湖に出かけた。
二、三時間ほど歩いて近づくにつれ草原とは違った水のあるところのさわやかな匂いがし始めて、風光明媚な湖が見えてきた。湖畔につくと透き通った水とどこまでも深い緑、穏やかな風が吹けば鳥のさえずる森も水面も揺れて、天気の良さと自然の豊かさに心が満たされていくのを感じた。それと同時に湖は見なれていたが、平地に出現する湖はあまり見たことが無く、不思議なものを見るような感覚に襲われた。
木製の年季の入った桟橋を渡るととむとむと軽い音がした。そこから水面を除くと透明度が高すぎて自分の顔すら見ることができないほどだ。
手を伸ばし水に触れようとした時だ。空に突如として黒い雲が立ち込めて瞬く間に広がり、湖は不気味な暗闇に取り込まれた。周囲にいた釣り人や観光客は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、野生の動物たちが騒ぎだし逃げまどい始め、驚くことに本来なら人や動物を襲うはずの隠れていた魔物たちまで逃げ出したのだ。
あたりはおぞましい静けさに包まれたその時、自分はと言うと情けないことに足の力が抜けろくに歩くことができず逃げ出すことはできなかった。そして、濃紺の霧が広がり包まれ意識を失った。
気が付くと、真っ暗な空間の中にぽつんと浮かぶライトの下に置かれた見覚えのあるパイプ椅子に縛られていた。しかし、パイプ椅子はなぜかわからないが以前とは異なりぼろぼろで、誰が直したのか不器用にダクトテープで直されている。
拘束を解いてみようと試しにガタガタ揺らしてみたがピクリとも動かず、修理された椅子がギシギシ音を立てるだけだった。動いたせいではがれかけのダクトテープののりがべたべたと腕についた。
がっくりと肩を落として足元を見ると、口紅の付いたタバコの吸い殻がちらほら落ちている。あまり長い時間吸っていないのか、吸い殻にしては長かった。
前から足音が聞こえる。それに気づき顔を上げると見覚えのある女性がいた。
眼があった瞬間、間髪入れずに
「あんた、何様!? あたしのこと半年以上待たせるとか! ありえないから! マジなんなの!?」
と怒鳴り声をあげられた。
猿轡をされているので声は出せない。その女性がサッと手を挙げたので、叩かれるのかと思い反射的に目をつぶってしまった。
しかし、頬や頭に痛みが走ることはなかった。
おそるおそるまぶたを開け覗き込むと女性は視線を上に向けたまま何かを考えているように見え、そして静かに手を下した。
「あー、ダメだ。ダメだ。またアドボカシーのお人形さんにねちねち言われるわ。大体何なのよ、アドボカシーって。こんな連中の権利擁護なんかする必要あるのかしら」
その女性はあきれ返るようにため息をして中腰になると、座っている俺の目線の高さに合わせてきた。
「あたしが誰かわかる?」
話し方こそ違えど、聞いたことがある声だ。およそ五か月前、似たような薄明りの下で聞いたあの女性の声だ。
わかっている、と意思表示をすべくうんうんと小さくうなずいた。声だけで判断して確信はなかったがわからないと首を横に振ろうものなら今度こそ思いきりひっぱたかれるような気がした。
「あんたさぁ、ちょっと舐めすぎじゃない? この間は余所行きの話し方してたけど、さすがに半年も放ったらかしにされるとさすがにこっちも無理だわ。あんたはアマ○ンで注文したものが半年後に届いたらどう思う? いやでしょ? あたしだったら宅配ボックスに入れない時点でソッコー連絡するわ」
俺に神秘的な体験を与えたはずのその女性は、そのときとは思えないほどに現実的なことを言い始めたのだ。何を言っているのかわからないということはないが、眼前の非現実と内容の現実のギャップに混乱しそうだ。
女性は中腰からすっと立ち上がり、胸の谷間から赤い丸の描いてある小さい箱を取り出して、とんとん叩いた後出てきたスティック状のものを咥え先端に火をつけた。大きく吸い込んだ後に、満たされた顔をして再び視線の高さを合わせてきた。
次の瞬間、ふぅーっと煙を顔に吹きかけてきた。どうやらタバコを吸い始めたようだ。
煙の埃っぽさに眼が耐えられず涙があふれて、鼻の奥がきつい臭いに耐えきれず、顔の前に女性がいるにもかかわらず猿轡越しにくしゃみをしてしまった。女性はくしゃみを迷惑そうにサッと避けると
「あんた、勇者剥奪ね。任せらんないわ。いい加減すぎて」